昇平てくてく日記
幼児〜小学校低学年編
歯を抜く
今日の午後、昇平は歯医者で歯を抜いてもらってきた。
歯医者には虫歯の治療でずいぶん長いこと通っているのだが、そうこうしている間に永久歯が生えてきた。
それも上の前歯が2本同時に。
どちらも乳歯がまだ抜けないうちに生えてきたので、しっかりと八重歯になってしまった。永久歯が伸びるにつれて乳歯は押されて、ぐらぐらになってきたのだが、それでもなかなか抜けようとしない。
とうとう歯医者さんが言った。「このままでは歯並びが悪くなりますから、この次、乳歯を抜きましょうね」
ところが、抜歯の予約の2日前に1本の乳歯が抜け、さらに1日前には残りの1本も自然に抜けてしまった。
昇平は本当にホッとしたようだった。
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ところがところが、八重歯はもう1本あった。
上の前歯に続いて、下の前歯でも、乳歯も抜けないうちに永久歯が生えてきたのだ。こちらは1本だけだが、乳歯はほとんどぐらついていない。自然に抜けるまでにはかなり時間がかかりそうに見えた。
上の乳歯は自然に抜けたものの、長い間がんばっていたものだから、永久歯が押されて歯並びが悪くなってしまった。
内咬合と言うらしいのだが、上の前歯が下の前歯の内側に入るようになってしまったのだ。
これではものをかみ切るときにうまく行かないだろうし、発音にも影響が出るかもしれない。歯並びが悪いと、全身にも良くない症状が出てくるとも聞くし・・・。
こちらの方は今度の週末に矯正専門の先生に診てもらうことにしているのだが、はっきり言って、歯列矯正は馬鹿高い。相談してみないとどのくらいかかるかは分からないのだが、ざっと見ても20〜30万は下らないらしい。(保険が利かないので)
このうえ、下の歯まで矯正することになったら、とてもじゃないけれど、やってられない。
そこで、歯医者の駐車場で昇平と話し合った。
「昇平くんの下の歯、赤ちゃんの歯が抜けないうちに大人の歯が生えてきているから、このままだと曲がって生えてきちゃうかもしれないんだって。上の前歯は、赤ちゃんの歯がなかなか抜けなかったから、もう曲がっちゃったんだよ。だから、矯正ってのをやって、きれいに直さなくちゃならないんだ。でもね・・・矯正はものすご〜〜〜く、高いんだよ!」
「どのくらい?」と昇平。
「うーんとね・・・昇平くんがテレビのCM見て欲しい、って言っていた、ゲームボーイ○ドバンスSPが、20台よりもっとたくさん買えるくらい」
CMを見て、高くて買えない〜! という話をしたばかりだったので、これは昇平にも分かりやすかったらしい。
真剣な顔でちょっと考え込んでから、「歯を抜いてもらう」と答えた。
「本当に抜いてもらうね? 大丈夫だね?」と確認してから、母は即座に歯医者に引き返し、抜歯の予約をしたのだった。
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その予約の日が今日。
この一週間、折に触れ、月曜日には歯を抜くと言い聞かせてきたけれど、今日は朝一度確認しただけで、あとは歯医者については言わなかった。
なんとなく、言わなくてもきちんと分かっているのだという気がしたのだ。
分かっていて、嫌だけれど抜いてもらわなくちゃいけないのも承知していて、それでなおかつ平常心を保とうとしている。そんなふうに見えていた。
待合室で静かに遊んで待っていた。順番が来て呼ばれると、おもちゃを丁寧に片づけ、トイレに行ってから、診察室に入った。抜歯の時の麻酔注射をするのに、「針が少しチクッとする」と説明されると、少し抵抗したけれど、その場になると、がんばって注射してもらうことができた。
母は、昇平の手を押さえながら、状況と理由の説明に専念していた。
「麻酔注射をすると感じなくなるから、間違って唇をがぶっと噛んでしまうことがあるんだ。そうすると怪我をして血がたくさん出るからね、噛まないように気をつけるんだよ・・・」
お医者さまの話を、昇平に分かりやすいことばで言い直してやる。
とうとう、歯を抜くときにも、昇平は静かにしていることができた。
麻酔が効いているから、抜く瞬間は痛くない。
本人、あれ?と言う間に、歯は抜かれてしまっていた。
「はい、これ」と歯科衛生士さんから手渡された、小さなネズミの形の入れ物には、抜いた乳歯が収められていた。
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きちんと、本人の納得がいく説明を受けられれば。
これから何をして、今何をしていて、これからどうなるのかが分かれば。
そして、何より本人が「がんばろう」という気持ちを持ちさえすれば。
昇平だって、ちゃんと歯を抜いてもらうことができるのだ。
「偉かったね。本当にお兄ちゃんになったね」と家に帰ってからたくさん誉めてやった。
照れたように、にやっ笑った昇平の口元から、伸び始めた大人の歯がのぞいた。
[03/02/03(月) 20:18]