昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

急転直下

◎12月21日の記録

 リタリン  1回目 8:30  2回目 12:30
 デパケン  1回目 8:30  2回目 19:00

   ☆★☆★☆

金曜日。仕事の昼休みに、昇平の情緒障害児学級入級に関する同意書を提出するため、役場へ出かけていった。
建物の3階にある教育課を訪ねると、折しも年末の大掃除の真っ最中。どうやら忙しいところにお邪魔してしまったらしい。
親戚様を呼ぶと、あっ、という顔をして、同じ教育課の方を呼んで「別室へ」と言う。はて、ただ同意書を提出するだけなのに、どうしたのだろうと思っていると・・・
「実は、来年の4月から、地元の小学校に情緒障害児学級が開設する運びになりまして」

はぁっ?

一瞬、私、頭が真っ白。
ということは、つまり、来春、昇平は越境して別小学校に行かなくても、地元の小学校に入学して、そこの情緒障害児学級で勉強できるようになる、っていうこと?
どうしてまた、急にそんな・・・。

教育課の方たちの説明によると、県の方で、地域に一極集中して特殊学級を設置する従来のスタイルから、必要のある各学校に情緒障害児学級を設置するスタイルに方針転換したらしく、先週末、急に情緒障害児学級設置許可の通知が下りてきたのだそうだ。
特殊学級開設の最低生徒数は2名なので、その人数がある程度確実に確保されるまでは、私たちには教えられなかったらしい。先日、私が見学に行った小学校でも、その時点ではまだなにも知らされていなかったのだという。
・・・なんとまあ。

   ☆★☆★☆

地元の小学校に情緒障害児学級があれば、こちらからお願いしてでも入れてほしいと言っていたのは私。
その想いは、今でも変わりがない。
ただ、あまりにも急な方向転換。しかも、「ここならば絶対に大丈夫」と思えるような素晴らしい情緒障害児学級を見てきたばかりだから、なかなか頭と気持ちが切り替わらない。
地元小学校にはADHDや発達障害に関して専門的な知識を持つ先生もいらっしゃらない。教頭先生自らがLDに専門に取り組んできている、先の小学校とはバックボーンも違う。ひたすら、障害児学級に配置されてくる先生の力量にかかってしまうのだ。

でも、教員の配置は県教育委員会の管轄。役場の教育課の人に要望する話ではない。
しかも、地元に障害児学級は絶対に必要なのだ。
「わかりました。そちらへ行きます」と答え、地元小学校に情緒障害児学級ができたらそちらに移る、という内容の同意書の用紙を受け取って、役場をあとにした。

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夜、旦那と話をした。
迷いの振り切りきれない私に、旦那は「でも、やっぱり地元に通うのが一番いいと思うぞ」と言う。
そう、そうなのだ。
特殊学級にいても、時間割によっては、所属する学年の教室との交流授業が行われる。
そうやって、少しずつ集団生活や大勢での授業に慣れていって、ゆくゆくは普通学級で生活ができるようになることが、私たちの望みなのだから、そのためにも地元であるほうが絶対に良いのだ。もし、これが越境で通っている学校になると、普通学級に移る時点で地元校に転校することになるはずだから。
転校というのは本人にかなりの負担になるから、できるならば避けた方がよい。
結局、何故それでも迷うのかといえば、先日見た情緒障害児教室があまりにも理想的だったからなのだ。
あれと同じくらい良い先生が、地元の障害児学級の担任に来てくれれば、申し分はないのだが・・・。

「昇平は運が強いよな」と旦那が言う。
これまで巡り会ってきた人たちも先生も専門家も、すべて良い人たちばかりだったし、今現在通っている保育園も熱心に取り組んでくれる良いところだった。そして今度は、入学に当たって、地元小学校に情緒障害児学級ができるかもしれないという。
「これだけ運の強い昇平なんだから、きっと良い先生が来てくれるさ」と旦那が言う。う〜ん・・・そうかもしれない、本当に。
すべてにおいて、良い方向へ、良い方向へと進んできている昇平。
きっと、今回のこの話も、そんな彼の強運が引き寄せたものなんだろう。
それならば・・・思い切って信じてその道へ進んでみようか。

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しかし、先に見た情緒障害児学級であれば、すべてを担任にお任せしていれば大丈夫だと思っていたのに、新設される教室となると、そうも言ってはいられない。
周囲の先生方への啓蒙も含めて、こちらから働きかけなくてはならないことが、山ほどあることだろう。
・・・まあ、それはそれで、やりがいがあって面白いかもしれないけれど。
結局、安易な道は進ませてもらえない、ってことなのかもね。(笑)

結論。
地元校に情緒障害児学級ができたらそちらに入ることに、我々は決めました。

[01/12/22(土) 14:49]

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