昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

旦那の話

◎9月1日の記録

 リタリン  1回目 7:30  2回目 11:30

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先日、えじそんくらぶ福島ADHDの会(「とーます」という名称になった)の例会に出席した。
その後、時間のある人たちで一緒にお昼を食べたのだが、その時に話題になったのが、それぞれの旦那様の話。
仕事が忙しくて、毎晩帰りが遅くて、子どもと接する時間がない。たまの休みにも自分が休んでいたいものだから、子どもをうるさがるのだ、とひとりが言えば、もうひとりも、特に子どもの障害や療育の話になると夫は逃げたがる、自分の子どもなのに、と不満を言う。そして、私を振り向いて、同意を求めるように「ね、そうでしょう? 朝倉さん」。

・・・え〜っとぉ〜・・・・・・(^_^A
たぶん、うちはちょっと状況が違うと思います〜。
だから、同意を求められてもぉ・・・・・・(笑)

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とはいえ、うちの旦那が子育てに積極的に協力してくれている、というわけでは決してない。
うちの旦那も、彼女たちの旦那様と同様、仕事がとにかく忙しい。
毎朝6時20分には出勤していって、帰宅は夜の10時頃。子どもの起きる前に家を出て、どうにか、子どもに「おやすみ」を言える時間に間に合う頃に帰ってくるかな、という毎日。
仕事は建前は土日休日になっているのだが、土曜日は事実上フル出勤、日曜日も時々仕事が入ってきたりする。
それでも、以前は休み無しで3週間連続出勤なんてことが続いた時期があったのだから、職場異動になって定期的に休めるようになっただけ、マシと言えばマシかもしれないけれど。

日曜日は、お兄ちゃんがバレーボールの練習に行ったり試合に行ったりすることが多いので、家族でどこかに出かけることは滅多にない。
旦那はスポーツが好きなタイプではないので、外で子どもたちと遊んだり、率先して遊びに連れ出すようなこともあまりない。
何をしているかと言えば、子どもを観客にテレビゲームをしたり、子どもにせがまれて一緒にボードゲームなどに付き合ったり、子どもの遊ぶそばで本を読んだり・・・で、そのうちに自分が眠くなってきて、うつらうつらと眠ってしまう。
これが毎度の日曜日のパターン。(^_^;)
外出と言ったら、私と昇平と3人で、近くのスーパーに買い物に行くくらいかな。

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というわけで、うちの旦那も、彼女たちの旦那と同様、決して子育てや療育に積極的に関わっている人ではないのだ。
でも、彼女たちの話を聞いていると、何かが違うような気がした。
確かに、時間的には関わる時間が短い旦那だけれど、でも、やっぱり何かが違う。
それは何だろう、と彼女たちと別れた後も、ずっと考え続けていた。

旦那は・・・私の話はよく聞いてくれるけれど、ADHDや障害に関して専門的に理解しているわけではない。
私が回す本に目を通して、だいたいこんなもんか、という程度に理解しているだけ。
時々、ごく基本的なことを理解できていなかったりして、いったい何を読んできたの! と呆れることさえある。
一緒に病院に行ったことは1回だけ。相談会に一緒に行ったのは2回だけ。ことばの教室・・・1回も行ったことがない。
ADHD児への対応の仕方・・・全然知らない。やっているのは、ごく当たり前な、普通の子への接し方。

ただ、旦那は子どもたちを叱らない。
いや、注意することはあるけれど、本人を否定するような叱り方を絶対にしない、というのが正しいかな。
「お前はバカだ」とか「ダメなヤツだ」とかいうことばが彼の口から出てきたことは、一度だってない。
昇平の多動や散らかしにうんざりした顔はするけれど、でも、それはしかたのないことだと思って、何も言わずに付き合ったり、片づけを手伝ってやったりしている。(もちろん、多動のひどいときにはそれを制御しようとするけれど)

