最終週、勉強会3日目は、"第3部 子どもとセクシャリティについて話すこと"についてです。
本題に入る前に第2週目にだされた宿題「お子さんの行動分類」が、先生から読み上げられました。(記入者名は伏せてあります)
第3部の目標
○性科学について学ぶ
○子どもとセクシャリティについて話す不安を減らす
○子どもが示す性的な表現についてあわてない心構えを持つ
ここでも「ウォームアップ活動」としてユニバーサルイス取りゲームが用意されていたのですが、時間の関係でカットでした。
ルールは簡単。
曲が流れているうちはイスの周りを歩き、曲が止まったらイスに座ります。ただし、誰もあぶれることのないように座るのがポイント。最終的には1つになったイスにみんなで協力して座るので、誰も負けない体験が"ユニバーサル!" というオチのゲームだそうです。
今週のテーマ「子どもとセクシャリティについて話すこと」は……いよいよ性についてのお話です。
以下にワークブックの内容をご紹介します。(太字はワークブックダイジェスト版からの抜粋転載)
自分たちが知っていたこと、実は神話やでたらめな知識が多い。
これまで築いてきた信頼関係を土台に、科学的な知識を持って、ポイントを踏まえながら、子どもとセクシャリティについて話すこと。
性 = 生。
生きることの多様性を感じてもらい、性を通して、自分を肯定するチャンスを見出してもらえたら幸い。
(1)セクシャリティに関する知識
科学的な性知識をもつこと(学ばなければ話せない)
性教育をする勇気:算数教育をする勇気
人間界で親が子を育てるのに、支援者が子どもを支援するのに、考えなしでやって良い支援なんて、本当はないはずです。
このテーマが、私たちにとって「苦手だなー」と思わせる背景には、2つが考えられます。1つは、子どもにどのような影響を与えるか分からないという不安です。もう1つは、この問題について、自分自身が教育を受けていないことからくる考えの不確かさがあります。
よく「寝た子を起こすな」という比喩が用いられます。セクシャリティについて、支援したり、話題に出したりすることで、もしかしたら、子どもたちは突然セックスや自慰行為や何かに執着してしまうのではないか、と心配なのです。
これまでの研究の結論からいうと、そのような心配は不要な心配と言えます。
オースリーさんとメジボフさんの研究では、高機能自閉症21名と自閉症でない軽度から中等度の知的障害20名のインタビュー調査の結果、セクシャリティに関する知識は興味とも経験とも関連していないことを確認しています。
定型発達の若者も同様ですが、障害のある子達が、セクシャリティに
ついての情報を得ることで、性的な行動に没頭してしまうのではないか、という親や大人の不安は、現場の先生の声や現段階の研究から、
『性に関するより多くの情報を与えることは興味関心を目覚めさせるというより、むしろ、すでにもっている興味関心を適切に充足させるための知識をもたらすものである 〜グニラ・ガーランド "自閉症者が語る人間関係と性"〜』
のように考えて良さそうです。
確かに、人がよく理解できている事柄に執着を示すことは、あまり理解できていない事柄に執着することよりも少ないことは、生活上の感覚として感じることができます。
(中略)
自閉症はその障害特性から、不安を感じやすいと言われています。よく理解できないことから性的な問題行動が生じるのであれば、上手にセクシャリティについて情報を与え、やりとりを重ね、理解を深めていく中で、問題行動を予防したり、改善できるようになることが期待できます。
ここではセクシャリィティについての科学を学び、子どもに伝える際の
ポイントをフラッシュでお伝えします。
(2)「何を教えるか」よりも「どう伝えるか」「どう伝わるか」
性器の名称をどうして教えるの?
覚えられるの?
言い回っていじめられないのか?
・性的関連の言葉を言わされていた中学2年生のお子さんの相談
・大人の性意識、生命に対する否定的な教育
→総合的なマナーアップ:オープンにして良いこと、クローズにしておくこと(パブリック/プライベート)もしっかり教える
女性器はポルノか?
