昇平てくてく日記
幼児〜小学校低学年編
「死ぬ」の代わりに
ことばの発達がずっと遅れていた昇平。
最近、だいぶいろいろなことをしゃべれるようになったけれど、ことばを仕入れる先の問題なのか(テレビや漫画、ゲーム、ネット上のサイトなどから仕入れることが多い)、本人のボキャブラリーの問題なのか、あまり適切でないことばづかいをしていることも多い。
特に最近気になるのは、「死ぬ」「殺す」「自殺する」ということばの多用。
ちょっと思い通りにならないことが起こると、「ぼく、死んじゃう!」。
もっと思い通りにならなかったりすると「ぼくもう自殺する!」
相手が気に入らないと「殺してやる!」とすごむことも・・・。(これはだんだん減ってきたようだけれど)
さて、どうしたものかな、と思っていた。
思い通りにならない場面に出くわすと、条件反射のように出てくる「死ぬ」のことば。
そんなに軽々しく口にすることばじゃないんだよ、と説明したこともあるけれど、そのときには「分かった」と言っても、やっぱりそういう場面になると口をついて出てくる。
「ぼく、死んじゃうよ!」
そんなに簡単に人が死んでたまりますかって。
そこで、こんなふうに切り返すことにした。
「ぼく、(これができなかったら)自殺しちゃうよ!」
と言ってきたら
「わー。それじゃもう、昇平くんは天国に行ってお母さんと会えなくなるんだね。さようなら、元気でね」
とたんに、昇平、真っ青になって
「うそうそ! 死にません! 自殺しません! お母さんと一緒がいいよー」
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それ以来、すぐに「死ぬ」のことばを撤回するようにはなったけれど、それでもやっぱり「死ぬ」を言うことはなくならない。
まだこれじゃ足りない。もう一手欲しいんだ、と思っていたとき、ペアレント・トレーニングのセッションで、こんな話を聞いた。
「子どもは、自分の気持ちの表現の仕方を知らないために、悪態をついたり、暴れたりすることがあります。そのときには、そのことばや行動を、適切なことばに置き換えていってあげます。そして、それをターゲット行動にして、子どもが適切な言い方をしたときには、すかさずそれをほめてあげます・・・」
これだ、と思った。
「死ぬ」を言わせないようにするだけでなく、代わりに言うべきことばを教えてあげなければ、いつまでたっても、昇平は自分の気持ちを表現するのに適切な表現ができないんだ・・・。
昨日の朝も、休職の献立表を見て、昇平が言い出した。
「うわ〜、ピーマンの肉詰めだ! ピーマンいやだ! ぼく、死んじゃうよ!」
そこで私はまず、いつものように「さよならー」と手を振って見せた。
最近はもう、それだけで「うそうそ、死なないよ!」と言うようになっている。
「死ぬ」が止まったところで、昨日は、そこでさらにこう聞いてみた。
「それじゃ、『死ぬ』の代わりになんて言えばいいと思う?」
昇平がすかさず答えた。
「ピーマン嫌い、って言わない」
いや、ま、それはそうかもしれないけれど・・・
「でも、やっぱり嫌いでしかたないときには、なんて言えばいいのかな?」
「やっつけてやるぞ!」
「う〜ん、それは今いちだね」
すると、昇平、少しの間考えてから、こう答えた。
「やだ、って言う」
「そうだね。やだって言うとよく分かるよね」
やっと、適切なことばにたどり着くことができた。
でも、昇平がピーマンを嫌いなことには変わりがない。
「ピーマンやだな。ピーマン食べられないよ・・・」
と昇平がぶつぶつ言い続けるので、
「それは森村先生と給食のときにご相談してね」
と言って、昇平を学校に送り出した。
夕方、帰宅した昇平に聞いてみた。
「給食のピーマンはどうしたの?」
「全部食べたよ!」
昇平が誇らしそうな顔で答えた。
別に「やだ」という適切なことばが言えたから、ピーマンを食べられるようになったわけではないだろうけれど、自分の思いがすんなり相手に通じる経験をすると、気持ちの切り替えや整理もつけやすくなるのかもしれないな・・・なんてことを考えてしまった。
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「死ぬ」の代わりに「それはイヤだ」、「自殺する」の代わりに「(ぼくは)悲しい」「くやしい」。
その気持ちを表すのにちょうど良いことばは、この世界にちゃんと用意されているんだよね。
一緒に少しずつ覚え直していこうね。
キミが上手にそのことばを使えたときには、お母さんもできるだけ聞き逃さないようにして、ちゃんとほめてあげるから。
お母さんもがんばるからね。
[04/09/09(木) 17:13] 療育 日常