昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

夜泣きの思い出

◎7月30日の記録

 リタリン  1回目 9:00  2回目 13:30

   ☆★☆★☆

蒸し暑くて、とても寝苦しい夜だった。

夜中に昇平が目を覚まして、泣くような声を上げた。
「おかあさんっ!」
「なぁに?」(いつもながら、子どもの声には一瞬で目が覚めるのだから、我ながら不思議。)
「お水ちょうだい!」
「はいよ。お水ね」
枕元に置いてあるコップの水を飲ませると、昇平は、ぱたんと布団に倒れて、そのまままた眠ってしまった。

   ☆★☆★☆

1年くらい前まではこうは行かなかったよなぁ、と、ふと思い出してしまった。

昇平は赤ん坊の頃から夜泣きのひどい子どもだった。
日中に激しく体を動かしたり、何か強烈な体験をしたときに、夜泣きをするのはどの子にもよく見られることだけれど、昇平の場合、そう言う要素がなくても、頻繁に夜中に泣き出した。
暑い、寒いの原因があるときならまだ対処のしようもあったけれど、原因不明のこともよくあって、どうしたら泣きやむのか分からず、水を飲ませてみたり、布団を調節してみたり、抱っこしてみたり、隣の部屋に連れていってみたり、叱ってみたり脅してみたり・・・・・・
言葉もまだ充分に使えなかった頃だから、自分で訳を話すことも出来ず、ただ、何かが原因で眠りを妨げられたものだから、不快に泣き叫んで30分も、時には1時間近くも泣き続けていた。

一番大変だったのは、夜中に本人が寝ぼけて、母がそばに寝ていない、と思いこんだとき。
それでパニック状態に陥って泣き出すと、いくら母がそばにいて声をかけようがなだめようが「あれ、いない〜!」「いないよ〜!」などと繰り返し言いながら泣き続けて、手のつけようがなくなってしまった。
泣き疲れるまで、あるいは、何かのきっかけでちょっと落ち着くまで、ずっと泣き続けていた。
そして、私には、どうしてそんなふうになるのか、ずっと理解できないでいた。
昇平がADHDとはっきり分かり、それ故に周囲の理解がうまくできなくて、そばにいる母を認識できないでいたのだ、と分かった時、ああ、かわいそうなことをしていた、とつくづく思った。
パニックに陥って何も受け付けなくなってしまったときには、部屋を変えてそれを感じさせるとか、静かな別室に連れていってパニックが収まるのを待つとか、そういう方法をとってやるべきだったのだ。
叱ったり脅したりしても、効果はなかったのに・・・。

結局、夜泣きはリタリンを飲み始めたら、すっかり収まってしまった。
(とは言え、飲み始めには一時的に感覚過敏になったようで、数日間、夜泣きがひどくなったが。)
夜中に泣いても、言葉で訴えられるようになったら、パニックに陥ることもなくなった。
こちらの言うことも耳にはいるようになったので、「なだめ」が効くようになった。
「お母さんがいない」と言いだしたときに「ちゃんとここにいるよ」と言えば、安心してまた眠るようになったのだから、本当に進歩だ。
きっと、本人も昔よりずっと楽に眠れているのだろうと思う。

[00/07/31(月) 06:02]

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