昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

てくてく日記の意義

◎11月28日の記録

 リタリン  1回目 8:15  2回目 13:00
 
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保育園の連絡帳より。

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今日は、焼き魚とほうれん草を全部食べました。昨日に引きつづき、これも初めてです!
今日は、給食時に一度も泣かなかったです。

町内美術館に、幼児油絵展を見に行きました。
館内にはいると少し薄暗かったからか、不安がり、つないでいたお友だちに手を離して、保育士と手をつないで見てきました。
感想ノートに ”じょうずでした、しょうへい ◎(←花丸)”とメッセージを書いてくれました。

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こんなふうに日々の記録を書きながら、ふと思う。
昇平の成長記録は、どのくらいの人たちに参考になっているのだろう、と。

確かに、昇平はADHDと診断されている。
生活の様子を観察していても、ADHDがあることは間違いない。

だが、一般的なADHDの子供の場合、昇平のような自閉的症状を強く示していることは少ないのだ。
もっと普通で、落ち着きがなくて、元気で、短絡的で、周囲を見極めずに行動したり、衝動的に何かをしてしまったりして、トラブルが起こる。時々は、言われたことも理解して守れるけれど、すぐにまたそれを忘れてしまうから、同じ失敗を繰り返してしまう。・・・そんなわけだから、親も先生も、つい「もっとおちつきなさい」「しっかりしなさい」と叱ってしまう。
これが一番典型的なADHDのパターン。
あるいは、おとなしいのだけれど、どこか想いここにあらず、という感じで、言われたことも聞き逃すし、うっかりも多いし、まわりの状況がよく見えない。だから、すぐに他の友達に置いて行かれてしまうし、いじめられることもある。やさしいけれど、静かだけれど、親としては教師としては、やっぱりじれったく見えて、「もっとがんばりなさい」「きちんとやりなさい」と叱ってしまう。
これが、多動のないADHD(ADDと呼ばれる)の典型パターン。

私が週に2回手伝いにいっている公文教室にも、この2つのタイプの子どもたちがたくさん来ている。
ADHDのある子どもたちは学業が遅れることが多いので、学習塾などに通う率が高くなる。だから、学校などよりずっと高い割合で、そういう子どもたちがいるのだ。
いくら説明しても、そわそわ、ちょろちょろ、気持ちが落ち着かなくて、言われたことがさっぱり頭に入らない子。
いくら注意されても、ついつい騒いでしまう子。
ちょっとでも分からないところがあると、たちまち頭に来て怒りだしてしまう子。
あるいは、とてもおとなしいのだけれど、回答を見ると、こちらがビックリするくらいとんでもない読み違いやうっかりミスをしている子・・・。
でも、その子たちの大部分は、ADHDの診断は受けていない。それどころか、親も周囲も、ADHDだなんて思ってさえいない。

それでも、彼らは毎回課題をこなすことで、あるいは、家庭や生活で「教育」されることで、少しずつ少しずつ、社会に適応してきている。
それが分かるから、私も何も言わずに彼らを見守っている。
そういう日常の指導の中でどうしてもうまく社会に適応できないケースだけが、薬物治療の対象になるから。

けれども。
彼らと比べてみても、昇平はやっぱり、かなりパターンが違う。
こちらがやっていることも、自閉傾向の子供にする対処にとても近い。

もちろん、ADHDの専門書を見ると、必ずと言っていいくらい「自閉症に近い症状を示しているADHDの子」というケースが紹介されているので、これはこれでひとつのパターンなのかもしれない。
けれども、全体のADHDの子どもたちから見たら、きっとあまり多くないだろうな、とも思う。
『ADHD育児館』と銘打って、昇平の日々の成長記録を紹介しているわけだけれど、それが、典型的ADHDの子供を持つ親御さんたちに、どのくらい参考になっているのだろうか。
少しはヒントになることもあるのだろうか。

そんな漠然とした不安を感じながら、毎朝、てくてく日記を書いていたりする。

[00/11/29(水) 05:42]

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