昇平てくてく日記3

中学校編

昇平3行日記・23

※全然3行で収まっていない3行日記。


2月28日(月)
 起き抜けから「嫌なことを思い出した」と言ってリスペリドンを飲んだけれど、雪で学校まで車で送ったので、遅刻はしなかった。
 学校では、担任はお休みだったが、卒業式の練習もなく、意外なくらい元気な顔で帰ってきた。夕食後は私とオセロやジェンガ。ただ、明日は卒業式の練習があるので、それがプレッシャーになって、次第に不安定に。「疲れた」を連発して8時前からファンヒーターの前で横になり、お風呂に入った後、9時半にはもう寝てしまった。

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3月1日(火)
 今日は雨。朝から、卒業式の練習でL子さんが騒ぐのではないか、ととてもナーバスになっていて、ことばでいくら説明しても入っていかないので、メモ帳にイラストを書いて、練習を重ねるとL子さんも次第に慣れて大丈夫になることを説明した。「実際に練習に参加して、L子さんが大丈夫になってきているのを確認してちょうだい」と話すと、「わかった、確認してくる」と意を決して登校していった。
 担任は今日も家庭の都合でお休み。L子さんは登校していたが、結局卒業式の練習には参加できなかったらしい。昇平は練習に参加して、「入退場では手の振りも大きくてとても上手です」と副担任から誉められてきた。しっかり練習できたので、昇平は自信を取り戻した顔をしていたけれど、L子さんのほうはどうなるのかな。本人がどうしてもできないときには、無理に参加する必要はないわけなのだけれど……いろいろ思うと、私も心境複雑。
 
 学校の美術の授業で作った「ドリームランプ」を持ち帰ってきた。和紙で作ったランプシェードで、添付の三色LEDライトを入れると色が変わってとても綺麗。家族みんなから「良くできているね」と誉められていた。
 家では落ち着いて過ごして、10時頃就寝。

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3月2日(水)
 朝からまた不安定。自転車で行く、と言っていたが、結局なかなか動き出せなくて、私が車で学校まで送った。午後には3年生を送る会と謝恩会があり、昇平は担任に感謝の手紙を読んで花を手渡したらしい。楽しい会だったようで、いい顔で下校してきた。

 このところ、毎日夕食後には私とオセロとジェンガをしている。昔は飽きて待っていられなかったこの手のゲームにも、いつの間にかしっかり取り組めるようになった。「パソコンや携帯ゲームじゃない、こういうゲームも楽しいね」と昇平。そうでしょうとも!

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3月3日(木)
 冬に逆戻りしたような、寒い桃の節句。昇平も自転車ではなく、私の車で登校した。

 その後、私は親の会の支部例会で、隣町の保健センターへ。支部代表の役目を若いお母さんたちへバトンタッチして、来年度から私は支部のアドバイザー役になることになった。新しい力が育ってきてくれたことも嬉しいし、なんと言っても、会全体の雰囲気が和やかで、しかも活気があるのが嬉しい。お母さんたちが元気をもらって家庭に戻っていける場所であるように、と思いながら運営してきたけれど、それがちゃんと機能している気がする。新しい力を得て、来年度はいっそう充実した支部活動ができますように。

 と嬉しく思いながら、数人のお母さんたちとランチに出かけたところ、1時過ぎに学校の昇平から電話。午後から卒業式の予行練習があるのだけれど、L子さんがまた練習に出ないと騒いでいるのだと、涙で訴えてきた。練習を重ねればL子さんも卒業式に参加できるんだよ、と昇平には教えてきたけれど、「今週になってL子さんは一度も練習に出ていないんだよ」とも言う。
 とにかく昇平は予行練習に参加するように。それが終わったら、迎えがてらお母さんが先生と話をしてあげるからね、と話して電話を切った。
 急いでランチを終え、若干の用事をすませてから帰宅。それから間もなく昇平から迎えの電話がかかってきたので、また学校へ出かけ、昇平を車の中で待たせて担任と話し合いに行った。

 教室にはL子さんもいたので、まず彼女から話を聞いた。「また騒いじゃって、昇平くんに迷惑かけてしまってごめんなさい。明日の予行練習では必ず騒がないようにしますから。絶対にパニックをコントロールしますから」悲愴な顔で繰り返す彼女が、本当に、涙が出そうなくらい痛々しく見えた。そんなにがんばらなくていいんだよ。自分にできるところをがんばれば、それでいいんだよ。心の中で繰り返してしまう。自分に無理なことをがんばっても、絶対できるようにはならないし、そのことでまたいっそう自信をなくしてしまうのだもの。

