昇平てくてく日記3
中学校編
がんばることは誰にでもできる
3年生になって、昇平は毎日本当によくがんばっています。
彼の今の一番の目標は「自己コントロール」。1年生から2年生にかけて、自分をコントロールできなくて、パニックになって暴れたり騒いだりしたので、「もうあんなことはしたくない」と本人自身が強く強く思っているようです。
まだ友だちが起こす騒ぎに巻き込まれて、友だち以上に興奮してしまったり、難しい学習内容に突き当たってかんしゃくを起こす、という場面はあるようですが、ひとつひとつが以前より穏やかになり、「あ、こんなことを言っては(やっては)ダメなんだった」と自分で気がついて、短時間で立ち直るようになっています。
自分でもそんな自分を「よくやっている」と感じているようで、顔つきにも行動にも自信が現れてきました。いい顔になってきています。
勉強もとてもがんばっていて、学校の授業はもちろん、帰宅してからも毎日1時間、きっちりと家庭学習を積み重ねています。
それでも、本来の能力の弱さ、ADHDから来る不注意などのせいで、テストをすると点数は思ったようには取れませんが、確実に学力は伸びてきているのではないかと思います。
そんな昇平を周囲の大人たちもほめてくれます。点数ではなく、がんばっている昇平の姿をほめてくれるのです。
それを見ていて、思いました。
人の持つ能力は一人ずつが違っていて、勉強のできる人できない人、運動の得意な人不得意な人、話の上手な人下手な人――いろいろな人がいるのだけれど。
でも、がんばることは、誰にでもできるんだよね、と。
どんなに持って生まれた能力に違いがあっても、困難を抱えていても、自分の能力を使って向上しようとすることは、誰にでもできることです。そして、できなかったことができるようになったときには、誰だって、たくさんほめてもらえます。それは、どの人にも平等な可能性であり、平等な権利です。
そういうがんばりをほめられる大人や社会でなくちゃいけない、とも思います。結果ではなく、そこへいたる過程を重視しなくちゃいけないんですよね。心の成長のためには。
大勢の周囲の人たちに認められ、ほめられ、支えられ教えられて、昇平は今日もがんばっています。
体だけでなく、心も大きく成長してきているのを感じます。
将来、社会の一員として生きていけるようになるために。
今日も、昇平はがんばり続けてます。
[10/05/26(水) 10:39] 学校