昇平てくてく日記
幼児〜小学校低学年編
親戚の死
先週の金曜日、同じ町内に住む親戚が亡くなった。
義母の叔父に当たる人で、私たち夫婦が結婚式を挙げるとき仲人を頼んだこともあって、以来、盆と正月には必ず挨拶に行っていた。
今年の正月だけは、具合が悪くて入院がちだったこともあって、とうとう行かなかったのだが・・・。
必ずこうして後悔することになるんだから、やっぱり無理してでも行くべきだったなぁ、と思っている。本当に。
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土曜日、昇平を連れて焼香に行ってきた。
お兄ちゃんも連れていきたかったのだが、ちょうど学校の友達が遊びに来てしまってダメだった。
昇平は、前の日から聞かされている「お葬式」ということばの具体的なイメージが分からなくて、しきりにこれから何をするのか、このあと母たちは何をして、自分はどうなるのかを知りたがっていた。
でも、難しいんだよねぇ、説明するのが。
この日と次の日の家族の予定を話したら、中学1年のお兄ちゃんでさえ混乱してしまって、メモに書き出してやっと理解してもらったくらいだから。
とにかく、「○○のおじさん」が死んでしまったから、お線香を上げに行くんだよ、と説明し、部屋では静かにしているように言い聞かせて、玄関に入った。
これまでにも何度も訪問した家なので、昇平は慣れた様子で、「どうぞ」と言われると「ごめんくださーい♪」なんて言いながら先に立って上がっていった。
ところが、仏様が寝かされている部屋に一歩足を踏み入れたとたん、昇平はぴたりと立ち止まって、固まってしまった。
仏様は顔に布をかけられて、布団に寝ていた。
外からそれほど見える位置にはなかったのだが、昇平は「ぼく、外に出てる」と言うなり、後ずさって廊下に出てしまった。
怖がってもう部屋には戻ろうとしなかったので、昇平はおばーちゃんに任せて、私がふたり分、線香を上げて拝んできた。
庭でおばーちゃんと待っていた昇平を引き取り、車に乗ってたとたん、昇平が矢継ぎ早に尋ねてきた。
「死んじゃったらどうなるの? どうするの? ○○のおじさん、これからどうなっちゃうの?」
とても興奮している。
そこで、できるだけ落ちついた声で、淡々と話して聞かせた。
死ぬと人の魂は体を離れて天国に行くこと。体のほうは、火葬、つまり火で燃やして、骨にして壺に入れ、お葬式をした後、お墓に入れること。それを「お墓に埋める」と言うこと。
すると、昇平、とても怯えた様子で
「じゃ、ぼくも死んじゃったら、体を燃やしちゃうの? 骨になっちゃって、お墓に埋められるの?」
そんなのいやだぁ! という悲鳴が聞こえてきそうな声だった。
そこで、改めて教えた。
人の魂は死ぬとすぐに天国に行ってしまうこと。残った体は抜け殻だから、燃やされても平気なこと。火葬にして骨にしないと、死んだ体は腐り始めてしまうこと・・・
昇平、それを聞いて、ブツブツ何かを言って、一生懸命納得しようとしていた。いや、自分を無理やり納得させていた、というほうが近い。
突然、「わかった!」と言うと、引きつった笑顔を浮かべ、後は何も言わなくなった。
たぶん、とりあえず「魂は天国に行くから大丈夫」というのが分かったことにして、これ以上、死ぬことを考えるのはやめにしたのだろうと思う。考え続けると、怖いから・・・。
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昇平はしばらく前に、死ぬことをとても怖がったことがあった。
人は必ずいつか死ぬことに気がつき、自分もいつかこの世から去るのだと知って、ショックを受けたのだ。
その頃から、お化けや暗闇もとても怖がるようになった。
無理をせずに、本人の気持ちが整理されてくるのを待っているうちに、いつの間にか落ちついた。お化けだけは相変わらず怖がっているけれど、それも「お化けなんてないさ♪」の歌を歌えば、少しの間なら怖さに打ち勝てるようになっていた。
今回が二度目のショック。
頭の中ではだいぶ整理されていたはずの死が、現実のものとして目の前に現れ、その独特の雰囲気もあって、すっかり怖くなってしまったのだろう。
叔父の身内の方たちには、昇平が怖がってしまって申し訳なかったのだけれど、でも、とても大事な体験をさせてもらったと思っている。
「死」を体験するのは、とても大切なこと。
死ぬ怖さを知らなければ、自分自身や他人の命の大切さを学ぶことも、できないと思うから。
叔父(本当は大叔父)は、かつて小学校の教師だった。
話好きな人で、訪ねていくと、決まって子どもの教育や今時の子育ての話で盛り上がった。
「今の親には厳しさが足りないね! 子どもには厳しくしなくちゃ!」なんて言いながら、自分の孫には大甘なおじいちゃんだった。
死んでなお、昇平に「死」の意味を教えてくれたのだな、と思ったら、なんだか涙が出そうになった。
叔父さん、大変お世話になりました。
天国でゆっくりとおやすみください。
合掌。
[03/03/17(月) 13:36]