昇平てくてく日記
幼児〜小学校低学年編
心配性・2
昨日は診察と薬をもらいに病院に行ってきた。
いつもなら、病院に向かう車の中で本を読んだりゲームをしたりしている昇平が、昨日は冴えた目で外の風景を眺めている。
ところが、隣町の繁華街を抜けるあたりにきたら、ぽつりと「ずいぶんかかるんだねぇ」と言ったので、びっくりした。
もう4年も通っている道だけれど、そんなことを言ったのは初めてのことだったから。
「うん、M病院は遠いんだよ」と言いながらも、距離感とかが分かってきたのかなー、と母は考えていた。
しばらく走ると、昇平がまた言った。
「道、見つからないの?」
どうやら、母が迷子になって、それで走り回っているのだろうと考えたらしい。うう、母はしょっちゅう道に迷うからな〜。
「大丈夫だよ。もう少しだよ」
と言って走り続けていたら、道路脇に目印の遊園地跡を見つけて
「大変! 通り過ぎちゃったよ!」
・・・母、完璧に信用無し。(苦笑)
目印を通り過ぎてから病院への曲がり道になることを話し、もう何年も通った道だから、お母さんも絶対に迷わないのだと話すと、それで安心したのか、あとはもう心配しなかったけれど。
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病院に着いて、さっそく主治医にそのことを報告した。
ついでに、最近いろんなことを心配したり不安に感じたりするようになったことも、併せて報告。
すると、主治医が言った。
「専門家の目から言わせてもらうと、それはすばらしい成長をしている、っていうことになりますよ。『よくぞここまで成長したね』と言いたいです」
あらま?(笑)
主治医の説明によると、今、昇平は時間の概念や感覚が発達している真っ最中で、ようやく「時間の流れ」というものが分かるようになってきているのだそうだ。
今までは、刹那刹那でしか場面を理解していなかったし、時間の長さも感覚的には分からなかったのだが、それが分かるようになってきたために、「病院がずいぶん遠くにある」ということに気がつくようになり、それが予想外に遠く感じられたので「お母さんは病院への道を見失ったんじゃないか」と考えたということらしい。
最近の不安も、ほとんどすべて、そこが原因であったらしい。
「今やっていることや、今から始めることが」「これからどうなって」「それからどんなふうになって」「最後にはどうなるんだろうか?」と頭の中で考えられるようになってきたのだという。
そうやって自分なりに立てた予想が怖い内容になってしまったとき、その不安を他人に訴えるようになったから、周囲には、昇平が急に心配性になってきたように見えたのだ。
言われてみれば、なるほどと思い当たることも多い。
今、昇平たち、ゆめがおか学級の子どもたちは、交通安全コンクールに出品するかかしの制作に取り組んでいるのだが(なんと、今年は昇平の大好きなカービィのかかし!)、昇平は土台に紙をのりで貼りながら、先生に「これからどうなるの?」「手はどうするの?」「色は?」とたくさん質問していたのだという。
「これからどうなるんだろう?」「どんなふうにカービィになっていくんだろう?」と予想をして、ワクワクしながら作業をしていたのに違いない。(これは、不安になった事例ではないけれど)
時間の概念が発達して、予想が立てられるようになってきた。
これが、今回の変化の一番の大元だったらしい。
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主治医はこんなことも言った。
「自分の不安を他人にことばで伝えられるようになったことも、すばらしい成長ですよ」
確かに、その通りかもしれない。
これまでだって、昇平はいろいろなことに不安を感じていたのだけれど、今まではそれをうまく伝えられなかったこともあって、ただ黙って自分だけで心配していた。
こちらは、昇平の様子が不安定になったり、落ち着きがなくなったり、逆に黙り込んで心配そうな顔をすることで、それを察するしかなかった。
昇平自身、自分が不安になっている、という自覚があまりなかったのかもしれない。
でも、最近は自分からことばで訴えてくれることが多くなってきたので、こちらもことばでそれに説明できることが増えた。なにか誤解をして心配しているときには、その誤解を解いて、安心させることもできるようになってきた。
ことばで自分の気持ちを表現するようになったから、不安や心配が相手にはっきり伝わるようになった。
そういうことだったのだ。
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成長は、決して「見た目にもグッド」な状態を招くわけではない。
こちらが期待していたような形には出てこないことがあるし、新たな問題が生じてきたようにみえることだってある。
でも、それだって、必要な成長の通過点なんだ、と。
今回の診察で、そんなことをつくづく考えさせられたのだった。
[03/09/05(金) 10:08]