(大人の性意識、生命に対する否定的な教育に対抗する)
発達の多様性に応じて@
話しことばの獲得に援助が必要な子ども(知的認識1歳半程度まで 重度・最重度)
― 生活を通して学ぶ ―
・愛称ではなく名字で呼び合う。
・同姓、異性の友達と組んで活動する。
・集団の中で自分の役割、性差がわかるようになる。
・更衣場所、性器洗い、月経の手当の仕方、自慰のTPO。
・身体はいいもの、身体の気持ちよさ、ボディイメージづくり、ふれあいの心地よさなどを意図した活動を発想ゆたかに創造していくことが課題になっている。
・快の感覚を育てることが不快を意識し、不快なことには「ノー」と言える力をつける、こうした力がからだの主人公になる土台として考えられている。
発達の多様性に応じてA
話しことばの充実に援助が必要な子ども(〜4歳程度まで 中度)
― 視聴覚、体験を通して学ぶ ―
・自分の身体に起こる大人のしるしの意味と対処の方法を学ぶ。
・異性への思いを大切にしつつ表現の節度を学ぶ。
発達の多様性に応じてB
書き言葉の獲得と充実に援助が必要な子ども(〜8歳程度まで 軽度)
― 体験の交流、物語やロールプレイを通して学ぶ ―
・性のしくみを科学的に学ぶ。(男女のからだのしくみ、特に二次性徴のことを知る)
・誤った性情報への批判力を持つ。(巷の性情報に敏感に反応し影響を受けやすい)
・異性の気持ちを大切にし、責任ある交際と結婚について考える。
・自慰、性行為、避妊について学ぶ。
・結婚・家事・育児など将来の自分たちの生活について考える。
発達の多様性に応じてC
小学部
・大人に受容される経験、豊かな体験をする中で生活実感を育て、人間好きな子どもに育てる。
・身辺自立に向けた指導や男女の身体の違いに気づき、身体はいいもの、素晴らしいものであることを感じ取らせる。
・思春期を、期待感をもって迎えるための見通しを育てる。
中学部
・大人に向かう自分の体と心を客観的に見つめ大人への自覚を促す。
・自分の性を自覚し肯定的に認める。
・体のしくみを理解し、月経、射精に対処できるようにすること。
高等部
・身体的には大人だが精神的には思春期、大人としての自覚が生まれつつあるが、自信もない。
・男女交際や卒業後の生活について現実味をもって考えられるようになる。
・自己を客観視する力を確かにしつつ、障害を持ちつつどう頑張って生きるかを考えさせる。
・社会的に受け入れられる異性への関心や性的欲求の表現方法を身につける。
自然は境界線を作らない
赤ちゃんが生まれました。最初に聞くのは、体重ですか? 性別ですか?
ここで、先生からこんなお話しが。
母子手帳をみると、出産時の児の状態を記入する一覧表の最初の覧には、『性別・数』と書かれています。
本来、生まれてきた子が元気かどうかのほうが性別より大事なはず……と思うのだが、まずは性別。
なるほどっ。
言われてその不思議さに気付きました。
そして次にくるのが体重・身長・胸囲・頭囲などの計測値。最後の覧が『特別な所見・処置』となっています。
そうかぁ。筆頭にくるくらい、私たちって性別を重視していたんだ……。
私たちの社会には、「男らしい女性」「女らしい男性」という人から、性同一性障害に悩んでいる人まで、さまざまな性のグラデーションがあるはず。
でも、誕生の瞬間から、私たちは「男か?女か?」を気にする社会に暮らしている。
母子手帳の『性別・数』欄には男・女・不明がしっかり記載されています。
不明でも良いじゃないですか! 性別なんてそんなに気にしなくても良いじゃないですか!
いのちがあり、あわよくば体重がしっかりしていたら。
先生はそうお考えになるそうです。
そうなのかもしれません。
次に、情報提供として「衛生管理 〜 身だしなみ、月経、自慰について 〜」
"性器のおはなし・プライベートゾーン"
を読み進めていきました。
以下にまたワークブックからの抜粋を転載します。
自閉症のある子どもに「はずかしい」というのをどう教えますか? と質問されることがよくあります。他者の視点を持つのが難しいお子さんに「はずかしい」の感覚はなかなか身につかないものです。
性教育を勉強して、出会ったことばがありました。「プライベートゾーン」です。このことばに出会ってから、支援はとてもスムーズになりました。
「はずかしい」は理解しにくいけど「だいじなもの」「たいせつなもの」という感覚は他者視点ではなく、自分固有の感覚なので理解しやすいと思います。
まず、下着をつけることの支援について
男の子と女の子の下着の違いから、異性の違いを感じるきっかけになります。
なんのために下着をつけるの?という問いは、大事な性器や乳房を守るため、他人においそれとは見せたくない、さわらせたくない、たいせつなところという学習に結びつけます。
【肯定的な指示を心がける】
「はずかしいから、脱いでいけません」というメッセージよりも「だいじなところを守っているんだから、下着をつけようね」というメッセージの方が断然ステキだと思います。
だいじなところ、たいせつなところという認識から、かけがえのない大切な個人である自分という性 = 生の支援がスタートします。
たいせつなところを守るための下着は清潔にしよう。
せっかく下着も清潔なら、洋服も清潔なものにしよう。かけがえのない自分の1日が気分よくなるよ。
清潔な洋服を着たんだから、身だしなみも整えよう。たいせつな自分をもっとたいせつにしてもらえるよ。
ステキなメッセージが続いていくはずです。
「はずかしいから、脱いでいけません」というメッセージよりも「だいじなところを守っているんだから、下着をつけようね」というメッセージを、というのは、前者があなたメッセージで、後者はわたしメッセージですね。
わたしメッセージで説明されたほうが、抵抗無くすっと理解できます。
次は、入浴場面の内容です。
お子さんが「体を洗って」と甘えてきたらどうしますか?
