昇平てくてく日記
幼児〜小学校低学年編
トイレの自立
最近、私は昇平に「トイレに行きなさい」とは言わないようにしていた。
そもそもの発端は、前回の診察の際に主治医から言われたこと。
昇平が、尿意を感じてもなかなかトイレに行こうとせず、「早く行きなさい」と言っても「出ない」と言い張って、結局トイレに間に合わなくて少しもらしてしまうことを相談したら、主治医が言ったのだ。
「トイレの場所が分からないんだよね。そういうとき『トイレはあそこだよ』と教えると、すんなり行ったりするでしょう」
確かに、そういうことは時々ある。
でも、トイレの場所が分からないなんて、そんなこと・・・。
家のトイレは2階からの階段を下りたところの突き当たり。学校のトイレだって、どこにあるのかちゃんと知っているはず。
そう言うと、主治医は苦笑いの顔をした。やっぱりわからないかー。主治医の心の声が聞こえるような気がした。
理屈は分からなかったけれど、とにかく、トイレの声かけをしない方がよいらしいと感じたので、それを試してみることにした。
私だけでなく、義母や担任、旦那にも話して、極力声はかけないで様子を見守るようにしてもらった。
そして1ヵ月。
昇平は尿意を感じる器官の発達がまだ未熟なので、感じたときにはもうかなりせっぱ詰まっているのだが、それをなんとかこらえると、自分からちゃんとトイレに行っていた。
おしっこを我慢しすぎて、トイレに行きそびれてもらす、ということは、ただの一度もなかった。
たまにちょっと間に合わなくてパンツやズボンを履き替えることもあったけれど、その回数は、私が声かけをしているときより、遙かに少なくなった。
今では1日に1〜2回、それもほんのちょっとパンツが濡れたのを気にして着替える程度になってしまった。
学校や児童館ではまったくと言っていいほど失敗しなくなった。
結果は歴然としていた。
原因もはっきりした。
私が「早くトイレに行きなさい!」と声かけしていたことが、逆に昇平のおもらしを誘発していたのだ。
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今回の診察の時、主治医にその報告をして、ずっと疑問だったことを尋ねてみた。
「あのとき先生がおっしゃった『トイレの場所が分からない』というのは、どういう意味だったんでしょうか? トイレがどこにあるか分からない、という文字通りの意味ではないんですよね?」
すると、先生、また苦笑い。『どうしてもそれを聞きたいんですか?』と言いたそうな表情で、あえて、という感じで説明してくれた。
ある程度、排泄の仕組みが整ってきた段階での話だが、その子なりのリズムで排泄を我慢したり、トイレに行ったりしようとしているとき、親が『トイレに行きなさい!」と声をかけると、せっかくつながっていた感覚と意識の間の回路が切れてしまう状態になる。
そうすると、今何をしようとしていたのか、どこに行こうとしていたのか、何を感じていたのか、分からなくなってしまう。
簡単に言うと、軽いパニック状態になるのだ。
普通の子なら、そうなっても、その場所に行けば(トイレに行けば)、ああそうだ、おしっこしたかったんだ、と思い出すのだけれど、この子たちはそのあたりに弱さを持っているので、思い出せない。
そうすると、子は混乱してしまい、「おしっこは出ない!」「トイレに行きたくない!」と言い出し、その結果、おもらしするようになる・・・のだ、と。
「でも、親の気持ちとしては、言いたくなるんですよね」と慰めるように主治医が言う。「それが親心なんだから」と。
優しいなぁ、先生。
もっと厳しく私を叱っても良い場面なのかもしれないのに。(笑)
親が元気をなくしてしまって、子育ての力を失うことを、何よりも心配している先生だから。
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でも、これは排泄のことだけに限らない話だろうな、と私は思った。
きっと、日常生活のいたる場面で起こっているのに違いない。
本来なら子ども自身が自分でできるようになっていくべき場面で、親が声をかけすぎ、手を出しすぎることで、子の自立を逆に妨げてしまっているケース・・・。
もっともっと子が幼くて、やり方もタイミングもつかめなかった頃なら、親の声かけや手助けは立派な援助だったけれど、子の成長に気づかないまま、それを延々続けていると、逆に今度はそれが弊害になる。そういうことなんだろう。
我が子は、ずっと握りしめてきた母の手を自ら手放して、自分の足で歩き出している。
その歩みは危なっかしくて、とてもとても心配なのだけれど、でも、だからこそ、あえて見守らなくちゃいけない。
そんな時期に昇平も来ていたんだな・・・と、つくづく思った。
これから、ますます君は一人歩きしていくんだろうね。
自分で自分を育てながら。
母は心して見守ることにするよ。君が独り立ちしていく様子を。
だから、がんばってね、昇平。
[03/06/09(月) 13:41]