| 自己肯定への道 〜ひとりのADHD女性の手記〜
By くらげ |
その4
ADHDを知ったことは転機の1つでした。
「片づけられない女たち」を読んだのが28歳の時。メディアで「片づけられない女」が取り上げられるようになる少し前のことですね。
初めは「私はADHDだったんだ!」とピンと来たというよりは「自分もそうかもしれないけど、すべて話が当てはまるわけじゃないし、どうなんだろう?」という程度。
その後、他にも本を読んだり、成人ADHDの集まるサイトに出入りしてみたりしたことで、「たぶんADHDだ」という思いを強くし、診断を受けたのはADHDを知ってから7ヶ月後でした。
薬も飲んでみたけど著しく効くタイプではなく、飲み忘れが多かったこともあり、結局今は飲んでません。
では、診断前と何が変わったかというと、まずは、自分がどんな人間なのか、特性をより細かく自覚することができました。それまで漠然としていた苦手なことが、具体的にわかってきたんです。
例えば、どうして仕事が遅いのか。
ひと言で言えば、不注意が原因で効率よく動けないんですよね。
「あれを忘れた」「これを忘れた」と無駄にあちこち動いている。何から行ったらいいのか混乱して動きが止まってしまうことも多いし、1つ1つのことを終わらせないで、他のことを始めてしまったり、ふと目に入ったものに気がそれ、関係ないことを考え始めたり・・・。
あと、現場ではあまり関係ないけど、デスクワークの時は人の話し声が気になって集中できません。音は大丈夫なんだけど、会話の内容をつい聞いてしまうので。
これらを自覚することで、できるだけ気をつけるようにしたり、対策を考えたりして、多少は改善された部分もありますが、行動として変わらなくても、「何でできないんだろう・・・」と悩み落ち込むのではなく、卑下することなく「ADHDだからなんだな」と思えるようになりました。
上手くできないことに関して、前よりも精神的なダメージを受けなくなったんです。
また、一部の上司にはADHDであることをカミングアウトしています。
(「この人になら話しても大丈夫だな」と確信できた人にのみですが)
自分が仕事を上手くこなせないこと、気が利かないこと等について、どう思われているのかビクビクしていたのがなくなり、とても気が楽になりました。(仕事を溜め込んでいたことも言い出せたし^^;)
もちろん、障害だからできなくてもいいんだというわけではありません。
上司の1人には、職員として雇っているのだから、障害だからと全て配慮できるわけじゃないと言われました。ボランティアではなくビジネスだと。これは私も当たり前のことだと感じました。その上司も私のことを理解してくれた上での言葉なので。
大切なのは私にも職場にも不利益にならない道を探ることだと思っています。
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