昇平てくてく日記4

高校編

〔1〕高校開始

 昇平のてくてく日記〜高校編〜。
 おかげさまで昇平も15歳。この春から福島市内の単位制・通信制の高校に通い始めます。毎日学校があるわけではないので、学校のない日には市内のフリースクールを利用する予定でいます。
 このブログでは、毎日の記録を一週間ごとに更新し、何か特に感じることや考えることがあったときには、単発で記事を書いていく予定です。またどうぞよろしくお願いいたします。

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4月18日(月)
 20日に郡山市で高校の入学式なので、前日から私の実家に泊まって出席することにしている。制服がない学校なので、しまむらで買ったスラックスとワイシャツと白いベストに、旦那が使っていなかったえんじ色のネクタイを締め、サイズ違いで兄ちゃんが使わなかった靴を合わせたら――あらぁ、立派な高校生! 急に大人っぽく見えるようになって、びっくりしてしまった。
 昇平は現在身長172センチ、体重67キログラム。あの小さかったチョロ助がたくましくなったものだ、とつくづく思う。

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4月19日(火)
 朝、フリースクールの保護者のKさんから、「フリースクールの移転先が見つかったよ! 一緒に見に行かない!?」と電話をもらい、急きょ、郡山に行く途中で立ち寄ることにした。先生やもう一人の保護者のSさんとも待ち合わせ、新しい教室へ。
 行ってびっくり。ものすごく綺麗で新しい! しかもデザインがモダンで、明るくて、木のぬくもりもある! 耐震性もしっかりしていて、3月11日の大震災やその後の巨大余震にも、ほとんど傷んでいない。
 震災で先の教室が使えなくなってから、先生と保護者たちとで懸命に移転先を探し回ってきたのだけれど、その中で理解ある大家さんと出会い、「そういう活動をしているなら、ぜひ応援させてほしい」と、素晴らしい物件を格安で貸していただけることになったのだ。本当にありがたくて、涙が出そうな話だった。
 先の教室からそう遠くない場所だし、改装工事の必要もないので、移転費用は皆さんからいただいた募金で賄えそうな様子。ご支援くださった皆様、本当にありがとうございました。
 もちろん、フリースクールの機能を考えれば、パソコンやテレビ等、壊れた物がたくさんあるので、完全復旧にはまだまだ資金も時間もかかるのだけれど、とりあえず場所が決まったことで、一気に見通しが明るくなった。

 その後、私たちは自家用車で郡山の私の実家へ。途中、土砂崩れの工事中で対面交互通行になっている場所に驚いたり、路面の荒れた道路にあわててスピードを落としたり。我が家同様、屋根にブルーシートをかけている家もたくさん見かけた。福島県内は、中通りでも震災の爪痕はまだ深い。
 実家では私の妹たちも子どもたちと一緒に来て、久しぶりに皆で食事をした。本当はあの震災の翌日に温泉で両親の金婚式祝いをするはずだったから、ささやかながら、その埋め合わせという感じだった。昇平は、お祝いに描いたイラストの額縁を、おじいちゃんたちに渡していた。

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4月20日(水)
 郡山市内のホテルで高校の入学式があった。
 通信制の高校なので、生徒は県内全域にいるし、二期制なので入学式も年に2回行われる。この春入学した生徒は140名ほどいるらしい。式にふさわしい恰好をしてくるように、と連絡があったので、スーツを着ている子は多かったが、中にはジーパンにシャツの普段着だったり、いかにもパンクな恰好の子もいたり。髪を染めている子、ピアスをしている子は男女ともけっこういたし、化粧をバッチリ決めてくる子もたくさん。なるほど、普通の全日制高校とは違うな〜、とつくづく思った。
 けれども、式が始まると、どの子も司会の指示の通りに起立するし礼をするし着席する。来賓の話もちゃんと聞いているし、勝手な行動もしていない。ちょっぴり不満そうな顔をしている子たちはいるけれど、それでも素直で穏やかだ。
 通信制の高校は、自分から学校に行きたいと思う子どもたちが行く学校。少なくともこうして入学式に出席しているということは、学校で学ぶ気持ちがある、ということだ。恰好はさまざまでも、学びや卒業に対しての志は高い子が多いんじゃないか、と思った。子どもたちを見る先生方のまなざしも温かくて、ああ、良い学校だなぁ、と改めて感じた。きっと昇平にも合っているんじゃないだろうか。

