昇平てくてく日記3

中学校編

昇平3行日記・22

※全然3行で収まっていない3行日記。


2月21日(月)
 昨夜、昇平はなかなか寝付けなかった。就寝が12時半近かったので朝起きられるか心配したが、落ち込みも不安定もそれほどひどくならなかったので、安心した。自転車で登校。遅刻の時間ではあったけれど、先週一番早かった日より、さらに5分早く出発することができた。
 学校では休憩を取りながら学習をして、穏やかに過ごしていたらしい。

 私は午後3時から3学年のPTA集会。卒業式や卒業記念品の連絡があった。卒業式まであと3週間。本当にもう少しになった。
 集会の途中、昇平から携帯に電話やメールがあった。内容は大したことではなかったけれど、そうやって自分の携帯を使えたことが嬉しかった。土曜日に一人で福島駅に行かせても大丈夫そう。

 帰宅後も落ち着いて過ごしていて、夜は11時頃に就寝した。

−−−−−−−−−−−−−−−

2月22日(火)
 今日は卒業式の練習があるので、「L子さんがまた騒ぐのでは」と心配して、また登校しぶりがひどかった。8時にやっと家を出発。それでも自分で自転車で学校へ行くのだから、よくがんばっている。

 午後1時頃、学校の昇平から「不安になってきちゃった」と電話がかかってきた。話を聞き、薬を飲んで参加して、もしもつらいようなときには、式の練習の途中でそっと抜け出すように、と話して聞かせたら、「わかりました」と電話が切れた。

 次に電話がかかってきたのは、午後2時半頃。副担任の岩沢先生からで、「卒業式の練習中、昇平くんがパニックを起こして、かなり興奮しているので、お母さんが来てもらえますか」と言われ、仰天して学校へ飛んでいった。

 学校へ行くと、昇平は教室で大泣き。顔や手には、先生方が必死で抑えたらしい痕が残っていた。眼鏡も少し歪んでいた。
 本人や先生方から何があったか聞いたところ、今日は昇平だけでなくL子さんも練習に参加。L子さんがひどく不安がっているのを昇平が気にして興奮状態になり、ちょっとしたきっかけで大パニックを起こして、先生方に取り押さえられたのだとわかった。
 L子さんのほうも、興奮した昇平に暴言を吐かれて大泣き、保健室に行っていたので、そちらへ出向いて彼女の話も聞いた。脚に火傷をしていたりして体調的に良くなかったこともあるようだが、なんと言っても受験や卒業、卒業後への不安が非常に強くて、こちらもとても不安定な状態だった。「式の練習が怖くて怖くて」と心情を話し、それでも「昇平くんをパニックにさせてしまってごめんなさい」と謝ってくれた。双方の気持ちがなんとも切なくて、私も涙が出そうになってしまった。

 その後、L子さんは下校。その頃には昇平もだいぶ落ち着いたので、自転車で先に家に帰して、私は眼鏡を修理に出すのに眼鏡屋に寄った。すると、昇平は途中でL子さんに追いついたようで、「そこで謝って仲直りできた」のだと、帰宅してから報告してくれた。

 仲直りできたのは良かったけれど、問題は、卒業式の練習のたびに昇平が不安になり、またパニックを起こすかもしれない、ということ。L子さんのほうも、回数を重ねて練習しなくては恐怖は消えない。その間、どうしてもまた不安定になるだろうし、声を出してしまうこともあるだろう。昇平は先週火曜日の経験があまりに衝撃的だったので、「L子さんは前回より落ち着いてきているから大丈夫なんだよ」と言っても、それが実感できなくて、彼女が少しでも騒げば「まただめだった!」と思うだろうし。
 どうしたらいいか考えて、L子さんと昇平の二人分の「卒業式マスターシート」というのを作ってみた。「体育館に入ることができた」「自分の席に座れた」「式の途中まで椅子に座っていられた」「練習の最後まで椅子に座っていられた」……と式に参加するために身につけることを10項目ぐらい表に書いて、練習のたびに、できたところへ○を、完璧にできたところへは◎をつける。L子さんの前回と今回の様子を、昇平と確認しながらチェックしてみると、前回は○がひとつもなかったのに、今回は4つもついていた。「こんなふうにちゃんとできるようになってきているんだから、大丈夫なんだよ」と昇平に視覚的に説明して聞かせた。
 ちなみに、昇平のマスターシートは、がんばる内容がL子さんとは違うので、前回○3つ、今回は2つという結果になった。
 これを連絡帳を通じて担任にお渡しすることにした。L子さんが嫌がるときには使えないけれど、少しでも「がんばることの具体的な目安」や「成長の目安」になって、二人の恐怖や不安が減っていけば、と思っている。

