昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

森村先生を見送る


3月31日は小中学校の離任式。ゆめがおかでも、親子勢揃いして学校を去っていく森村先生のお見送りをした。

森村先生はこの小学校に8年間もいた。通常1つの赴任先には6年までと言うのが規約だそうで、森村先生が去年の春8年目に突入した時には、「伝説」とまで言われたらしい。普通学級から特殊学級の担任に転向したという事情も関係していたかもしれない。もしも単純に6年間で異動になったら、昇平が2年生になる時点で、先生はいなくなってしまったことになる。それを思えば、小学校の3年間をしっかり森村先生に指導してもらって、学校生活の基礎を作り上げてもらえたことは、本当に幸せだったと言うしかない。
本当にすばらしい先生だった。熱心で、子どもの気持ちにも親の気持ちにも寄り添ってくれて、その上で、その子の今と将来を考えながら、さまざまな方面から指導をしてくださった。やるべきことをやらない時には厳しいこともあったけれど、子どもと遊んだりしゃべったりするのが大好きな、優しい先生だった。
先生がいると子どもたちはいつも落ちついていた。親も先生と話すと心が安らいだ。その安心感が、親子の次のがんばりを支えてくれていた。
昇平だけでなく、森村学級の子どもたちは全員が本当に成長した。子どもたちの特性を見極めながら、子どもたちに合わせて指導していくことの有効性を、子どもたち自身が証明している。算数や国語に通級にくる子どもたちでさえ、本当に大きく伸びた。「勉強が分かる。面白い」と笑顔で言う子どもが増えた。
特殊学級と普通学級の連携、一人一人に合わせた個別の指導とクラス単位での育ちを期待した全体指導のバランス、子を支え親を支える教室・・・それは、文部科学省が打ち出す「特別支援教育」の理想の姿だったと思う。

それだけの実践を5年間続けてきた森村先生が、ゆめがおかを去っていく。
親にも子にも、これは本当に大きなショックだった。年月から言えば、いつ転勤になってもおかしくないけれど、でも、もう1年、もう1年・・・と、どうしても考えてしまっていたのだ。
新聞に異動発表が載った日、Bくんと通級に来ているHくんは熱を出したという。いつも明るくてよくしゃべるDくんも、さすがに離任式の前日には元気がなかったという。「離任式の後で調子を崩すかもしれない」とDくんのお母さんが言っていた。何でもしゃべるように見えていて、実は内にこもるタイプの彼。本当に言いたいこと、本当に感じていることは、なかなかことばにできないんだよね。Cくんは法事でどうしても最後まで見送りに参加できなかったけれど、朝のうち教室に来て、妙にはしゃいでいた。悲しく不安な気持ちを紛らわせるように。昇平は離任式の3日くらい前からお腹の調子がおかしくなっていた。最近、彼は精神的なものが腸に来るのだ。やはり通級に来ているTくんとそのお母さんも、新聞の発表を見てとてもショックを受けた、と言っていた。

みんなから本当に惜しまれながら、先生はゆめがおかを去っていった。子どもたちは先生に手紙を書いた。昇平は、先生の似顔絵も描いた。それに私が額をつけ、昇平に飾り付けをさせた。その日の朝、昇平に言われて包みを開けた森村先生は、似顔絵を見て破顔していた。昇平が先生の顔を描いたのは、初めてだったのだ。そんな先生の様子を見て、昇平もニコニコしていた。

離任式のあいさつでは、先生は「みんなのすばらしいところをたくさん見せてもらってきました。得意なことをこれからも、もっともっと伸ばしていってほしいと思います」と、全校生に向かって話していた。それが先生の指導の基本だったな、と思った。得意なところを伸ばしていくことが、自分の苦手な部分を補っていってくれるから・・・。

校庭に並んだ間を、離任する先生方が子どもと握手しながら通っていく。校長先生もこの日、長い教員生活に終止符を打って退職なさった。校長先生は雨の日も風の日も3年間、毎朝昇降口に立って子どもたちに声をかけてくださっていた。最初はなかなかあいさつを返せなかった子どもたちが、校長先生に声をかけられていくうちに、自分から元気いっぱいの声で「おはようございます!」とあいさつするようになった。子どもにやってほしいことは、まず教師が実践してみせる。無言のうちにそんな校長先生の信念を感じる3年間でもあった。他にも2人の先生方が離任していったけれど、やはり子どもたちによく目を配ってくださる、暖かい先生方だった。この小学校にはすばらしい先生がたくさん揃っているが、校長先生のお人柄によるところも大きかったのかもしれない。

昇平はクラスからの花束を森村先生に渡す役になって、はしゃぎながら校庭で待っていた。でも、いざ先生に花を渡してしまうと、口をきゅっとむすんで帽子を目深にかぶってしまった。
最後まで、森村先生は笑顔のままで涙は見せなかった。けれども、最後の最後、校庭に停めてある自家用車に乗り込むときになって、先生は子どもたちのほうを振り向いて冗談のように言った。
「このまま、みんなのことを連れて行くかぁ?」
先生が一から子どもたちと一緒に作り上げてきた、情緒障害児学級「ゆめがおか2」。心残りでないはずがない。一番年下の昇平が卒業するまで、通級に来ている子たちが巣立っていくまで、最後の最後まで指導していたかったの違いないのだ。
でも、それはできないことだから・・・。
校庭の端に立って眺めていると、遠くの橋の上を先生の車が走り去っていった。私は、この日何度目かの涙をこらえるのに、空を見上げた。


けれども、私たちはこれからのことを考えなくちゃいけない。
その日集まった親たちの間で、新しい年度の学級委員や新しくいらっしゃる先生の話が出た。まだどんな先生かは全然分からないけれど、「優しそうな女の先生だ」とは聞かされている。
森村先生が私たち親に残していってくれたのは、担任と連携していくことの重要性だった。学校に任せっきりではなく、担任と一緒に考えながら子どもを育んでいくことで、子どもたちは大きく伸びていくのだ、と。
森村先生、あなたが行ってしまわれるのは、本当に本当に残念です。でも、ゆめがおかがこれからもすばらしい学級であり続けるように、私たち親も、新しい先生と協力しながらがんばっていきましょう。それが、先生のこれまでの指導に対する、最大限の感謝になると思うから。
先生、長い間、本当にお世話になりました。新しい学校でも、またご活躍くださいね。
本当に、ありがとうございました。

写真は、昇平が先生に贈った似顔絵。絵に書かれているのが先生のご本名。「森村」はこの日記に書く際の仮名でした。
赴任先の学校でも、またすばらしい学級が作ら、子どもたちが大きく育っていきますように。

[05/04/01(金) 12:10] 学校

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