昇平てくてく日記4

高校編

てくてく日記・165「祖母の葬儀」

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7/21(月)〜7/27(日)

月:海の日、T君L子さんと映画「ポケモン」へ
火:フリースクール
水:フリースクール
木:グループエンカウンター勉強会
金:母・郡山の祖母の見舞いへ
土:同上
日:郡山の祖母危篤

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7/28(月)〜8/3(日)

月:フリースクール
火:学校の日帰りキャンプ、祖母亡くなる
水:フリースクール
木:郡山の祖母の通夜に参列
金:告別式に参列
土:休養日
日:母・帰宅

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 昨年末に心不全で突然倒れた私の母は、その後入退院を繰り返し、次第に弱っていって、7月29日の午前中に眠るように静かに息を引き取りました。
 私はその少し前から見舞いのために帰省していましたが、結局そのまま葬儀になり、8月3日の日曜日に10日ぶりで帰宅しました。
 昇平は、母が亡くなる直前と葬儀が終わった夜に、不安になって私に電話をかけてきたけれど、それ以外は家族を困らせるようなこともなく、通夜や告別式にもちゃんと参列して別れを告げることができました。

 昇平が最後に祖母に会ったのは、6月25日のこと。それまでずっと「ぼくは病院が怖いから絶対見舞いに行かない」と言っていたのだけれど、祖母がもう長くないことを話して「これが最後かもしれないから」と教えると、「それならちゃんと会って話をする」と病室まで見舞いに行ったのでした。
 そこで「ぼくは人っていなくなったらそれで終わりってわけじゃないと思うんだ。ずっとこの世界のみんなの中にいるんだと思うんだよ」と昇平が祖母に話したのも、昇平なりの祖母への別れのことばだったのでした。
 その時に、祖母は昇平に「昇平君のこれからの人生は絶対素晴らしくなっていくよ。ばんばん大丈夫だとおばあちゃんは信じているからね」と言ってくれたので、昇平は「おばあちゃんに励ましてもらった」ととても喜んでいました。

 私の母はクリスチャンだったので、葬儀はすべてキリスト教式で行われました。
 参列した孫は昇平を含めて6人いましたが、それぞれがそれぞれの形で、祖母から生きることと死ぬことの意味を教えてもらったようでした。


 私は残務整理もある程度手伝ってから帰宅したのですが、戻ってきてみたら、郵便物の山の中に昇平のレポートの再提出通知があるのを発見して、びっくり仰天。再提出の〆切が7月30日ですでに過ぎていたので、真っ青になりました。これを提出しないと、その科目の期末試験が受験できなくて、単位が取れなくなってしまいます。あわてて電話で学校に事情を話し、〆切を今週の水曜日まで延長してもらえて、一安心となりました。

 母を偲んでしんみりしたいところですが、現実は否応なしに生活へと私たちを駆り立てます。今日はこれから昇平の歯医者とクリーニング屋さんに出かけます。
 まあ、それはそれで良いのかもしれないのですけれどね。 
  

(2014.8.4記)

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[14/08/04(月) 24:28] てくてく日記

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