昇平てくてく日記
幼児〜小学校低学年編
フリー参観・7
【帰りの会】
最終回と言いながら、本当に長くなってしまっている。
でも、これで本当に今回のレポートは最後。まとめの意味もこめて、協力学級での帰りの会の様子を載せる。
昇平は今、4−3の帰りの会に混ざってから、学童に行くようになっている。4月5月の頃は、同じ方面に行くお友だちがいないと、「ぼくは誰と帰ったらいいの!?」と泣いて怒って大騒ぎしていた昇平だけれど、今ではもうすっかり慣れて、1人ででも平気で学童まで歩いていくようになった。
一緒に帰る特定のお友だちはないようだけれど、これは、学年が上がって、まわりの子たちと共通の話題になることが少なくなってきたことや、帰ってからの遊ぶ約束ができないことなども関係しているだろうから、そのあたりはあまり気にしていない。それより、自力で学童まで下校できるようになったことがすごいと思っている。
帰りの会では先生からの連絡事項(宿題や明日の予定)があり、当番の子が交代で「お話」をする。
ところが、昇平は学級文庫からお気に入りの科学雑誌を持ってきて、ずっとそれを見ている。昇平の場合、先生の連絡は内容が違うから連絡帳に記入する必要がないし、当番のお友だちの話は、聞き取り力に困難がある昇平には理解しにくい。・・・というわけで、その時間帯は、好きな本を見ていて良いことになっているらしい。
まあ、これもしかたないことだろうな、と思う。このとき、無理に本を禁止したら、それこそ「ぼくは何をして過ごしていればいいの!?」と言い出すだろうから。
ただ、帰りの会の中に昇平が耳を傾けて参加すべき時間があるときには、ぜひ、そのときだけでも「昇平くんも一緒にやってね」と声をかけて、参加させてもらいたいな、と思った。音楽や体育と言った授業だけでなく、帰りの会にも混ざることで、4−3のみんなからは「クラスの仲間」として見てもらっている昇平。彼自身も、「帰りの会に参加したぞ」という実感が持てれば、またひとつ何かが変わってくるのかもしれない。
でも、4−3全体としての帰りの会を見てみると、とても素敵だった。当番の男の子のその日の話が素晴らしかったのだ。
私は昇平がよく見えるように、廊下の窓のすぐ近くに立っていたので、残念ながら話の内容はほとんど聞き取れなかった。でも、それがとても生き生きと、楽しそうに語られていたこと、聞いている子どもたちが本当に目を輝かせて面白そうに聞いている様子は、はっきり見えていて、その光景に感心してしまったのだ。
自分が話したいことを、生き生きと伝えられるというのは、本当にすごいことだ。そんなお友だちの話にしっかり耳を傾けられるみんなも、本当にすごい。こんなに素敵な場面に出会えるとわかっていたら、教室の中に入って、そこで参観していたんだけどなー・・・ととても残念に思った。
帰りの会も終わってから、担任の弓子先生に挨拶をして、その話を伝えたら、「そうなんですよー! このクラスの子どもたち、お話するのがすごく好きだし、上手なんです。役者な子どもたちが揃っていてー!」とすごく嬉しそうに教えてくれた。それを聞いて、またまた、『あ、いいな』と感じた私。
確かに話し上手な子、そうでない子の差はあるものだけれど、話し上手な子がいるからと言って、必ずしもそれが発揮されるとは限らない。話というのは、それを歓迎して聞く雰囲気がなければ、決して深まっていかないから。あんな風に子どもがのびのびと、明るく楽しく語れるということは、そこにつながる先生の指導がこれまでにあった、ということなのだ。
でも、弓子先生は「これこれこういう取り組みをした成果です」とは言わずに、「みんな子どもたち自身の力なんですよ。素敵な子どもたちでしょう?」と言うように目を細めていた。ああ、子どもの力を引き出すのが上手な先生なんだな、とつくづく感じたのだ。
そういうタイプの先生は、決して「指導を頑張りました」とは言わない。決まって「子どもたち自身の力です」と言う。子どもたちの持つ力を信じて、それを発揮させるための手だてと働きかけをして、その成果を子どもたち自身に返してくれるのだ。
だからこそ、今年、昇平は協力学級でいっそう力を発揮し始めているんじゃないか、という気がしている。体育でも音楽でも、昇平はお客様などではなかった。立派に4−3の一員で、フォローしてもらう場面はあっても、立場としては皆と対等だった。子どもたちの力を上手に引き出せる先生だからこそ、昇平の良いところも見える形で上手に引き出し、無理なくクラスに組み込むことができるのだろう。
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ドウ子先生、R先生、K先生、弓子先生・・・素敵な先生方をフリー参観でたくさん見ることができた。
それぞれに力のある先生方だけれど、それと同じくらい素敵だったのは、先生同士がよく話し合って、1人の子どものことを一緒に考えてくれることだった。そういう雰囲気のある学校なのだ。
たくさんの先生方の間で、子どもたちが育まれている。1人ずつの違いを理解してもらいながら、できないことよりもできることに注目されて、その力を伸ばしてきている。その中に、昇平もいる。
これが、本当の特別支援教育じゃないかな、とつくづく感じた。
特別支援教育は、診断名を持つ障害ある子供たちだけのものじゃない。1人ずつが持っている力のでこぼこを、まず受け止めてもらって、その上で「ではどうしようか」と考えてくれるのが、特別支援教育なのだ。
普通の子たちが暖かく受け止められている学校は、昇平たち障害ある子どもたちのことも、暖かく受け止めてくれる。障害ある子たちに配慮ができる学校は、普通の子たちにもしっかり配慮ができる。
そういうことなんだな・・・と思った。
ああ、本当に良いフリー参観だった!!
[05/10/15(土) 12:59] 学校