昇平てくてく日記3

中学校編

昇平3行日記・27+震災日記・4

※3行(以上)の記録で振り返る、震災後の4月の昇平の様子。詳細はブログ「そっと、ひとりごと」の大震災日記にて。



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://asakuratown.sets.ne.jp/bokin/bokin-onegai.html



4月1日(金)
 震災から3週間が経過。近所の人が取り壊した倉の瓦をくれるというので、義母と昇平と3人で、貴重なガソリンを使ってもらいに行った。早起きさせられたこともあって、昇平は非常に機嫌が悪かったが、そこへフリースクールのS先生から電話がかかってきて、明日、私と一緒にスクールへ行けることになって、いっぺんで元気になってしまった。その後、外を掃除していた私のところへ、「早く来て! ぼくのパソコンから煙が出てきた!」と飛んできたので、大あわてで駆けつけたら、モニターに昇平の文字で「うそだよ〜ん」と書かれていた。今日はエイプリルフールだった。

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4月2日(土)
 再開の話し合いのために、隣町のフリースクールへ。同様にここを利用しているSさんもお嬢さんを連れてきたので、昇平と二人、久しぶりの再開を喜んで、仲よくポケモンで遊んでいた。S先生の話によると、やはり今の建物はもうフリースクールとしては使っていけない、とのこと。移転先の物件探しは、同じ町内に住むSさんやKさんが、募金のお願いはネットに知り合いの多い私が、それぞれに協力していくことになった。その後、子どもたちが遊び足りなかったので、Sさんのお宅にお邪魔して、4時まで遊んだりおしゃべりしたりしてきた。本当に、一日も早くフリースクールが始まって、またこんなふうにみんなで会えるようになるといいね。

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 フリースクールの入口へ至る階段の支柱。激しく揺すぶられて根元で半分折れている

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 フリースクールの内部。戸棚などは戻してあったけれど、まだめちゃくちゃだった。

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4月3日(日)
 日曜日なので8時に起こし、9時からアニメ「ポケモン」を見て、10時からは家庭教師のH先生と勉強をした。久しぶりにH先生の元気なお顔が見られて、私もなんだかとても安心した。震災前の日常が少しずつ戻ってきているけれど、この日も夕方に震度4の余震が来て、揺れ方が3月11日の地震にそっくりだったので、私も昇平も怖くなってしまった。なかなか落ち着けないなぁ。

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4月4日(月)
  フリースクールへの支援をお願いした、アメリカの障害児・者支援団体PHPのK.W.さんから、国際電話をいただいた。発達障害を持つ子どもたちが、学校の中で適切に対応されないために不登校になっていく話をすると、「学校に言語療法士や行動療法士が入って、早くから子どもたちを支援していけば、後が全然違うのに!」と、日本の現状に驚いていらした。フリースクール「みんなのひろば」のために募金活動を始めてくださるとのこと。遠い遠い海の向こうで……。ありがたくて、嬉しくて、涙が出そうだった。みんなの応援で、早く子どもたちを笑顔にしてあげたいと思う。

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4月5日(火)
 今日もSさんのお宅へ遊びに行った。お嬢さんのHちゃんがなかなか遊んでくれなくて、昇平が怒る場面もあったが、ゲームの遊び方を丁寧に教えてあげることで、仲よく遊ぶことができるようになった。こういうことは、同じ子ども同士でなければ学べない。同じフリースクールの保護者のKさんも来て、大人の私たちはスクールのこと、自分たちや知人の被災の様子、原発と放射能のことなど、いろいろ情報交換をした。

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4月6日(水)
 今月2回目の家庭教師との勉強日。20日からは高校が始まってしまうので、H先生との勉強もあと2回で終わる。我が家でも新しい生活が始まるのだけれど、登校に利用するつもりだった電車がまだ復旧していない。昇平とバスに乗る練習をしなくては、と思っている。日常は少しずつ戻ってきているが、昇平は時折むしょうに不安になったり、怖くなったりしているし、こちらで被災して埼玉の大学へ戻っていった長男も、最近夜眠れないとメールをよこした。震災から4週間。そろそろ心の傷が表面に出始めているらしい。

