昇平てくてく日記
幼児〜小学校低学年編
T町講演レポート
フリー参観のレポートの途中ですが、昨日、福島県内のとある小さな町で、親の立場で講演をしてきたので、忘れないうちにその報告を載せたいと思います。
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行ってきた先は、福島県の南のはずれに近い場所にあるT町。私が住んでいるのは北のはずれのほうだから、福島県を北から南に移動したことになる。
そこは人口1万6千人強の小さな町で、私が住む町を一回り小さくしたようなところ。2年前に完成したばかりという、真新しい保健福祉センターで(とても綺麗な建物だった!)年に数回療育支援検討会というのが開かれていて、その席で、発達障害のある子どもを抱える親の気持ちや、保育園時代にどう保健、教育、福祉と連携をとってきたかという体験談を聞かせてほしい、という依頼だった。
(T町の関係者の皆様、大変お世話になりました。)
その町では、幼稚園や保育園に軽度発達障害の子どもたちが入園してきて、現場の先生方が一人で抱え込んで苦労している現状を昨年初めて知り、これは大変だ、というので、予算をつけ、関係者で集まって、支援検討会と称して、関係者で事例検討や情報交換などをして学習するようになったのだという。小さい町ならではのフットワークの軽さかもしれないが、すばらしいなぁ、と本当に思った。
検討会は全部で12名ほどの小さな集まりだったが、町の幼稚園、保育園の先生、地域の障害児のコーディネーターさん、保健福祉課(健康づくり課、と言うらしいけど)の課長さん、主幹さん、保健師さん、教育課の係長さんという、すばらしい顔ぶれ。
今までは関係者だけで話し合ってきたけれど、支援をする側と、受ける側の親の気持ちの間には「ずれ」があるかもしれない、親の本音を聞く必要がある、ということで、とあるつながりから、私にお声がかかったのだった。
そういう場で話すのは、私も初めてだったから、初めかなりドキドキだったのだけれど(私だって上がりますよ。笑)、何しろ、昇平に関しては日記や連絡帳に山のように記録が残っているので、それを見返して、特に乳幼児期の頃の昇平について、親の立場からいろいろ話をしてきた。
小さい頃から多動で子育てが本当に大変で、「なんだか変だ」としょっちゅう感じていたけれど、「いつか大きく成長して、他の子に追いつくかもしれない」と思って、迷い迷いながら、不安を抱えながら、でも誰かに相談することをためらっていた時期のこと。
ついに発達相談会に足を運び、ADHDという診断も受け、診察と投薬を進められたにもかかわらず、「まだ他にできることがあるような気がするから」と病院を拒否して、子育てサークルや子育て支援センターに通い詰めた時期のこと。
それでもやっぱり発達の遅れの差は縮まらず、親としてはもう打つ手がない、と感じて、ついに診察と投薬に踏み切り、昇平に劇的な変化が現れたときのこと。そのときの私の気持ち。
さまざまな基本的生活習慣や人との関わりについて、家庭での指導に限界を感じて、プロの力を借りるために保育園に入れたこと。
入園当時は、母子分離もできず、給食も食べられず、トイレトレーニングもうまく行っておらず、もちろん、着席も集団参加もできず、友だちとも関われず、誰かが泣けば自分まで泣き出して大パニック、というとんでもない状態だった昇平が、保育士と親で密に話し合い、一緒に考え、知恵を出し合い、時には専門家に相談をして意見を仰いだりしながら、一歩一歩進んでいって、卒園の時には、生活習慣もすっかり身に付き、普通の子どもたちより行儀良く卒園式に参加していたこと。
それを見て、プロの力というのは、本当にものすごいなぁ、と感じたこと。
就学時に、どうして普通学級ではなく、情緒障害児学級のほうを選んだか。そのときの親としての葛藤。そして、決心。
今現在の昇平の様子・・・。
話し出してみたら、話のネタだけは山ほどあったので、2時間はあっという間に過ぎてしまった。
その後、時間を延長しての意見交換になり、そこでもいろいろなケースや、そのときの親の気持ちについての話をした。
話を聞いてくださった方たちからは、「親のあからさまな本音を聞く機会というのが今までほとんどなかったので、とても参考になった」「子どものために、親に一刻も早く障害を認めてほしい、と思ってしまうけれど、親の気持ちが変化して受け入れていくのにも時間がかかるのだと分かった」「親の気持ちに寄り添いながら、長くつきあっていくことが大事なのだと改めて思った」という嬉しい感想をいただいて、私は心底ホッとした。
交通費と日当までいただいておいて、全然参考にならないようなお話をしてしまったらどうしよう、ととても不安だったから。
何かしら、感じること、得ることがあったようで、本当に良かった・・・。
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でも、今回T町の保健福祉センターを訪ねて、つくづく感じた。
この日本には、あちこちに、昇平みたいな子どもたちを「支えたい」「一緒に育てていきたい」と思ってくれる人たちが実はたくさんいるのだ。そして、「どうするのが本当の支援になるのだろうか?」と日々悩み考えてくれているのだ、と。
よく「誰も助けてくれない」「どこでも相談にのってもらえない」と親は嘆くけれど、本当は力になってくれる人たちは、どこかに必ずいる。ただ、まだ出会っていないだけなんだ・・・。
T町の関係者の皆さんは、本当に熱意があふれていて、すばらしかった。
定期的に支援会議を開いて、お互いに連携しているから、一人で消耗してしまわないのだろうな、とも思った。関係者同士も、お互いにも支え合っているのだろう。
予算財政が厳しいのはどこの自治体も同じだけれど、熱意を持って訴えれば、動き出す人、動き出すものがあるんだなぁ、と思った。
「現場の声があって、初めて現状が分かる。今までは現場で抱え込んでしまって、上まで声が上がってこなかったんでしょうね」とは、課長さんや主幹さんのお話。
やっぱり、行政を動かすのは、現場からの生の声なんだね。
こういう活動が続けられることで、きっと、町や周辺の地域も変わっていくんだろうな・・・。
そんな嬉しいものを感じながら、T町を後にしてきた。
大きな変化を焦るのではなく、できるところから、地道に着実に。
これが本物の特別支援じゃないかな。
そんなことを考えている。
[04/10/01(金) 09:33] 療育 行政 講演