昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

「親」という専門家・1

個別懇談会の内容をアップしようと思っているのに、新しいネタが出てくるものだから、なかなか書けない。今回も、昇平のことと言うよりは、親である私自身と障害との関わりについての話。

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先日、とある講演会でこんな話を聞いた。
「最近、発達障害の世界で親たちが変わり始めている。専門家のような、ときには、専門家を超えるような知識さえ持つ知識を持って、専門家と同じ土俵に上がってくる親が増えてきたように思える。」と。
これを聞いて、私自身もそういう親のひとりに入るんだろうな、と直感的に感じた。
もちろん、自分が専門家に匹敵するほどの知識を持っているとは思っていないけれど、ただ、部分的には確かに、専門家とも対等に話ができるくらいの知識を得た部分はあるんだろう、とは思っている。昇平に発達障害があるとわかってから7年。その間、私はずっと、最新の知識や情報を求めて奔走を続けてきたわけだから。

講演会では、こんなことも危惧していた。
「そうやって、親が専門家化していくことが、親子関係の基礎を揺るがしていくような現象につながらないだろうか?」と。
「うちの子には○○障害があります。だから、××という問題行動を起こすんです」という親のことばに、親としての見方、親としての想いはあるのだろうか。どこか突き放したような、冷静で客観的なまなざしは、専門家のそれであって、親としての愛情あるまなざしとは違ってきているのではないだろうか・・・と。

私自身を振り返ってみた。
確かに、私は昇平の行動を見て、「ああ、これは衝動性から来ている行動だな」とか、「認知が悪いために、場面が読めなくて、こんなことをしているんだな」ということは、よく考えている。私自身は、多くの親たちよりなおいっそう、このあたりの視線は冷静で客観的だろうと思う。それは認める。
だけど。自分自身の内側を見つめてみて、もっと声を大にして言えることがある。
それは、「私は昇平の母親だ!」ということ。
冷静で客観的である自分と対をなすように、昇平がかわいくてかわいくてたまらない母親の自分がいる。取るに足らないような変化の中にも、昇平の成長を見つけて大喜びしている、親バカそのものの自分がいる。これはもう、理屈でも何でもない。親としての想い。親そのものの気持ちなのだ。

そもそも、私がなぜ専門的な知識を求めるようになったか。
それは、昇平が2才になる頃のことだった。
まだ、発達障害なんてことばも、ADHDとか自閉スペクトラム、アスペルガーなんてことばも、私は全然知らなかった。2才過ぎるのにしゃべり出さない昇平、猛烈にチョロ助で、片時も落ち着かず、危険で目を離せない昇平に、「他の子と何かが違う」と感じつつも、それが何かつかめなかった、あの頃。
台所で昇平が大パニックを起こした。それは、当時としては日常茶飯事のことだった。昇平自身が成長してきて、周囲の人に伝えたいことが内側にあふれてきているのに、それがことばにできない、伝える手段を持たない。自分の気持ちを理解してもらえない悔しさといらだちで、泣きわめき、地団駄を踏んで暴れ回る昇平を見て、母親の私は、身を切られるほど切ない想いでいた。
私はこの子の母親なのに、この子の気持ちをわかってやれない。
昇平に表現する力が足りないことはわかっていた。だけど、せめて「アー!」という一声でもいい、ほんのちょっとした視線やしぐさでもいい、何か気持ちを示す手がかりを与えてくれたら、私は、それを一つだって見逃さないでつかまえて、この子の気持ちを理解してあげるのに。・・・そうしようとしてあげるのに!
私は、昇平を理解したかった。その想いを受け止めてあげたかった。なぜしゃべれないのか、なぜこんな行動をするのか、どうしたら昇平もみんなも、もっと楽しく楽に暮らせるようになるのか・・・それが知りたかった。どうしても、知りたかった。
昇平がADHDかもしれない、とわかった時、やっと、そのための手がかりを得た、と思った。日本としては、ようやくNHKでADHDが特集されて、そういう障害があるのだ、という事実が知られ始めた時期で、まだ書店にもどこにも、それに関する本や情報は並んでいなかった。その中で、ちょうどタイミング良く始めたインターネットが、私の前に最新の情報を提供してくれた。私は毎日のようにネットの中をさまよい、自分の子育てに必要な知識を追い求めていった。
・・・そして、現在に至る。

親の会で懇親会を開いて、他の親たちと話すと、確かに私は普通の障害児の親たちよりも知っていることは多いな、と思う。単なる知識という面だけのことだけれど。いろいろと幸運な巡り合わせもあって、確かにかなり専門的な知識も持っているのかもしれない、とも思う。範囲は限定されてしまうけれど。
だけど、私は自分を障害の専門家だと思ったことは、一度もない。
スタートラインが違うのだ。
私は、我が子のために、昇平のために障害について知りたいと思い続けてきた。それは、昇平がろくにしゃべれなかった2才の頃も、一通り流暢に話せて、自分の想いも今日あったことも自分のことばで話せるようになった10才の今も、まったく変わらない。
私は、昇平のために、障害の知識が欲しかった。
これは、親としての想い以外のなにものでもないよなぁ・・・と、講演を聞きながら考えていた。
(つづく)

[05/12/12(月) 11:07] 講演 療育

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