昇平てくてく日記
幼児〜小学校低学年編
最近の昇平に思う
最近の日記のタイトルを見返していて、ちかごろADHDらしいエピソードが少なくなっていることに、改めて気がついた。
確かに、昇平は以前と比べると格段に行動が落ち着いている。
特にリタリンが効いている時間帯はばっちりで、授業中はきちんと着席できるし、課題にもまじめに取り組めるし、買い物や食事で店に入ってもちゃんと・・・いや、比較的・・・おとなしくしていられる。
勝手にどこかに行ってしまうこともない。
思いつきのまま行動して失敗するということもない。
大人の言うことを聞かずに逆らうと言うことも(あまり)ない。
集中力は相変わらず短めだけれど、特殊学級の授業は10分程度という短いスパンで組み立てられているし、飽きてしまわないような工夫が随所にされているから、学習内容がしっかり身に付いている。
3学期になって協力学級での授業が増えたけれど、こちらの方もほとんど問題は起きていないらしい。仮に何かあったとしても、協力学級・特殊学級の両担任の連携でなんとかなっているようで、親の方にはまったく何も聞こえてこない。(非常に信頼できる担任たちだから、こちらの方でも特に問いただしたりはしていない。)
お友だちとはしゃぎながら元気に遊ぶ、ということはあまりないけれど、クラスのお友だちと校庭で氷探しをしたり、児童館では仲良しの女の子とお絵描きをしたり、静かな遊びを好みながら、少しずつ関係を広げている。
自分の気持ちを他人に伝えることも、徐々に上手になってきている。
お友だちとトラブルを起こすことは、本人が争いを嫌う性格なのも幸いして、まったくといっていいほど、ない。
児童館でも、最近はかなり安定して過ごしているらしい。お迎えに行ったとき、児童館の先生から相談されることもなくなった。まぁ、いかにも昇平らしい小さなトラブルは相変わらず起こしているようだけれど、先生の方でも慣れて、しかたない、そんなものだ、と思ってくれるようになったのかもしれない。
発達に大きく遅れている部分があるのは間違いないけれど、それでも、ずいぶん生活がスムーズになってきたと感じている。
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今、昇平を「やっぱりADHDだな」と感じるのは、食事時とリタリンが切れている時間帯だけ。さすがに、なんとも落ち着かない感じになって、椅子を蹴って音を立てたり、体や手をひっきりなしに動かしたり、ちょっとしたことに興奮して、あっちの部屋こっちの部屋と飛び回ったりしている。
それでも、以前と比べたら、格段に落ち着いたと思うし、こちらの言うことも耳に入るようになった。
リタリンが切れているはずの夜に、時々、とても丁寧に漢字の宿題をやるようになったのも、大きな変化。自分の意思で自分の行動をコントロールできるようになってきたのだろう。(ただし、いつもそれができるというわけではないが。)
部屋もあまり散らからなくなった。ひとつの遊びに集中できる時間が長くなったから、手当たり次第におもちゃや本を出さなくなったのだ。例え散らかっても、声をかければそれなりに片づけられるようになったし。
う〜ん、すごい成長だな。
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それでも、昇平には課題がたくさんある。
目の前や身の回りで起こっている出来事が、見ているだけ、聞いているだけでは理解しにくい。
長い文章で言われたことばが理解しにくい。
人の立場に立って考えることが難しい。
これらの部分が成長してくるには、まだまだ長い時間がかかる・・・。
リタリンは、昇平の理解力を伸ばす助けをしてくれている。たぶん、頭の中が落ち着くから、情報を整理しながら理解できるようになるのだろう。
周りの人たちの援助も欠かせない。こういう子だと分かってもらった上で、指導したり助けてもらったりすることが大切になる。
薬やたくさんの人々の助けを借りながら、昇平はこれからも、てくてくと歩き続けるのだろう。
自分だけの道、自分自身の人生を。
誰も、その人生を肩代わりすることはできない。
親である私でさえも。
だけど・・・昇平はなんとも楽しそうに、そこを歩いているように見える。
「ぼく、昔はちょっとおばかさんだったけど、今はもう、お利口さんでしょ?」
「ぼく、大きくなったでしょ? お兄さんになったでしょ?」
そんなふうに言いながら、今の自分に誇りを持って、どんどん自分で前に進んでいる。
今は母が帆走しているけれど、やがて、きっと母が置いて行かれる日が来る・・・そんな予感もする。
そのときが、この日記の扉を閉じる日なのかもしれない。
子の成長は、心から嬉しい。
でも、同時に感じる、この一抹の寂しさは、親もしっかり子離れしていかなくちゃいけない、ってことなんだろうな。
――大変でも、今が一番良いとき。
誰かに言われたことばが、頭をよぎる。
本当に、そうなのかもしれないなぁ・・・。
[04/02/13(金) 14:06] 日常