昇平てくてく日記
幼児〜小学校低学年編
「自由」と「責任」
◎1月22日の記録
リタリン 1回目 8:30 2回目 12:30
デパケン 1回目 8:30 2回目 19:00
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昨日、友だちとさんざん遊んだお兄ちゃんは、夕食後にゲームをし、テレビを見たあげくに「宿題がある」と渋々机に向かった。時計は9時過ぎ。すでに疲れているところに、風邪気味なのも手伝って、非常に機嫌が悪い。
「宿題やっちくねー(福島弁で「やりたくない」の意)」「めんどくせー」「疲れているんだよ!」
声高な独り言は、暗に母に聞かせるためのもの。
わざと無視していると、昇平がおびえだした。そう。お兄ちゃんのこの手の行動は、彼が世界で一番怖くて嫌いなもの。
お兄ちゃんが荒れると、昇平がパニックになる。パニックになりながらひっきりなしに兄や母に話しかけるその声に刺激されて、兄はさらに機嫌が悪くなる。昇平はますますパニック。収拾がつかなくなって、ついに母の雷が落ちる・・・・・・。いつものパターン。
だからといって、母が兄を手伝ってやるわけにもいかない。兄は母に助けてもらいたくて、そんな不機嫌な様子を見せているのだから。手伝ってしまったら、いつまでたっても「不機嫌になることで母の手助けを得る」という行動パターンから抜け出せなくなる。
そこで、パニックを起こしかけて、しきりに「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っている昇平をつれて、隣の寝室に避難した。「昇平くんは関係ないんだよ。お母さんも関係はないんだよ。あれは、純粋にお兄ちゃん自身の問題なんだから」
理解できるかどうか分からないけれど、とにかく、そんなことを昇平に話して聞かせる。
すると、それが聞こえていたんだろう。お兄ちゃんが隣の部屋から寝室に来て、布団の上に転がった。じたばたと地団駄。辛いのだと、助けて欲しいのだと、体でアピールする。
またまた昇平のパニックがひどくなりそうだったので、お兄ちゃんに言い渡す。「あんたの勉強は昇平くんにもお母さんにも関係ないんだから、向こうの部屋でやってちょうだい。こっちまで巻き込まないで」
お兄ちゃん、ふてくされて、今度は布団をかぶる。
「お兄ちゃん、助ける? 勉強、やっつける? 誰が悪いの? お兄ちゃん、泣いているの?」混乱状態の昇平。おびえきった顔で母と兄の布団を見比べる。
そこで、お兄ちゃんにも聞こえるように、大きな声で昇平に話して聞かせた。
「お兄ちゃんはね、友だちといっぱい遊んで、ゲームをして、テレビも見て、だから、勉強をするのが遅くなったんだよ。勉強が遅くなったのは、自分のせいなの。自分で決めたことでこうなったんだから、その結果は自分で引き受けなくちゃならないんだよ」
お兄ちゃん、布団の中から不機嫌な声を一声。
でも、それを無視して、さらに続ける。
「昇平くんはね、まだ小さいから、何でもお母さんの言うとおりにしていていいんだけどね、お兄ちゃんはもう大きいから、いろんなことを自分で考えて自分で決めていかなくちゃならないの。そうやって自分で決めたことで、後で悪いことが起こってきたとしても、それはやっぱり自分がやるしかないことなんだよ」
とたんに、お兄ちゃんが布団をはねのけて立ち上がり、ものも言わずに隣の部屋に戻っていった。
その態度は、ことばにしてみれば「ちきしょう、わかったよ!」というところだろうか。
あとは、何も言わずに机に向かって、自分で宿題を終わらせたようだった。
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お兄ちゃんはADHDではない。
が、極端に神経が細くて、心配性なところや混乱するとたちまちパニックに陥るところ、感情の高まりの激しいところなどは、ADHDにも匹敵するくらい対応が難しい。
また、お兄ちゃんは昇平が生まれるまで6年間、一人っ子の状態だったので、なにかというと大人、特に母親に頼ろうとする傾向が強い。母が「自分でやりなさい」と突き放すと、それだけで母から拒絶されたと感じて大騒ぎすることもある。
親に依存したい気持ちと、親から独立したい気持ちとの狭間、自信と自己不信の板挟みにあって、精神不安定に陥ってチックが出ていたこともある。
昇平がADHDだと分かったのは3歳過ぎ。彼の示していた症状から見るとかなり遅い診断だったのだが、それというのも、お兄ちゃんの様子の方が心配で、昇平のことは二の次になっていたからなのだ。
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けれども、そんなお兄ちゃんも、小学校の高学年に入る頃から目に見えて落ち着きはじめ、自主性が出てきた。
パニックの回数が減り始め、初めての体験をしても、勉強で分からないところに出くわしても、まず自分で何とかしよう、と考えたりするようになってきた。
学校ではさらにその傾向が強く、同級生と一緒だと、まったくと言っていいくらい問題が起こらない。家の外だと、とたんにとても落ち着いた優等生に見えてしまう。他の同級生のすることや言うことで、自分のするべきことが分かるので、集団の中では安心していられるらしい。
親から離れて、友だち同士で遊びに行ったり、友だちと一緒に行動するのを好むようにもなってきた。
中学入学を前にして、いよいよ、本格的な親離れの時を迎えようとしているらしい。
けれども、それでも時々、先に書いたような状態に陥ることがある。福島弁で言うところの「あばけた」状態。幼い子どもが駄々をこねているような、そんな態度。
たぶん、彼は大人と子どもの境目に立って、ある時は大人、ある時は子どもになってしまっているんだろう。