ここでは小学2年生の女のお子さんが、一緒に入浴中のお父さんに「あらって」と甘えています。
お父さんは「だいじなところは、自分で守るんだよ。パパは君が好きだから、自分のたいせつなところは、自分できれいにしてほしい」と、背中だけ洗ってスポンジを渡します。
入浴は、自分のからだの主人公になる、だいじな練習の場です。
自分で自分の体を洗うこと、入浴を習慣とすること(構造化の例として、入浴は日課表に取り込みます)入浴後、清潔な下着や衣服をプライベートな空間で身につけることは、幼児期から継続して取り組みたいものです。
ところで、思春期になっての入浴に、どうしても異性の介助が必要な場合は、介助者は水着やTシャツ・短パンを着用することをススメています。介助者が水着やTシャツ・短パンを着用することは、【健康な行動の模範】となります。介助者自身が自分の体を大切にしているという意識にも結びつきます。
続いて、トイレ場面です。
トイレもプライベートの空間の1つです。ですから、トイレのドアをしめることも大切な学習課題になります。
支援者の間で話していても「うちは、トイレのドアをしめないで、用をすますことがあるよ」との声が聞かれます。ここでも【健康な行動の模範】の考え方が大事です。
ところが、公共施設やお店のトイレは、どちらが男性用?女性用?と私たちも戸惑ってしまうほど、マークも呼び方も色々です。公共の場面でのトイレの呼び方のルールは、その場所ごとに理解を深める必要があります。
トイレでの学習にはさまざまな課題があります。
幼児期で行った排泄のしつけを思春期の入り口では、親だけでなく、友人や先生などの助けを借りながら、再点検する必要がありそうです。
「おちんちんにまつわる話」「月経に関する支援」と続き……
「自慰を教える Yes or No」
ロールプレイを行うとありますが、時間の関係上、飛ばした気がします。
自慰の支援
○ まずは自慰の神話を崩しましょう。
神話1 精液がたまると男は我慢できない。
神話2 自慰をすると害がある。
神話3 意志が弱いから自慰をする。
神話4 性的空想でレイプするのはよくあることだ。
すみません、内容は割愛します。
自慰……教えない方が良いVS 積極的に教えるべき
先生は中間の立場を取られているそうです。
また内容を抜粋転載しますと……
大事なことは「いつ、どこで、どんな方法で」をその子が理解できる方法で教えることだと思います。ここでは安心して自慰ができる場所の提供が特に重要です。
支援者を悩ませるのは、いつ、どんな方法で子どもたちに教えるか?
に尽きます。私たち支援者は、このテーマでは、意図せず「性虐待加害者」にもなってしまいます。
自慰行為のの援助が、性的暴力となるか否かの境界線は?
援助を受けている子どもが「続けたくない」と意思表示できない場合は?
このような自問自答や、第3者の目が必要になってきます。チームアプローチが必要な所以です。
他方、思春期だからと言って、なんでもかんでも自慰に結びつける発想も
危険です。
(中略)
極端な例を挙げると、前述した性的空想レイプ、強制わいせつなどの暴力が含まれることを学習しているお子さんに自慰を推奨するのは、問題行動につながる危険性もあります。
生活全体の見直しや、子どもの心の成長を見ることなしに、思春期 = 性・自慰と短絡的に考え、支援することは避けたいものです。
これまで学習してきたように、生活全体を総合的に見ることは、この自慰を支援する、いつ、どんな方法で、を工夫するのにも役立ちます。
イライラしているのは、@性的緊張を解消できないからなのか? A生活環境とのミスマッチで攻撃的になっているからなのか?
