昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

「認知」についての考察 その3

昨日の日記を読み返していて、一部考え違いをしていたことに気がついた。
認知障害というのは、情報入力の障害のことばかりでなく、その処理に関して障害があることもさすのだ。
つまり、認知には、情報入力と情報処理の二つのエリアがあり、主に入力だけに困難があるのがADHDやLD(学習障害)、入力と情報処理の両方に困難があるのが自閉症、ということなのだろう。(ただし、これは認知の面にだけ注目した場合。実際の障害の定義には、もっと別の側面からの条件がいろいろ出てくる。)
昨日紹介した主治医のことばも、よく思いだしてみたら、ちょっと不正確だった。
主治医はこう言ったのだ。
「一つはコンピューターで言うところの『インプット』の山。もう一つは『情報の処理』という山です」
インプットということばを安易に「認知」と解釈してしまった私の誤りだった。
昨日の記述も修正しておかなくては・・・。

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さて、昇平には情報入力に関して大きな困難があったので、認知がうまくいかず、さまざまな発達の遅れを引き起こしている。
よくADHDの子は年より幼く見えると言われるけれど、そのADHDっ子の集団の中でさえ、昇平はひときわ幼く見える。今現在、小学2年生。まもなく8歳になるのだが、親の印象としてはせいぜい幼稚園年中程度。5歳児くらいの感じがする。
ま、もっとも、そのおかげで彼はまだまだ、とてもかわいいのだけれど。(笑)

でも、昇平は昇平のペースで確実に発達を続けている。
人より遅れてはいるけれど、社会や学校のルールを覚え、そこでの過ごし方を身につけ、人とのつきあい方を学び、さまざまな関わりや体験を通して自分の中の「心」を発達させている。
これを「少しでも早く他の子に追いつくように!」と叱咤激励しても、意味がない。
いや、逆に弊害が出てくる。
子どもは自分の成長速度でしか伸びることができない。親としては、情報入力困難の部分で手助けはするけれど、その後の成長は、本人のペースに任せるしかないのだ。

このことを思うとき、私はいつも、中国の故事「助長」を思い出す。
田に植えた苗が早く伸ばそうと苗の先をつかんで引っ張っていたら、苗が全部枯れてしまった、という物語。
認知の困難にフォローアップは欠かせないと思うけれど、本人のペースを無視してしまったらいけない、といつも思う。フォローしながら成長を待つ。成長のタイミングを見つけたら、その機をつかんで働きかける。それこそ、種をまいたら水をやり、茎葉が伸びてきたら肥料をやり、花芽がついたら日に当てて・・・という植物の世話と、共通するところがあるな、と。

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それじゃ、成長のタイミングというのはいつか?
それは、その子が何かに興味や関心を持ったときなんだろうと、私は思っている。

たとえば、今回のキャンプもそうだった。
その2ヵ月くらい前から、昇平は家にあったアウトドアの本に急に興味を持ち始めた。
竹筒で作るパンや段ボールを使った簡易オーブンの料理、タケノコ掘りの極意など、ワクワクするようなアウトドアのノウハウが、漫画形式で描かれている。
その本を熱心に読むうちに、昇平はどんどんはまっていって、竹が欲しいと言いだし、タケノコが食べたいと言いだし、とうとう「キャンプに行きたいなぁ」と言い出した。
これは絶好のチャンスだと思った。
親から一方的に持ちかけたことではない。自分で興味を持ってイメージをふくらませてきたことを、自分からやってみたいと昇平が言い出したのだ。

実際にやってみたら、途中から雨になったにもかかわらず、昇平は終始ニコニコで、十二分にキャンプを満喫してきた。
「キャンプ、楽しいねぇ〜!」「バーベキュー、最高においしいねぇ〜!」と何度も繰り返し言っていた昇平の表情が、彼の充実度を表していたような気がする。
このことで、彼の何が成長するのか、今はまだ分からないけれど、きっと、何かしらの変化につながっていくんだろうと思う。

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というところで、スペースも尽きました。
まだまだ考察不足は多々あるような気がするのですが、今回はひとまずこれで終わることにいたします。
私のつたない考察に、最後までお付き合いありがとうございました。

[03/08/22(金) 14:04]

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