それを受け止め、抱き込んで「よしよし、大丈夫よ。お母さんはいつもそばにいるわよ」と言ってやるのも良いだろうけれど、あえて「甘えないで、自分のことは自分でしなさい!」と突き放すことも必要なんじゃないか・・・。
お兄ちゃんの場合は、こうやって突き放す方が大事なんじゃないか、と、そんなことを考えている。
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「自由」というのは世の中で一番厳しいものだ、ということばを、どこかで聞いたことがある。
何をするのも自由、ということは、すなわち、何でも自分で決めて実行しなくてはならない、ということ。
そして、そうやって実行したことの結果が失敗だったとしても、それはすべて自分の責任で処理しなくてはならない、ということ。
「自由」と「責任」は裏表。
自分で責任のとれない自由は、それは本当の自由ではない。ただの「わがまま」にすぎない。
自由であるためには、常に他人のことを念頭に置いて、他人の自由を侵害しないことに気を配らなくてはならない。他人の自由を犠牲にして、自分だけ自由でいようとすると、それもやっぱり「わがまま」と言われる。時には法律で罰せられることさえある。
でも、そのあたりを理解している日本人は、全体の何パーセントくらいなのだろう。
いや、現に社会にある大人たちは、体験的に理解しているのかもしれない。
でも、自由と責任の関係について、はっきりとわかりやすく子どもたちに教えられる大人は、どのくらいいるのだろうか。
この私だって、我が子にちゃんと教えられているのかどうか、はなはだ心もとない・・・。
ただの「冷たい母親」だと思われているのかもしれないのだから。
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最近になって日本でADHDが問題視されるようになってきた背景の一つに、教育現場の「自由化」がある、というコメントを読んだ。
以前の管理主義な教育現場では、ADHDの子どもたちも厳しく監視され、こと細かく指示を出されていたので、それほど逸脱した行動が目立たなかったのだそうだ。
周りの子どもたちも、そうやって先生の言いつけ通りにしているのが正しい、と信じていたから、ADHDくんやADHDちゃんがちょっと列からはみ出そうとすると、すぐさま「こっちに戻ってこい」と引き戻してくれていた。
ところが、現在、教育の主流になりつつある「自由な教育」というのは、教師からの一方的な指示や押しつけではなく、子ども自身に主体的に学習に取り組んでもらおう、というスタンスだから、「こういうふうに行動するのが正しい」という明確なスタイルがあまりない。全くないわけではないが、以前から比べたら、ずっと少なくなっている。
そういう緩やかな枠組みの中では、ADHDのある子どもたちの行動は、飛び抜けて目立つことが多い。
それはそうだ。
学習上の自由というものには、必ず「羽目を外しすぎない程度に自由さを発揮する」または「ある一定の枠内で自由さを発揮する」という自己コントロール力が必要になるのだが、ADHDの子どもたちには、その能力が先天的に不足しているのだから。
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でも、だからといって、今のこの自由な教育が悪いとは、私は思わない。
私たちの時代、先生に言われたことは絶対に正しかったし、教えられることだって、ただ何の疑問も持たずに覚えるのが一番良いことだと思っていた。
でも、本当の教育、本当の学習は、そうではない。
やっぱり、自分から疑問を持って、誰もそれに答えられる人がいなければ、自分で調べて自分で答えを見つけていけるような、そんな能力を子どもたちには身につけていってほしいと思う。
また、やりたいことがあるならば、どうやったらそれが実現できるか、自分で方法を考えて実行できるような、そんな人間になっていってほしいと思う。
お兄ちゃんが3年生の夏休みに転校するとき、1,2年で同級だった友人たち数人と、担任のアパートまで自分たちで押し掛けて、お別れ会を開いてきたことがあった。
子どもたちだけで何度も集まって、先生のアパートの場所を確かめたり、先生へのおみやげを小遣いを出し合って買いに行ったり、先生に電話で連絡を取ったり、そこに行くまでの足を確保したり(結局、一人の子のお父さんが車で送ってくれた)・・・大人の私たちが見ていても感心するような、とても自主的な活動をしていた。
先生の方でも(当時、もう転勤していて、別の学校に勤務していたのだが)元の教え子たちのために、自分たちで作れるようにとお好み焼きを昼食に準備し、子どもたちの気持ちをしっかりと受け止めてくれていた。
迎えに行ったとき、先生に丁寧にお礼を言ったら、「今の子どもたちはたくましいですねぇ」と先生も感心顔だった。
そのとき、これは「自由な教育」「自主性を尊重した教育」の成果だな、とすごく感じた。
押し掛けられた先生にとっては本当は迷惑だったかもしれないが、それでも、1,2年生の間、その先生が彼らに教えてきた「自主性」は、しっかりと彼らの中に根付いていたのだ。
自由な教育は、決して悪いものではない。
ADHDのある子どもたちだって、本当は、自由な環境の方が、本来持っている力を発揮しやすいはずなのだ。
ただ、その「自由」を身につけるためには、同時に「自由の持つ責任」も体得しなくてはならない。
彼らは、そこに配慮の必要な子どもたち。
彼らにわかりやすく、彼らに実行しやすく、そして、根気強く、彼らに本当の自由のあり方を教えて行かなくちゃならないのだと思う。
そして、それは大人のつとめ・・・・・・。
先は長い。でも、これは、時間をかけても教えなくてはならない、大事な大事なこと。
[02/01/23(水) 14:11]