−−−−−−−−−−−−−−−

2月23日(水)
 昇平は昨夜寝る前から不安定で、今朝も起きたときから不調。8時前にはなんとか家を出たが、学校では1校時目から3校時目までずっと寝ていたらしい。4校時目は交流学級で理科だったが、これも寝ていたのかもしれない。
 昨日の大パニックについては、なんとか少しずつ整理がついてきて、「昨日はたまたま起こしてしまったけれど、最近はパニックを起こしてなかったよね(=全体的にみればパニックは少なくなっていたよね、という再確認)」「L子さんをぼくのパニックから守らなくちゃ(=ぼくはがんばって自分をコントロールしなくては、という決意)」などということを言っていた。
 修理に出した眼鏡は、下校途中で眼鏡屋に回って、自分で受けとってきた。昇平なりの責任の取り方だったのかもしれない。

 私は、夕方4時半から、スクールカウンセラーのA先生との面談があった。合格の報告をしてこれまでのお礼を申し上げると、A先生もとても喜んでくださって、「小学校からずっと見てきた昇平くんが、とうとう高校生ですか!」と感無量の様子でいらした。
 中学校3年間は親も子も本当に大変だったけれど、2年生からはA先生がスクールカウンセラーだったので、本当に大きな支えになっていただいた。「お母さんとお父さんが昇平くんを支え続けた努力の成果ですよ」と何度も誉めていただいたけれど、その私たちの心を支えてくださった大きな柱がA先生だった。いくら感謝しても感謝のことばが尽きないし、お別れするのも名残惜しい思いだった。

 A先生が来年もこの中学校のスクールカウンセラーかどうかは、今はわからないけれど、できればまだまだいていただきたいと思う。そして、この後、小学校から入ってくる昇平の後輩たちの、力強い味方になっていただきたい。
 中学校に望みたいのは、どうかこのカウンセラーをもっと上手に活用してください、ということ。先生方は、スクールカウンセラーの活用の仕方がよくわからないのじゃないだろうか? 不登校や悩みのある子どもや保護者をカウンセラーのところへ送るだけでなく、もっと積極的に「自分たちには何ができますか?」「どういう方法がありますか?」と聞きに行ってほしいと思う。発達障害や特別支援は、担任一人の能力や資質でどうにかできるほど生やさしいものではない。子どもが不登校や深刻な問題を起こすようになる前に、子どもに関わる先生方みんなで「この子にはどう対応するのがいいだろうかと相談する」。それが本当の特別支援教育だと思うし、そのための体制が学校の中に必要なのだと思う。
 これからの、日本中の中学校の課題だ。

−−−−−−−−−−−−−−−

2月24日(木)
 今日はまた4校時目に卒業式の練習があるので、登校しぶりがひどかった。お腹が痛い、とも言っていたが、いろいろ話すうちに少し元気になり、7時45分頃に登校することができた。
 学校では朝からL子さんが練習に参加できるかどうかを心配し、2校時目の終わり頃からまたお腹が痛いと言い出して3校時目から保健室で休養して、結局昇平は練習に参加しなかった。
 帰宅後もずっと腹痛がしていて、夕食はある程度食べたが、パソコンもゲームもまったくしないでファンヒーターの前に横になっていて、夜7時半には布団に入って眠ってしまった。
 この症状は、完全にストレス性の腹痛だろう。卒業式の練習(でL子さんが騒ぐこと)が不安で、自律神経がおかしくなって、とうとう体に出てきたのだと思う。疲れもたまっているようなので、明日は学校を休ませることに決めた。

 ただ、療育掲示板に2年前までお世話になっていた家庭教師のF先生から合格お祝いメッセージが入っていて、それを読んで聞かせたときには、にっこりと嬉しそうな顔をしてうなずいていた。
 家庭教師、スクールカウンセラー、フリースクールの先生、ネットを通じて知り合った本当に大勢の人たち……たくさんの人たちが応援してくださったから、昇平も私たちも、なんとかここまで来ることができた。これが学校と家庭だけの世界だったら、昇平は絶対にもっと酷い状態になっていただろう。本当に本当に、ありがとう。これからも、応援をよろしくお願いします。

