自己肯定への道
〜ひとりのADHD女性の手記〜

By くらげ


その2


今回は大学生編です。

大学では社会福祉を学んでいたのですが、講義の中で、「自己覚知(自分を知ること)」が大切で、自分のことが好きではない人、自分を認められない人は福祉従事者に向いていないという話がありました。
1人暮らしを始め、自分の様々なダメな部分と向き合っていた時期だったけど、それでも「私は大丈夫だな」と思えました。自分は悪人じゃないと思っていたし、ポカポカ陽気の時にのんびり散歩するといった些細なことで心から「幸せだなぁ」と感じられる自分が好きだったから。

障害者や児童等の各福祉論、社会福祉援助技術論、心理学系の授業・・・、いろんな勉強が自己覚知につながり、自分の考え方に影響を及ぼしました。
大学の講義なんてテキスト通りじゃないから、先生方の経験してきた話等もおもしろかったなぁ。
それらを通して、「世の中にはいろいろな人がいるのが当たり前なんだ」という考えに至りました。それまでは、世の中には「できる集団」と「できない少数派」がいるような気がしていたけど、そうじゃなくて「個人」。私もその「個人」の1人なんだと・・・。

実際の生活ぶりはADHD全開でした(^^; 今回は主旨が違うので、詳しく書くのは避けますが・・・。
当時ADHDは知らなかったけど、「自分はいろいろなことがこなせない」というのには気付いていたので、無理なくマイペースに過ごそうと思ってました。
バイトは週1、2日程度にするとか(それも始めたのは2年になってから)ダラダラした生活だけど「1日に何か1つできたらいい」ということにするとか。例えば、「洗濯」「片付け」「買い物」「郵便局に行く」・・・我ながらハードルが低い(笑) 「今日は何も出来なかった」という日は、たまにしかありませんでしたね(←それでもあるのかよ^^;)

自分を追いつめない生き方だったけど、やっぱり100%自己肯定できていたわけではありません。
私のことを「変な奴」ではなく、「おもしろい」と言う子がいたのですが、自分のことじゃないような違和感を感じてました。日常生活がボロボロということを隠していたのもあるし、やっぱり自己嫌悪することも多かったですからね。(ただ気分が変わりやすいので、嫌な気分も長続きしない)

でも、マイペースが許される学生時代は、まだ良かったんですよね〜。(その3に続く・・・)

余談ですが、福祉の勉強といっても、介護技術を中心に学ぶ専門学校に行っていたとしたら、もっと大変な思いをしていたような気がします。不器用で人とのコミュニケーションを取るのがすごく苦手だった私には、実技、実習が多くを占める専門学校は落ち込むことが多かったんじゃないかな・・・。
これは、どっちがいいということではなく、自分にとって合う・合わないという問題。講義を受ける方が大変だという人だっているでしょうから。


この原稿は療育掲示板に投稿された記事を、筆者の了承を得て再掲したものです。
問い合わせ等は 朝倉玲 ley@nifty.comまで

(掲示板投稿日:2007年8月13日)





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