昇平てくてく日記

幼児〜小学校低学年編

「親」という専門家・3

「親という専門家」の話は前後編で終わろうと思っていたのだけれど、なんとなく若干「専門家」という言い方に誤解が生じそうかな、という気がしたので、補足として(3)を書くことにする。

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私が言う「専門家」は、医者や心理士、学者と言った、「発達障害を専門に研究、職業としている人」という意味ではない。
私が考えていた専門家は、例えば学校の先生、保育園の保育士、小児科や歯医者といった町の開業医、スポーツ少年団やスポーツクラブの指導員、塾や○○教室の講師、学童の指導員・・・といった、子どもの生活に、専門家の立場で関わる人たちのこと。そういう人たちを考えれば、最近の親の中に「専門家を超える知識を持つ」親が出てきたかもしれない、ということは、納得できると思う。
いくら親が勉強しても、本気で心理士でも目ざさないことには、本物の専門家と知識的に並ぶのは絶対に無理。だって、見ている事例数があまりにも違うし、目ざしているものが違うもの。親はあくまでも親。我が子の幸せを第一番に考えている。親ってそういうものだと思うし、それでいいんだとも思う。

たぶん、今までの親の立場というのは、専門家たちの専門的な知識に敬意を表して、その言うことを拝聴して、100%それに従っていくべきものだったんだろうと思う。特に日本においては。
でも、こと発達障害を持つ子どもに関しては、毎日の家庭での生活というのがものすごく意味を持つ。子どもは生活の中で発達していくものだから、親は「誰か他の専門家」に子どもをすべてお任せするわけにはいかない。親は親として、子どもに関わって、子どもの成長・発達に責任を持たなくちゃならない。それが、「親という専門家」になる、ということ。

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とはいえ、こういうことを書くと、最近子どもさんの障害がわかったばかりの親御さんが、プレッシャーを感じてしまうんじゃないかなぁ、と心配になってくる。
うちは上にお兄ちゃんがいるからわかるけれど、障害のない「普通の」子どもを育てるのだって、実はとても大変なこと。それなのに、我が子には「発達障害」がある、とわかった。どうしたらいいの!? どうやって子育てしたらいいの!? 親として専門家になれ、なんて言われたって、どうしていいのかわからないよ!! と思われてしまうんだろうな、と想像してしまって、正直私は困惑してしまうのだけれど。

それはそれで、自然な過程だと、私は思っている。
私だって、昇平に障害があるらしい、とわかった時にはパニクったし、「なにかやらなくちゃ!」と考えて、がむしゃらな関わりを持とうとしたこともあった。幸か不幸か、昇平の方で「そんな関わり方はイヤだ!」というメッセージを返してきてくれたから、すぐに頭が冷えて、助かったけれど。
親は、親だけで子育てをしていくことはできない。まして、母親ひとりでやれ、と言われたら、これは本当につらい。
最近、私は朝、昇平を学校まで送るのに大忙しで、バタバタとまったく余裕なく過ごしているのだけれど、どうしてだろうと考えたら、旦那のちょっとしたフォローがなくなっていたからだった。寒くなって道路が凍結しているので、旦那が今までより早く出勤するようになって、昇平を朝起こしてくれる人がいなくなっていたのだ。朝食の支度やらすませて、一段落して二階に上がると、もう時計は7時。「昇平、早く起きてー! 早く着替えて、朝食食べてー!!」と、朝っぱらから声のトーンが跳ね上がってしまう。ほんのちょっとしたフォローだったんだけど、すごく助かっていたんだなぁ、と改めて感じているところ。
私だってこんな具合だから、ひとりで「親という専門家」としてちゃんとやらなくちゃ、なんて考えたら、これはもう、本当につらいと思う。プレッシャーでつぶれちゃうよね。

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私が言う、「親という専門家」というのは、そういう意味の専門家じゃない。
今まで、誰か権威者の言うままに従うのが親の立場と思われていたかもしれないけれど(親自身がそう思っていたかもしれないけれど)、親だって、何が良くて、何が大切かを、自分の家庭の状況に合わせて自分で考えて、そして、子育てしていくべきじゃないかな、ということなのだ。
思い通りに行く子育てなんてものは、あり得ない。子どもの本当の姿を見つめ、その本音を考えながらでなければ、絶対に子育てはうまくいかない。(うまくいっているように見えても、大人になるまでに、どこかで破綻をきたす。)
そして、そういう子育てをしたいと思った時、発達障害に関する知識は、親である私たちをすごく助けてくれるのだ。

知識と他の専門家たちの手助けを受けながら、親としての役割を果たしていけたらいいなぁ、と私は思っている。
他の専門家たちだって、やっぱり同じように、知識や他の専門家たちの協力が欲しいはず。
医者や心理士といった職種の人たちでさえ、本当に子どもを育て、指導する部分は、親や教師たちに委ねなくちゃならない。どんなに真実や大切なことが見えていても、それを「子育ての実担当者」に理解・納得してもらわなかったら、それは生かせないのだから。
これが、本当の「連携」なんだろうと思う。
ひとりで子どもの何もかもを背負い込んでしまわずに、みんなで力を出し合って、知恵を出し合って、ひとりの子どもの健やかな成長を見守っていく・・・そういうことなんだろうな、と。

理想論なんだろうな、とは思う。
実際には、子どものことなんか誰か育ててくれればいいのに、と考えて子どもをほったらかしにしている、無責任な親たちも大勢いることは知っている。その人たちにこそ、「親という専門家になろう!」と言いたいけれど、きっと耳も傾けてもらえないことの方が多いんだろう、とも思う。
親が専門家に肩を並べるようにして意見を言う態度を、おもしろくない思いで見ている専門家たちも、きっといることだろうと思う。
だけど、今ここに、少数派でも、発達障害というものを正しく理解して、親としてできることを考えようとしている親たちがいるとしたら、まずそこから、手をつなぐことを始めてほしいと思う。私たちは、本当に手をつなぐ相手を求めているのだもの。知識を得れば得るほど、発達障害というものを、我が子の姿を通じて理解すればするほど、本当にたくさんの人たちの手助けが必要なんだとわかってくるから。

学校の先生、保育園の保育士、小児科や歯医者といった町の開業医、スポーツ少年団やスポーツクラブの指導員、塾や○○教室の講師、学童の指導員・・・発達障害の専門医、心理士・・・そして、親。
みんなが、できるところで、自分の持ち場の専門家として関わって、力を寄せ合えたら、発達障害だってなんだって、怖いものはもうなくなるという気がする。
少なくとも、親は心強く感じて、家庭で子育てをしていく元気がわいてくる。
そして、親が元気なら、子どもも必ず元気になる。

親も子どもに関わる人たちも、みんな笑顔で子どもの成長を見守れるような、そんな日が来るといいなぁ・・・
と、私はそんな夢を見続けている。

[05/12/13(火) 09:48] 講演 療育

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