「勇者フルートの冒険」
時々ここにも書いているけれど、私は昇平が小学生の頃から自作のファンタジーを彼に読み聞かせしている。「勇者フルートの冒険」というのがそのタイトル。
最初に寝物語に語ったのが1年生の時だったから、もう6年間も続いたことになる。他愛もない即興ファンタジーだったのが、今では非常に長くてシリアスな物語になっているけれど、それでも夜寝る前の楽しみとして読み聞かせは続いている。今読んでいるのは、10話目の「神の都の戦い」。宗教がテーマなので、少し難しい部分もあるけれど、なんとかついてきている。
主人公はとても小柄で少女のような顔をした勇者の少年。優しすぎるために命が危なくなることもたびたび。その仲間になっているのは、異種族の血が混じっているために仲間からのけ者にされているドワーフの少年や海の王女、魔力が強すぎるために仲間からも恐れられている魔法使いの少女……。
昨夜、そんな主人公たちに思いめぐらしていた昇平が、急にこんなことを言い出した。
「フルート(主人公の名前)たちって、なんだか俺と同じ障害者みたいだな」
自分に障害があるのだとわかってから、昇平は時々、自分を「障害者」と呼ぶようになっている。その使い方はまだまだあやふやで、自分や障害を完全に理解しているわけではないけれど、とにかく日常に大きな困難を抱えているものは障害というらしい、ということはわかってきている。この時も、生まれと能力に偏りのある主人公たちに自分自身が重なって、こんな言い方になったようだった。
私は障害ということばを話の中で使うのはあまり好きではないので、「ハンディキャップ」と言い替えて答えた。
「そうだね。ある意味、そうかもしれないね。フルートたちはみんな、それぞれいろんな偏りがあるから、それはハンディキャップになってるかもね」
すると、そういう偏りがなくなればいいのに、というようなことを昇平が言った。力が平均的にあって、優しすぎたり乱暴だったりしないで、みんな普通だったら幸せになれるのに、と。
うーん……それは確かにそうなのかもしれないけどね。ひとつだけ、確実に言えることがあるよ。それはね、もしもフルートが昇平くんの言うような普通の子だったら、絶対に勇者にはならなかった、ってこと。そして、他の子たちだってフルートの仲間にはならなかったってこと。
フルートたちは、できることとできないことの差がとても大きいから、困ることもあるけど、その代わり、できることだって大きいよね。仲間同士でその力を出し合って、助け合って敵と戦っているんだよ。もし、そういう偏りがなかったら、それはその辺の町や村で暮らしている、ごく普通の子どもたちだってこと。物語の主人公にはなれなかったよね。
すると、それを聞いて昇平が言った。
「フルートたちって、本当に俺みたいだな。俺が物語の中に出てきているのか?」
おや、鋭いね。そうだよ。昇平くんも出てきているよ。昇平くんだけでなく、お母さん自身も、お母さんが知っている他の人も、それぞれ少しずつ物語に出てきているけどね。
人間はみんな、得意不得意が違うから、できることとできないことがあるんだ。そういう人たちが集まって、みんなで協力し合うから、いろんなことができるようになるんだよ。昇平くんだって、そうなんだ。フルートたちと、本当に同じなんだよ。
私は自分で小説を書き、それを我が子に読み聞かせ、その中に込めたメッセージを我が子に伝える。その面では非常に特殊な子育てをしている、と自分でも思う。
でも、他の本はほとんど読まない昇平が、母の作った物語なら飽きることもなく聞いてくれる。けっこう難しいテーマも取り上げるのだけれど、彼なりの力で理解しようとする。社会や物事を理解することが大変な彼に、一つでも二つでも、理解に役立つ道があるならば、私はそれをやっていきたいと思う。
昇平のために作り始めた物語。今はもう、昇平だけのために書いているわけではないけれど、昇平のためにも書いている。
どうか伝わるように。母の想い、母の願い。
君たちは「できそこない」なんかじゃない。力に偏りがあるならば、他の人と協力してそれを生かす道を見つけていけばいい。
そうやって人間は生きてきた。これからだって生きていく。
母は、ずっとそんなふうに考えているよ――。
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「勇者フルートの冒険」 http://asakuratosho.sets.ne.jp/tosyo/flute-index.htm
[08/12/03(水) 19:12] 家庭