昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

こだわり

◎2月1日の記録

 リタリン  1回目 8:15  2回目 12:00
 
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以前ほどではないけれども、昇平にはまだ、日々の生活の中にこだわりがある。
例えば、保育園の行き帰りに車に乗ったとき。「テープかけて」と必ず言う。
母が車で音楽テープを聴く習慣があったからなのだが、それがいつの間にか昇平にも移って、テープがかかっていないと承知しなくなってしまった。でも、見ていると、テープがかかることだけに満足しているのであって、音楽そのものは全然聞いている様子がないのだ。そりゃそうだ。母の好きな音楽なんて、昇平にはまだ難しくて理解できないだろう。

例えば、帰り道。「家におやつがあるからね」と言っても、途中で店によっておやつを買いたがる。家に準備してあるおやつが、どんなに彼の好みのものでも、それは嫌だ、と言い張る。おやつが気に入らないのではない。帰り道で店によっておやつを選んで買うこと。その行為そのものにこだわっているのだ。

ここ2日ばかりは、給食も結構早く食べ終われていたらしいのだが、そうしたら、歯磨きのあとでビデオを見たいと言い張ったのだそうだ。保育園では、給食のあと、歯磨きしてから昼寝にはいるまでの間にビデオを見るのだ。ところが、今は昼休みにお遊戯会の練習をしているので、ビデオは無しになっている。今まではずっと給食の食べ終わりが遅くて、ビデオなど全然見られなかったんですけどね、と先生が話していた。
これも、ビデオが見ることそのものが目的なのではない。(と思う)。「そうしなくちゃいけない」というふうに思いこんでいて、そこからなかなか軌道変更ができないのだ。

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こうしてみると、どれもこれも、外からの働きかけで習慣化してこだわりになってものなのだから、それを大人の方でやいやい言うのは筋違いなような気もする。(^_^;)
でも、状況に合わせて、臨機応変に対応を変えていく、ということが、まだちょっと苦手なのは間違いがない。いくら、理由を説明しても、なかなか納得できないのだから・・・。

生活をパターンで処理する、ということは、私たちだって、いくらでもやっているし、そうしなければ、日常の膨大な作業をこなせないわけだから、それで良いのだと思う。
ただ、不必要なところでパターン化している習慣を「こだわり」と呼んで、問題視するのだ。
昇平に関しては、「こだわり」がなければ日常生活が成立しないわけでも、ひどい精神不安定になるわけでもないので、最近は、こちらの方で意図的にこだわりを崩すようにしている。
音楽テープをかけて、と言いだしたら、「お母さんが聞きたくなったらかけるね」と言って、わざとかけないで行く、とか、おやつも何種類か準備しておいて、「それは嫌い。店で買う」と言ったら、次々に別なおやつの名前をあげて、そっちで承知させる、とか。(でも、準備したおやつを全部食べさせたりはしないので、ご安心を。笑)
そうすることで、臨機応変な応用力が身に付いていくのかどうかは分からないけれど、少しは日々の生活がしやすくなるんじゃないかな、と思ってはいる。・・・たぶん。<あまり自信はない。(^_^A

[01/02/02(金) 06:02]

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