| 自己肯定への道 〜ひとりのADHD女性の手記〜
By くらげ |
その1
私はADHDですが、多動や衝動性がそれほど目立たない不注意優勢型。
「片づけられない女たち」という本を読んでADHDを疑い、診断されたのは28歳の時です。
心の傷ができていない理由として、ADHDのわりには(母以外の)人から面と向かって非難された経験があまりないというのが関係しているかもしれません。
成績も悪くなかったし、トラブルメーカーだったわけでもない。宿題もあまりしていなかった時期(小5)は、さすがに先生にもかなり注意されていたはずだけどね〜(よく覚えていない^^;)
いちばんわからなかったのは人との接し方。
それもトラブルになるわけではなく、1人静かに混乱していました。
人におかしいと言われるのが恐くて、自分の考えを言えなかったり素の自分を出せなかったり。面と向かって非難されなくても、内心みんな悪く思っているんじゃないかという不安はありましたね。
対人がダメだと言っても、気軽に接することの出来る友達もいつでもごく少数はいました。
さて、そんな私ですが、自己肯定がいちばんできなかったのは中学の頃。
対人関係の悩みが大きかったのと、勉強をしろといちばん言われていた時期なので、しなくてはいけないのがわかっているのに何故かサボってしまう自分との矛盾に苦しんでいました。
そういう年頃というのもあったのかなぁ。
家族も嫌いだったし、その嫌いな親に全てを頼らなくては生きていけない自分自身がいちばん嫌いでした。
高校に入って一番何が変わったかというと、「居場所」の存在ですね。
部活(美術部←変わり者の巣窟?(笑))がとても居心地よくて、「自分にも所属していい場所があるんだ」と感じられたんです。少数派という自覚はあったけど、自分1人がこの世から浮いた存在なわけではないんだな、と。
あとは、成長してきて考え方、物の見方が変わってきたのかな?
例えば嫌いだった母を「お母さんだって人間なんだから、完璧な子育てが出来るわけがない」と許せるようになった。親として「こうしてほしかった」という面はたくさんあるけど、悪い人ではないので。
いつの間にか、自分のことも嫌いじゃなくなってました。「もういつ死んでもいい」とも思ったなぁ。「幸せな人生だった」と思いながら死ねる自信ができたから。
問題が何もないわけではなく、クラスメイトと話すだけで緊張するような状態だったんですけどね。
やっぱり「居場所」が大きかったんだと思います。
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