旦那は、障害のことはあまり知らないし、その対処法についても特には知らない。
だけど、旦那は子どもたちの気持ちで子どもたちのすることを判断している。
だから、その接し方は自然と子どもたちに合ったものになっているような気がする。
私が見ていて、旦那のやり方はまずいな、と思うことは滅多にないのだもの。
先日私がHPで公開した「ペアレント・トレーニング」のアンケートを、旦那にもやらせてみたのだが、10問中6.5問の正解だった。(複数の答えが正解になる問題で、片方だけしか当てられなかったので、その分を0.5と計算してある。)
私が初めてアンケートをやったときの正解が4問。理論は知らなくても、正しい対処法は、自然と修得しているらしい。
それを私が言ったら、旦那が答えた。「だって、これはADHDの子どもに限らず、普通の子どもたち全部に当てはまる、当然のことじゃないか」

これなんだな、と思った。
ADHDだって、障害児だって、「普通の子ども」であることには変わりがない。
普通の子育てで一番大事なのは、「子どもはこうあるべき」という姿に我が子が近づくように手助けすることではなく、「我が子はどういう子か」をよく見ながら、その子の必要としている手助けをしていくこと。
そこさえ押さえておけば、対応は自然とその子に合ったものになっていくのだ。
そして、これは子どもに障害があってもなくても、同じことなのだろう。

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我が家の子どもたちは父親が大好きだ。
どんなに普段接する時間が短くても、たまに父親が早く帰ってきたりすると、大喜びする。
昨夜も、旦那が8時頃に帰宅したら(土曜日だったので、少し帰りが早かった)、真っ先にお兄ちゃんが車の音を聞きつけて「お父さんが帰ってきたよ。絶対に間違いなし!」と言った。
旦那が2階に「ただいまー」と上がってきたら、昇平が大喜びして、一緒に夕食の食べ直しをしたり(^_^;)、はしゃいで多動になったりと、ものすごかった。あまりの多動ぶりにちょっと閉口したが、それでも、昇平の嬉しい気持ちはよく伝わってきた。
みんな、お父さんが大好きなんだよなぁ〜。

どんなに接する時間が短くても、子どもは、自分をありのまま認めて受け入れてくれる親を、無条件で慕うのだろう。
障害の知識とか専門的な対応法とか、そういう難しいことを身につけていくのはもちろん役に立つと思うけれど、でも、なによりもその前に大事なのは、「我が子を受け入れて見守る親の目」なんじゃないだろうか。
子どもたちと旦那の姿を見ていると、そんなことをつくづくと感じてしまう。

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朝早く出かけていって、夜遅く帰ってくる旦那を見て、おばーちゃんは「これじゃまるで母子家庭じゃないの」と心配する。
「玲さんばかり大変だわ。仕事が忙しいのは分かるけれど、もう少し早く帰ってこられないのかしら」と。
私も、世の中には療育にも積極的にかかわっているお父さんがいると聞いて、それを旦那に言ったことがある。
そう言われたとき、旦那は本当に辛そうだった。
仕事は責任持って全力でやり遂げたい。でも、家庭にももっと関わらなくちゃならない。
その2つの間で板挟みになったのが見えた。
それに、なにより旦那自身が、家庭になかなか関われない自分自身にずっと負い目を感じていたのだから・・・。

一番大事なことは、子ども自身が知っている。
その子どもたちが、自分たちの父親を大好きでいるのならば、旦那は今のままでいいのだろう。
彼は彼のできる範囲で、精一杯、父親をやってくれているのだから。
父親と母親とでは、担う役割が違っている。
それぞれがそれぞれのできることを精一杯やって、そうして子どもたちが健やかに育っているのならば、なにも文句を言う必要はない。
ありのままでいいのだ。子どもたちも、そして、親である私たちも。
今では、私もそんなふうに思えるようになっている。

さて、今日は日曜日。
もうじき9時になることだし、そろそろ旦那と子どもたちを起こしましょうか。
どこに出かける予定もないけれど、ディズニーランド以来、みんな少し疲れ気味だったし、一日家でのんびり過ごすとしましょう。
これが、私たち家族の自然な姿なんだと思うから。

[01/09/02(日) 09:32]

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