このような見立てをしっかりして、子どもの性的指向をくみ取ります。そして、信頼関係の中で、前者の場合は、性的緊張 → 性的空想? → 性的快感 → 性的緊張の解消となるように、自慰の支援を導きます。もちろん、プライベートな行動であることをしっかり身につけさせます。後者の場合は、生活環境の改善が第一優先です。メディア・リテラシー(情報を見極め選択する力、批判する力)を獲得するために、メディアを一緒に見て、その場でモデルを見せる(例:テレビのセックスシーンで、良い大人のふれあい or 性暴力の判断)ことも必要な支援でしょう。
「第二次性徴における支援 〜 自分の体を大切に扱う 〜」
ここで、先生から1冊の本の紹介があります。
岩崎書店から発行されている、安藤由紀さんの本"いいタッチわるいタッチ だいじょうぶの絵本 2"です。
口、胸、性器、おしりの4つの場所は、人間にとってとても大切な場所で、たとえ大好きな人がさわってきても「いや!」と、はっきりいっていい。
それくらい、自分の体も心も大切です。そんなことをこの絵本は教えてくれます。
普段から、安全なタッチを教えておき、わるいタッチがどんなものなのか、また、わるいタッチをされたときに、お母さんや家族に相談して良いことを伝えておきたいものです。
実践例として、書いたソーシャルストーリーを示したり、自分の身体へのタッチについても、オープンに示しておくと、関わるときの指針になります。
「第二次性徴における支援 〜 対人関係 〜」
先生の失敗談。
長いつきあいのある高機能自閉症の青年が、「恋人がほしいんです。どうやったら恋人ができますか?」と、相談にやってきました。
まじめさが、時々強迫行為として表れます。思っていることが、なかなか言葉にできないくて、必死に話す彼の姿はひたむきともとれますが、日常会話では、ある「重さ」を周囲に与えてしまいます。仕事も一生懸命に続けている……
そんな彼の相談でしたが、相談を受けた先生は「今の君には、恋人を作ることは無理だと思う。だいたい恋人と一緒に過ごすことはわずらわしいことが多いものだよ。」とつい言ってしまいます。
現実的な視点を持ってほしい。良かれと思ってしたこと。
でも、いったいどういう権利があって、私たち周囲の人間が、一人の人間の夢を取り上げることができるのでしょう。人には多くの夢があり、その中には実現できずに終わる夢もあります。そういう夢を持つこと、その実現に努力すること、それ自体が大事なことです。パートナーのいる自閉症や知的障害の人たちの例はあるのです。
大事なことは、むしろ、事実に基づいた支援的な対応だったのかもしれません。
「それは実現するのがむずかしいかもしれない。でも、ほんとうに恋人ができるかどうかは誰にも分からない。もし、君が強く望むなら、そのためには練習したり学習したりしなければいけないことがたくさんありそうだよ。一緒に考え、練習しよう!」
そう今なら、言えるような気がします。その後で、彼が友達や恋人との付き合いに必要な具体的なことを学習し、実際に新しい人たちと出会えそうな機会を考えていくような援助をしていきたいと思っています。
最後に……
先生はこのような言葉で結んでいらっしゃいます。
第3部、特に
「第二次性徴における支援 〜 自分の身体を大切に扱う 〜」「第二次性徴における支援 〜 対人関係 〜」は、もっともっと発展していくテーマです。
しかし、このワークブックではここまででペンを置きます。
お子さんのセクシュアリティの広がり・深まり(だれもが性的な存在として生まれ、人生を謳歌すること)のために家族ができること、家族が学べることのはじめの1歩をワークブックに示したつもりです。
障害のあるお子さんの教育は、15才の義務教育終了や18才の高校卒業まででは十分ではないことを痛感しています。セクシャリティに関する教育はなおさらです。だって、初めて異性を意識したのが成人になってから、なんて例がたくさんあるのですから。
「ウチの子に性教育なんて必要ない。」「性教育は学校がやってくれるから十分。」そんなふうには考えずに、このワークブックを読んだあなたが、このワークを体験したあなたが、周りにいる大人の一人として、勇気を持って、氾濫する性情報の間違いを指摘し、セクシュアリティについて語りだして下さることを切に願っています。
プログラムの最後の最後で、修了証がいただけました。
先生がパソコンで作成して下さったんだと思います。それを受けとりながら、一人ずつ順番に「言ってもらいたいこと」を先生から自分に言ってもらうのです。例えば「がんばってるね」と言ってもらいたければそのことを先生に伝え、先生が「○○さん、がんばってるねっ」とおっしゃった後に、プログラムの参加者全員がそろって同じ言葉をかけてあげるのです。
10人のうち、2〜3人の方が「がんばってるね」もしくはそういったニュアンスの言葉がけを希望していらっしゃったのが印象に残ってます。
かくいう私もその言葉が真っ先に浮かんだのですが、せっかくなので楽しいことを言ってもらおうと思い、「カラオケに行こう♪」をリクエストしました。ホント、久しく行ってませんので……。
あっ、なんだか行きたくなってきました〜。
(レポート・完)
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