 L子さんが下校してから、担任と話し合った。
 卒業式本番まで、練習はあと2回だけ。その回数では絶対参加できるようになりません。別室で卒業式に参加することはできませんか、と尋ねると、体育館に隣接してミーティングルームがあり、そこの窓から体育館の様子が見えるのだという。今日も、パニックが落ち着いてから、L子さんはそこで練習を見ていたのだというし、卒業式当日も、万一参列できないときには、ミーティングルームで参加する段取りになっているのだと聞かされ、万が一ではなく、もうそれを本番当日の形にしてください、とお願いした。
 例え体育館ではなく別室にいたって、同じ話を聞いて同じ時間を過ごすことができれば、それで立派に卒業式に出席したことになる。皆と同じ場所で同じことをすることが卒業式じゃない。3年間この学校に通って学び、卒業の時を迎えたんだ、と実感するためのセレモニーが卒業式。自分に合った形で参加して、卒業を実感できれば、それで良いのだもの。

 話し合いを終え、車に戻って昇平にその話をすると、「L子さんはミーティングルームで練習に参加していたんだ! 全然知らなかったよ。良かった!」と自分のことのように喜んで、その後はとても明るい表情になった。昇平は昇平で、なんとか彼女に卒業式に出てほしいと思って心配していたのだよね。

 卒業式まであとちょうど一週間。
 昇平は体育館で、L子さんはミーティングルームで、それぞれにあったスタイルで卒業式に参列してから、皆に送られて学舎(まなびや)を後にすればいい。それこそが、本当の特別支援なんだと思う。

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3月4日(金)
 今朝もまた雪。学校まで車で送った。起きたときには「怖い」と言って不安が強かったけれど、大好きなポケモンの質問をしたのをきっかけに、とても元気になって、明るく登校していった。午後からは卒業式の練習があったが、回を重ねるにつれて、ずいぶん上手になってきたらしい。L子さんのほうはミーティングルームで練習に参加。昇平はとても安心した顔をしていた。

 私は明日の総会の準備で超多忙。昇平をあまりかまってあげられずにいたせいか、夜寝る時になって、昇平が非常に不安定になってしまったが、一緒に寝ながら来週末の温泉旅行の話をしてやったら、それで気持ちが切り替わって、落ち着いて就寝した。
 まだ不安定の波は来るが、気分の切り替わりも上手になってきて、元気が出てきたように見える。

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3月5日(土)
 『とーます!』の学習会と総会のために福島市へ。昇平も一緒についてきて、一日他の子やボランティアのお姉さんたちと遊んでいた。途中、T君と喧嘩になったりもしたが、ちゃんと仲直りできたらしい。

 『とーます!』は今まで「福島AD/HDの会『とーます!』」というのが正式名称だったのだけれど、時代の流れに合わせて「発達障害支援の会『福島とーます!』」という名称に変わることになった。実際、AD/HDだけの純粋な特徴の子どもはほとんどいなくて、昇平のように広汎性発達障害(PDD)が重複していたり、学習障害(LD)などの特徴も持っていたりするケースが大半。すべてひっくるめてを発達障害と呼び、その中にそれぞれの特徴がある、と捉える方が現実的に思える。
 私が支部代表からアドバイザーになったのと同じように、会を立ち上げてずっと代表でいたYさんも、次年度からは運営顧問になる。『とーます!』設立当時からのメンバーは本当に少なくなってしまったけれど、我々の子どもたちが義務教育を終える歳になって、会の中心を次の世代のお母さんたちに譲っていく時期になったんだなぁ、としみじみ思った。

 総会後は運営委員会もあって、会場を出たのが4時半近くになったが、昇平は一人でも文句を言わずにおとなしく待ってくれていた。

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3月6日(日)
 昇平は朝7時半に起床。私とアニメ「ポケモン」を見て、10時からは家庭教師と学習。今、昇平は本当にポケモンに夢中で、勉強しながらもすぐポケモンの話題を始めているらしいが、H先生は上手にそれを流しながら指導してくださっている。本当は友達とそういう話をしたいのに、友だちが周りにいないから、話を聞いてくれる先生相手に夢中で話しているのだよね。卒業すればフリースクールを利用し始めるし、そこで友だちがたくさんできるはずだから、そういう場所で好きな話がたくさんできるようになるといいね。

 夕食前にかなり長い時間昼寝をしたが、夜も11時には就寝。一日中穏やかに過ごしていた。

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☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」
 http://ley.cocolog-nifty.com/da_silver_zone_/


[11/03/07(月) 09:14] 3行日記

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