昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

自閉症とADHDの多動の違い(上)

先週、とある方から「自閉から来る多動とADHDから来る多動の違いは?」ということを言われて、私なりに考えてしまった。

自閉症の子どももADHDの子どもも、しばしば多動になる。そして、本当は自閉の特徴が強い子どもでも、小さい頃にはADHDと言われていることがけっこうある。多動は幼い頃から目につくし、「多動=ADHD」と結びつけて考えられやすいからだ。ただ、ある程度年齢が上がってくると、多動は次第に落ちついてくる一方で、社会的な行動を要求されることがどんどん増えてくるので、そちらの困難が明らかになってきて、アスペルガーや高機能自閉症と診断名が変わることもよくある。「多動だからADHDだとばかり思っていたのに・・・!」と家族はびっくりすることになるのだ。

昇平は、小さい頃には本当に多動だった。じっとさせておくことは、まず不可能。手を離せば、次の瞬間にはもう、母のかたわらにはいなかった。
素早くて落ちつきがなくて、しかも、周囲の状況が見えていないわけだから、危険なこときわまりない。外出する時には、必ず私か旦那がしっかり昇平の手を握るか、そばについて離れないようにしていた。私が所属しているADHDの会には、子どもが小さい頃、危険防止のためにハーネス(引き綱)をつけて歩いた、という会員もいる。
でも、自閉児を持つ親も、やっぱり同じような状況を口にする。落ちつきなく動き回っていて、じっとさせておくのが困難だった。いつも走り回っていた。危険でしかたなかった、と。
いったい、ADHDと自閉症の多動には、どんな違いがあるというのだろう・・・?

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自閉は「視野が狭い」ことから来る障碍だ、とニキ・リンコさんは言っている。(「閉じた情報の環っか 俺ルールに生きる人々」http://homepage3.nifty.com/unifedaut/oreruuru.htm) 見えている範囲が狭いので、個々の細かい情報や小さな違いにはよく気がつくけれど、場面を全体的に認識することが困難になるのだそうだ。
これを元にして考えると、自閉から来る多動は「情報収集に走り回っている状態」なんじゃないかな、と思ったりする。
新しい場所、見慣れない場所に来ると、そこがどんな場所なのか知りたくなるのは、誰もが同じ。ただ、非自閉の子だと、全体を眺めて目に入るものから「ああ、ここは音楽室だな」とか「人がいっぱい集まっていて、何かが始まるのを待っている場所なんだな」と判断できるけれど、視野が狭い自閉の子の場合は、その場所にある物や様子をひとつひとつ確かめることでしか全体を判断できない。だから、情報収集のために、ぐるぐると走り回ることになるんじゃないだろうか。
自閉の特長を持つお子さんが新しいところに行くと、自分が納得するまでうろうろと歩き回り続ける、とはよく聞く。きっと、そうやって、一生懸命情報を収集しているんだろう。そういう場合の多動は、自分なりにその場所の情報を得て、納得することができれば、あとは歩き回る必要がなくなる。「場所に慣れれば落ちつく」のだ。
だとしたら・・・
自閉からくる多動の場合、「その子の情報収集にとことんつきあって上げる」のが、落ちつくための一番の早道じゃないのかな、と思う。ほったらかしにしないでつきあうのは、危険を防止するためと、その子の興味や認識のあり方を確認するため。その子が情報収集している間、こちらもその子について情報収集するのだ。

実を言えば、幼い頃の昇平の多動の半分は、これが原因だったんだろうと思っている。
見えている物事が狭い。一カ所に立って眺め回しても、何がどうなっているか全然分からない。だから、あちこち歩き回ったり、走り回ったりして、その中にどんなものがあるのか確かめていたのだ。好きな物が見つかると、そこに何度でも行って見る。「好きな物がまだそこに存在しているかどうか」を確かめていたのかもしれない。
先の春休みに私の実家に泊まりに行った時、朝目を覚ました昇平が、実家の中をうろうろしていた。最近には珍しい行動だったので「どうしてうろうろしてるの?」と聞いてみたら、昇平が答えた。「家の中の物が(昨日と)変わっていないかどうか確かめていたの」
なるほど、これが小さい頃のうろうろの原因だったのか、と改めて納得したのだった。


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一方、バークレー先生のことばを借りれば、ADHDは「自己コントロール系の困難」から来る障碍ということになる。
自分の行動や感情を上手にコントロールできなから、つい動き回ってしまうし、衝動的に行動してしまう。また、何かに注意を集中させておくという「意識のコントロール」も上手にできないから、不注意という症状も起こってくる。
ADHDの子どもの場合、どんなにその場所に慣れても、やっぱり多動は起こる。走り回ったり、教室の中をうろうろするのは年齢が上がればだんだん落ちついてくるけれど、それでも、体のどこかが動いていたり、椅子をガタピシ言わせたり、非常におしゃべり(お口が多動)だったりする。

昇平は、日中にはいわゆる「多動」はほとんど見られなくなった。だから、小さい頃の彼を知らない人からは、「本当にADHDなの?」と意外そうな顔をされることもある。
ただ、リタリンが切れる時間帯になったり、何かの理由でリタリンを飲まなかったりすると、今でもやっぱり様子が変わる。「歩く」が常に「走る」になり、昇平のいる部屋から「ドタン」「バタン」「ドシン」とやたらと音がするようになり、何かをしていても立ったり座ったりとせわしなく、視線や興味関心の対象が次々と移り変わってじっとしなくなる。
こういうときの昇平には、「とにかく、ちょっと落ちつきなさい!」と言いたくなる。こちらまでつられて落ちつきない気持ちになって、目が回りそうになるからだ。昇平の場合、普段は多動がリタリンで抑えられているだけなのだ。

ADHDから来る多動はリタリンなどの薬で軽減することが多いし、年齢が上がって中枢神経が発達してくると、多動はかなりおさまると言われている。
だから、ADHDから来る多動の場合、「危険を防止しながら、必要に応じて薬の助けも借りながら、本人の発達を待つ」のが一番の方法になるのかもしれない。
もちろん、「待つ」間には、「必要な場面ではむやみに動き回らないこと」を教え続ける必要はある。「危険回避」や「周囲への配慮」を教える必要もある。でも、本当に症状が強い場合は、いくら教えても本人にはコントロールしきれないから、多動が激しすぎて大変な時には、やっぱりお医者様に相談して、適当な方法を見つけていった方が良いだろうと思う。

[05/04/24(日) 20:45] 知識 療育

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