 夕方4時半に自宅に帰り、夕食はお寿司で入学祝いをした。卒業式の日が大震災で卒業祝いができなかったから、その分も一緒だった。友人のSさんからは入学祝いのお菓子やゲームが届いていて、昇平はこれにも大喜び。不安が吹き飛び、明日のプランニング(時間割作成)を心待ちにするようになった。

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4月21日(木)
 いよいよ高校開始。
 利用する予定で練習してきた電車が、震災の影響でまだ不通なので、バスで登校するしかないのだが、昇平はずっと自家用車で移動してきたので、バスの乗り方がまだよくわからない。余震もまだ多いので、強い地震が起きれば、交通網が混乱したり携帯がつながらなくなったりする可能性もある。あまりにも不安要素が多いので、当面は私がバスでの登校に付き添うことにした。先日買ったICカードを使えば、バスの乗降はカードをかざすだけ。「便利だね」と昇平は大喜びだった。

 初日の今日は高校の入口まで送り、私は駅に引き返して、喫茶店で昇平の帰りを待った。プランニングが終わったら携帯にメールするように言っておいたら、2時間後、「終わったけど、話が全然聞き取れなかった」とメールが来た。やはり教室全体に向けた話は聞き取れないらしい。それでもなんとかプランニングはやってきたようで、教科書代の振り込み用紙ももらってきて、一安心した。

 学校の帰り道にバスを途中下車して、フリースクールの引っ越しの手伝いに行った。子どもたちと保護者が、朝から手伝いに来ていた。昇平も古い教室からソファを抱えて新しい教室へ。いよいよ新しい場所で再開できるというので、どの顔も生き生きと嬉しそうだった。

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4月22日(金)
 今日は新入生の集いという、ホームルームのような時間がある日。昇平とバスでまた登校して、今日は駅前で昇平と別れて一人で学校へ行かせた。私は喫茶店で本を読みながら昇平を待っていたら、昨日より早く終わって戻ってきて「寝てたからよくわからなかった」。内容は学校のシステムや校則、年間行事などの説明だったらしい。話が中心で眠くなってしまったらしい。「そういう時には、終わってから先生に『集中力が続きませんでした。帰ってから家の人に伝えなくてはならない大事なことはありますか』と聞きなさい」と教えた。あの学校の先生方なら、そう言っても、怒らずにきっと教えてくださるはず。

 帰りにまた途中下車して、フリースクールの引っ越し手伝いへ。今日は子どもたちと先生が古い教室の片づけをしていた。月曜日には保護者もまた集まって、古い教室を掃除してお返しすることになった。震災後、今までの教室はちょっとした振動にもかなり揺れるようになったし、階段もそっと昇らないと本当に危ない。安全な良い教室が早く見つかって、本当に本当によかった。

 帰宅したら、今度は友人のMさんから入学祝いのお菓子が届いていた。みんな、本当に心配してくれているし、昇平の入学を祝ってくれている。ありがたいなぁ。掲示板にも心のこもったお祝いメッセージが寄せられていて、それら一つ一つが昇平の人間不信のようなものを払拭してくれている。

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4月23日(土)
 久しぶりで一日家にいられたので、外出中にできなかったことをいろいろ片づけた。
 昇平は疲れが出たのか少し不安定になったが、以前の状態から比べると本当に元気になってきたように思う。いやなことを思い出すこともあるし、リスペリドンや抗鬱剤にも毎日お世話になっているけれど、自分で考えを変えたり、ものの見方を改めたりすることができるようになってきた。一気に回復とはいかないけれど、こんなふうに行きつ戻りつしながら元気になっていくのだろうな、と思う。

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4月24日(日)
 一晩中降り続いた雨が上がって、洗いたてのような青空。
 今日も外出はなかったので、一日家の中でいろいろ片づけた。夜は昇平とまた「マリオ・パーティ」。相変わらず、ミニゲームでは昇平にまったくかなわない。
 明日はまたフリースクールの引っ越し作業があるので、昇平と一緒に手伝いに行く予定。再開に向けて着々と進行しているのが嬉しい。来週もまたがんばろう。

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☆昇平のブログ→ 「Dark Silver Zone」
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[11/04/26(火) 09:47] てくてく日記

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