昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

お兄ちゃんを見送る

◎3月31日の記録

 リタリン  1回目 8:30  2回目 12:30
 
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お兄ちゃんが、郡山にある母の実家へひとりで泊まりに行った。
郡山市内には、母の妹たちが住んでおり、歳の近い従兄弟達がたくさんいるので、泊まりがけで遊んでくるのが、長期休暇中のお兄ちゃんの楽しみなのだ。

今回、お兄ちゃんは新幹線で郡山へ行った。
福島駅のホームまで母が送り、郡山側のホームでは祖母が出迎えに出る。1人で新幹線で郡山に行くのもこれが3度目だし、乗っている時間もわずか17分程度なので、本人はけっこう落ち着いて旅立っていった。
心配は、昇平だった。

それこそ、以前、昇平を連れて見送りに行った時には、昇平は自分も新幹線に乗って郡山へ行きたいと大ダダをこね、家に戻る車の中で、延々40分以上泣き続けたのだった。
今回は、「お兄ちゃんは1人で郡山にお泊まりに行くんだよ。お見送りに行こうね」と言うと、納得したふうだったが、実際に見送りの場面になったら、一緒に行きたい! と騒ぎ出すのではないかと思っていた。
なにしろ、郡山の祖父母の家は、行けば従兄弟達がいるし、遊ぶものもたくさんあるので、大好きな場所なのだ。
ところが、駅についても、ホームに新幹線が着いてお兄ちゃんが乗り込んでも、昇平はまったく騒がなかった。
それどころか、新幹線が近づいてくると、お兄ちゃんと一緒に列に並んでいた母を、一生懸命列の外へ引っぱり出そうとしたのだ。
「ぼくたちは郡山に行かないんだから、お母さん、乗っちゃダメだよ」と言うように。
ここまで理解できるようになっていたのか! と改めて感動してしまった。

お兄ちゃんが乗った新幹線のドアが閉まるとき、昇平はお兄ちゃんにバイバイと手を振った。
家に帰る車の中でも落ち着いていた。
家に帰ってから、おじーちゃんに「昇平も一緒に郡山に行きたかったか?」と聞かれたら「いきたかった」と答えた。
母が「今度一緒に郡山に行こうね」と言ったら、「(今度の)日曜日?」と期待の目で聞き返されてしまった。(^_^;)
ちゃーんと、わかっていたのだ。
母と一緒でなければ、泊まりに行けないこと。お兄ちゃんだけが行けて、自分は行けないこと。
だから、自分は留守番していなくてはいけないこと。
母が理解していた以上に、昇平は大人になっていたのだ。

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昔のてくてく日記を見返していたら、去年の夏休み、お兄ちゃんがやはりひとりで泊まりに行ったときの記録が出てきた。
それを転載してみる。

>2000/07/27(木) 05:50.10
> ■昇平、一人っ子になる

>お兄ちゃんが、郡山にある母の実家にひとりで泊まりに行ってしまったので、昇平は1週間あまり一人っ子になった。
>保育園からの帰り道、兄がお泊まりに行ったことを教えたので、本人も納得していて、「お兄ちゃんはどこ?」と聞くことはなかった。
>思うが、彼はまだ「ここにお兄ちゃんがいれば良いのになぁ」という、英文法でいうところの「仮定」が使えないようだ。いないときにはいないのだから、仕方がない、という風に納得してしまっているように見える。
(中略)
>でも、日数が経ってきたら、そのうち、つまらなくなってくるんじゃないかなぁ。
>なにしろ、夜、一番昇平と遊んでくれていたのがお兄ちゃんなのだから。
>そうしたら、「お兄ちゃんがいればなぁ」という仮定法も言えるようになるかな?(笑)

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今回はどうかというと・・・
昇平はさかんに「おにいちゃんは?」と聞いてくるのだ。
そこで、こちらが「お兄ちゃんはどこにいるんだっけ?」と聞き返すと、ちゃんと「こおりやま」と答える。
分かってはいるのだ。
分かってはいるけれど「どこにいるんだっけ?」と確かめたい気持ちなんだろうか。

「お兄ちゃんはお泊まりしているんだよね」と言うと、「日曜日(に帰ってくる)?」と聞いてくる。
(なぜ、これだけで意味が通じるか疑問に思われるかもしれないけれど・・・でも、なんとなく分かるんですよね。笑)
「ううん。帰ってこないよ。水曜日に帰ってくるよ」と答えると、がっかりしたように「あ〜あ」とつぶやいた。
お兄ちゃんがいなくて、淋しいな。つまらないな。
そんな気持ちもしっかり育っていたのだ。

同じシチュエーションがめぐってきたとき、その成長ぶりがはっきり見えることがある。
重ね重ね、親の予想を超えて成長していた昇平だった。

[01/04/01(日) 11:00]

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