−−−−−−−−−−−−−−−

2月25日(金)
 腹痛のため、学校を欠席。
 昇平自身は、たっぷり眠ったし学校も休みということで、腹痛も治まり、朝食にお粥と半熟卵をぺろりとたいらげた。
 午前中はベッドでおとなしくしていたが、元気が出てきて顔色も良くなったので、午後からは起き出し、パソコンやゲームをしていた。この様子なら明日の福島駅への外出もOKと判断。ただ、夕方になったら疲れが出てきたのか、また不安定になってきたので、夜は早めに休ませた。

−−−−−−−−−−−−−−−

2月26日(土)
 朝7時にすっきりした顔で起きてきて、予定通り、ひとりで電車に乗って福島駅へ出かけていった。
 昇平がひとりで公共機関を利用して外出するのは生まれて初めて。ひとりで福島駅まで出かけるのも生まれて初めて。何度も私と電車に乗って練習してきたけれど、自分ひとりでもはたしてちゃんとできるかどうか。昇平もドキドキだったけれど、親の私もやっぱり心配で、無事に福島駅に着いたと携帯から電話をもらったときには、本当にホッとした。
 その後、昇平は歩いて高校まで行ってみてから、また駅に戻ってマクドナルドでお目当てのポケモン「ゾロアーク」をDSにダウンロードし、ゲーセンで遊んでから、再びマクドナルドに行って昼食を食べ、1時過ぎの電車に乗って帰ってきた。駅に降り立った昇平に「やったね!」と声をかけると、得意そうに、にやっと笑い返してきた。

 今回の外出には、新しく買った携帯が大活躍だった。
 昇平は要所要所では電話をかけてきて「今、高校へ歩いているよ」とか「ポテトとハンバーガー美味しいよー」などと報告。また、帰りの電車に乗ったところ、切符に降りる駅名が書いていないことに心配になって、携帯で写メを送ってきた。カメラ機能の良い携帯なので切符の文字がはっきり読めて、正しい切符を買っていたことが判明。一安心、という場面もあった。
 また、昇平の携帯にはGPS機能がついているので、私は何度も所在地を確認して、位置ナビの精度をチェックした。駅ビルの中や移動中、特に電車で移動している最中は誤差が大きかったが、電車が駅に止まっているときには、非常に正確に位置が出ていて、この後、例えば昇平が迷子になったときにサポートする参考になった。

 昇平はさすがにくたびれたようで、夕方から「疲れた」を連発。精神的にも少し不安定になってきたので、薬を飲ませて、早々に休ませた。

−−−−−−−−−−−−−−−

2月27日(日)
 昨日、一人で電車で福島まで行けたのが自信になったのか、一日中とても調子が良かった。
 朝は自分で6時過ぎに起きてテレビを観て、朝食の後にwii-fit。10時からは家庭教師と数学を勉強したが、黙々と取り組んで、予定より10分も早く問題を終わらせてしまった。その後は自転車で床屋へ散髪に。
 午後はアニメ「ポケモン」を見て、私と買い物に行き、ゲームを楽しみ、イラストを描き、夕方になって人恋しくなって、夕飯の支度をする私のそばに貼り付いていたけれど、その間もずっとゲームのことやアニメのことを賑やかに話し続けていた。夕食後は私とオセロやジェンガのゲームをした。

 時折、嫌なことは思い出すのだけれど、そこから気持ちを切り替えるのに「おおっと」(某RPGの有名なセリフ)と言うことにしたようで、夕方以降、しょっちゅうそれを口にしていた。本当にそれで気持ちが切り替わって、薬は飲まずにすんでいた。「おおっと、フラッシュバック」とつぶやいて、にやっと笑っている昇平が、ちょっと頼もしかった。

 ただ、夜寝る直前になると学校を思い出して不安定になり、10時半に布団に入ったものの寝付けなくて、就寝は11時半頃になった。

−−−−−−−−−−−−−−−

☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」



[11/02/28(月) 08:51] 3行日記

[表紙][2011年リスト][もどる][すすむ]