昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

リタリン再開と「おべんきょう」

◎12月3日の記録

 リタリン  1回目 9:00  2回目 13:30
 
   ☆★☆★☆

今日からまたリタリンを飲ませ始めた。
やはり、行動がおとなしくなる。
キャアキャアしたはしゃぎ方が減る。でも、兄と遊ぶときなどは、元気な声を出している。

集中力が上がり、ひとつの遊びが長続きするようになる。ビデオばかり見なくなって、他のことをいろいろやってみるようになる。この二つの行動は、相反するようだけれど、共に見られたこと。
ビデオばかり見ている、というのは、ひとつのことに集中しているというよりは、それしかよく理解できないものだから、そこからの刺激に固執してしまっている、という感じ。・・・意味、分かるかな?(^_^;)
なんにしても、同じ数本のビデオをとっかえひっかえしながら、延々エンドレスでかけ続けるという生活は、見ていて決してよい感じは受けなかった。(風邪をひいていて、他にすることがなかったから、許していたけれど)

だた、まだ病み上がりだったからか、昼頃少し買い物に出たら、すぐに疲れて「おんぶ」になってしまった。
することが創造的になる。ダイヤブロックを土台の板の上に積んで、四角い家のようなものを作って満足していた。「おべんきょうする〜!」とも言い出した。

だが、夕方6時半頃、薬効が切れる頃に出るリバウンドが、やっぱり現れた。
しばらく休薬したあとには、必ず出てくるのだ。
いつも以上にはしゃいだり、ダダをこねたり、多動になったり。ADHDの症状が、飲む前よりひどくなってしまうのだ。
ただし、それもせいぜい30分〜1時間程度のことなので、あまり心配はないけれど。
今回、休薬期間が長かったから、リバウンドはもう1,2日続くだろうな。

   ☆★☆★☆

「おべんきょうしたい」と昇平がいうので、毎月取っている『こどもチャレンジ ステップ』のワークブックを一緒にやった。
いつもは、母が忙しがっているうちに一人で勝手にやってしまうので、一緒にやってみるのは久しぶり。
シールを貼る、適当な答えに○を付ける、線を引く、迷路をたどる・・・。
問題を読み上げてやるだけで、どんどん課題をこなしていく。
もしも、問題を読んでやらないときには、自分で課題を見て判断しながらやってしまう。
ただ、その際には文字を読んで課題を理解する、というよりは(文字や文章は読むことが出来るのだが。)、例を見ながら直感的に判断して解いていくことが多いので、紛らわしい課題になると間違うことがある。

ほとんど全部、自分で解くことが出来た。
唯一間違ったのは、「誰と誰の間に○○がいるでしょうか」というのを判断する問題。
社会性の弱い彼らしいミスだな、と感じて、妙に納得してしまった。

ところが、そこで間違ったとたん、昇平が課題をやりたがらなくなってしまった。
いや、ワークブックは続けてやっていきたいのだが、急に自信がなくなってしまって、「おかあさん、やって!」と母に解かせようとし始めたのだ。
同じミスをするのが怖くなったのだろう。・・・公文教室でも、時々こういうタイプの子がいる。ちなみに、お兄ちゃんもどちらかというと、こちらのタイプだった。(^_^;)
「大丈夫だよ」「間違っちゃったら、お母さんがおしえてあげるから」と励まして続けさせ、当たると、大袈裟に誉めてやるうちに、なんとかまた自信を取り戻して自分から解くようになっていった。

けれども、絶対当たっているはずの問題で、わざと「あれ、その答え、こっちじゃないのかな」なんて、わざと違う方を指して見せたりすると、あわててそちらに答えを変えようとする。
ので、「あ、違った違った。昇平くんので当たりだ。お母さんが間違っちゃった」というと、安心したような顔になった。
ちょっと意地悪なチェックの仕方だったかもしれないが、とにかく、不安が強いタイプなのは間違いがない。・・・う〜ん、お兄ちゃんとやっぱりそっくりだわ。実は似ていたのねぇ、この二人。(^_^A
正解が続けば、もう、得意になって、どんどん次の問題を解こうとする。
全部当たれば、本当に、嬉しそうな得意そうな顔をする。
とっても素直でかわいいけれど、その内側には、とても不安定で弱い部分がある。
きっと、それはどのADHDの子どもたちにも共通しているものなんだろう、と思う。
いや、お兄ちゃんのように、ADHDでない子供にも、そういうタイプの子はいるけれど。

叱るより誉めて、自信を持たせていく、というのが、ADHD児の育て方の基本だけれど、それは、本当に大事なことだなぁ、と改めて感じた今日の「おべんきょう」だった。

[00/12/04(月) 06:11]

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