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4月7日(木)
 震災後初めての診察日。震災の前日に4週間分薬をもらっていたので、我が家では薬を切らさずにすんだが、親の会の仲間の話を聞くと、やはり子どもの薬にとても困ったという。今週に入って流通状況もよくなってきたので、薬もまた4週間分もらうことができた。ただ、診察途中でも昇平は「急に怖くなってきた」と言って、リスペリドンを頓服。主治医も看護婦も、ああ、やっぱり、という表情でそれを見ていた。この震災には障害のない人たちでもPTSDになっているけれど、発達障害を抱えているために精神的に脆弱なこの子たちは、いっそう強くその影響を被っている。この子たちの心のケアはこれからが本番なのだろう。

 そんな中、私の友人が昇平へポケモングッズをいろいろ送ってくれた。お菓子や、高校でも使えそうなデザインの文具やハンカチなどで、昇平は大喜び。あんなに嬉しそうな昇平の笑顔を見たのは、震災前以来だった。友人に心から感謝した。

 ところが、そろそろ眠りかけていた深夜11時32分に、また宮城県沖を震源とした巨大な余震。宮城県で震度6強、私たちが住んでいるこの場所でも震度5強の揺れに襲われた。すぐに丈夫な物陰に隠れたので怪我は全くなかったが、昇平がパニックを起こしてしまって、落ち着かせるのが大変だった。

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4月8日(金)
 昨夜の巨大余震のために、壁が落ちたりひびが広がったりと、家がいっそう傷んでしまった。人の心も激しいショックを受けて、今日は誰もが疲れ切った顔をしていた。昇平も「また大きな余震が来るかな?」と何度も繰り返して、私のそばからまったく離れられなくなってしまった。やっとガソリンが行き渡るようになり、物流も復旧してきて、それなりに商品も手にはいるようになって、元の生活に戻り始めたと感じられていた矢先だったのに。福島県は大半の地域で電気も水道も大丈夫だったが、一度回復したライフラインがまた停まってしまった宮城県の友人は、やはりものすごい精神的なダメージを受けていた。地震はもういい! もういらない!!

 それでも、私たちは毎日を生きていかなくてはならない。予約が入っていたので、午後には昇平と歯医者へ。
 親の会のメンバーには、震災後の子どもへの対応マニュアルというものを、メールで送信した。

「地震後の子どもの対応へのガイドライン」 (東京プレイセラピーセンター作)
 http://www.tokyoplaytherapy.org/resources/forparents0311.pdf

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4月9日(土)
 雨のち曇り。低気圧のせいか、巨大余震の精神的なショックのせいか、朝からずっと頭痛がしていた。片づけや掃除をする気になれなかったので、先日譲ってもらったパン焼き器で食パンなど焼いてみた。一度目は失敗だったが、再挑戦して、二度目には成功。
 ところが、夕方、昇平がまた動画で嫌なコメントを見てしまった、と言ってパニックになっていたので、こちらもとうとう爆発。泣いたり怒ったり怒鳴ったり……少し冷静になってからは、こんなにたくさんの人たちが応援してくれているんだよ、世界には優しい人のほうが多いんだよ、と話して聞かせたり。1時間くらいかかって、なんとか私も昇平も落ち着いた。ストレスフルな中、水でいっぱいになったコップに最後の水を入れられたように何かが起きると、とたんに切れて爆発してしまうのが私の癖。良くない、改めなくては、と思うのに、どうしても改まらない。そのたびに子どもたちをとても怖がらせてしまう。はぁ、落ち込むなぁ……。

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4月10日(日)
 昨日の出来事はショックだったけれど、昇平は自分なりに整理をして、前へ進む力に変えようとしていた。「お母さんもぼくも疲れていたんだよね」「あれは親子喧嘩だったんだよね。よくあることなんだよね」と、一日に何度も言う。嫌なコメントを思い出しそうになると、「この世界にはいい人も大勢いるんだよね」と言う。それでも夜になると嫌な考えに取り憑かれそうになるけれど、面白いイラストを描いて母子で大笑いしているうちに、嫌なことは忘れて元気になることができた。
 午前中はまた家庭教師のH先生がいらしたが、実際に勉強するより、話を聞いてもらう方に一生懸命だったらしい。H先生にもいろいろ助けていただいたけれど、次回でそれも終了。「あと1回で終わりか〜」と昇平が残念そうに言っていた。



【お願い】
 昇平が通うフリースクールの再開をご支援ください。
http://asakuratown.sets.ne.jp/bokin/bokin-onegai.html



☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」
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☆詳しい大震災日記はこちらで→「そっと、ひとりごと」
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[11/04/11(月) 13:59] 3行日記

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