昇平てくてく日記2

小学校高学年編

昇平の将来像

 昇平は最近よく夕飯の支度を手伝ってくれる。
 昨夜は豚汁だったのだが、材料を切ったりちぎったり削ったり、と大活躍だった。
 その前の日はチンジャオロースーを、作り方を私に聞きながら、八割方自力で作り上げた。チンゲン菜のクリーム煮やカレー作りも手伝ってくれた。実はこれはみんな、昇平の好きなメニュー。
 昇平は自分のレシピノートも作っている。ノートに「朝倉君のレシピ」と自分でタイトルを入れて、材料の種類や分量、作る手順を細かく書き込んでいる。……まあ、私に教えられたとおりに書き込んでいるわけだけれど。
 そうしながら、昇平はこんなことを言った。
「ぼく、大きくなったら一人暮らしをするよ」
「そのとき料理できるように、レシピを書いておくんだ」

 昇平は将来、結婚もしないそうだ。理由は、結婚して奥さんが子どもを産んだら困るから。
 赤ちゃんの泣き声がなにより苦手で恐怖な昇平。結婚して家の中に赤ん坊や小さな子どもの泣き声が響き渡るのはとても耐えられない、と考えているらしい。聴覚過敏等の理由から起きていることだから、どうしようもないのだけれど、わずか11歳で真面目にそんなことを言うのを聞いていると、こちらとしても何とも言えない気持ちになる。
 今いる夫婦たちの中には、子どもを産まないって決めて、自分たちだけで生活してる人たちもたくさんいるんだよ、と教えたら、
「ぼくもそういう人と結婚したいなぁ」
 と真面目な顔で言った。
 本当にそういう人が見つかって、昇平君を好きになってくれたらいいけれど。あるいはどんなに泣いてもかまわないからその人との間に赤ちゃんが欲しい、と思えるくらい好きな人が見つかればいいけれど。
 でも、やっぱり、ちょっと切ないね。

 とにかく、昇平は将来、自分一人で暮らしていくことを想定しているらしい。
 たまにそんな将来像に不安を抱くらしくて
「ぼく、大きくなったら本当に一人でも平気になる?」
 と聞いてくる。これは、折にふれ私が、「今は子どもだからお父さんやお母さんと離れては生きていけない、と感じるのだけど、将来大きくなって、大人になると、ちゃんと自分だけで生きていける、って思えるようになるんだよ」と子どもたちに語り聞かせてきたことの裏返し。同じ話は、今高校2年の兄ちゃんにも、小さい頃から話して聞かせてきた。
 子どもは親から独立していくもの。自分の力で生きていくようになるもの。それは、私たち夫婦の子育ての基本スタンス。だって、親はたいてい、子どもより先にこの世を去っていくものだから。親がいなくなった後までも、子どもたちにはしっかり逞しく生きていってもらわなくては。
 だから、子どもたちには、小さい頃から料理も手伝わせてきた。
「これからの時代は、男だって料理ができないと困るんだからね」
 と言って。
 昇平は5歳の頃からマイ包丁とマイまな板を持っている。今では包丁づかいも早くじょうずになって、私が見ていなくても、まったく危なくなくなった。兄ちゃんも、学校の調理実習は得意らしい。狙い通りに育ってきてくれて、母である私は密かに嬉しい。(自炊できるようになれば、私も助かるし!)
 
 夕食の料理を手伝い、作り方をレシピノートに書き写しながら、昇平がまた話しかけてきた。
「ねえ、一人になったら、ぼくはどこに住めばいいの?」
「そうだねぇ。一人暮らしする人は、たいていアパートを借りるよ」
「アパートってどうやって借りるの?」
「不動産屋さんってところに行ってね、アパートが借りたいんです、って言うと、『ここは月4万5千円で借りられますよ』『ここは月5万円ですよ』って、希望にあったアパートを紹介してくれるんだよ」
「そんなに高いの!?」
 アパートの借り賃のほうにびっくりする昇平。いや、これでも相場としては安い方だよ、と言いたい気持ちをこらえて――そんな話、今の昇平にはわからないから――こう話してやる。
「そのときにはもちろん、昇平君が自分で働いてお金を稼いでいるんだよ。その中から、アパートの借り賃を払うわけ。逆に言うとね、そんなふうに自分で働いて稼いでいなかったら、一人暮らしはできない、ってことなんだよね」
 そうかぁ、と言うように、納得した顔になった昇平。
 多分、その頭の中では、「仕事に就く→お金を稼ぐ→そのお金でアパートを借りる→一人暮らしをする」という将来の設計図ができあがったのだろうと思う。

 兄ちゃんはともかく、昇平の方が、本当に将来、就職して一人暮らしができるようになるのかどうか、そこはまだ誰にもわからない。誰も保証はしてくれない。だけど、私たちはそれを未来像にして、今現在を過ごしている。
 最終的な目標は、昇平が自分の力で仕事をして、自分の力で金を稼いで、自分自身の生活を成り立たせていけるようになること。
 小学校も、中学校も、高校も(高校に行くかどうかもわからないけれど)、そのための準備期間だと私は思う。最後の目標は、自立ができること。そのための力を身につけるのに、どうしていくのが一番いいのか。私たちはいつも、そのことだけを考えている。
 普通学級の一斉授業ではついていけなくて、学習が理解できないなら、障害児学級の個別授業で。大集団の中ではなかなか人との関わり方が学べないなら、小集団の中でまず、人との関わり方をしっかり身につけて。
 昇平が得意とするお絵かきやコンピューターグラフィックが、将来の仕事につながるかどうか、それもわからないけれど、可能性としては見つめ続けている。仕事にするならば、どんなことが必要になってくるのか。絵を描くこと以外には、どんな能力が求められるようになってくるのか。そのための進路にはどんなものがあるのか……。

 あれほど甘えん坊な昇平が、10歳を過ぎるあたりから、少しずつ少しずつ、大人っぽい言動を見せるようになってきた。それはまだまだ幼くて、大人なふりをして乱暴な言動に走ることさえあって、危なっかしいこともしょっちゅうだけれど。そんな昇平の将来像は、兄ちゃんたち大多数の子どもたちが思い描く将来像とは、少し違っているのかもしれない。だけど、それでも自立したいと昇平は思っている。自分の力で生きられるようになりたい、と願っている。
 それならば、親である私たちのやることは、昇平にも兄ちゃんにもまったく同じだ。今はまだ幼い彼らに援助の手を差し伸べながら、少しずつ、自分の足で立って走れる力を養っていくこと。この後、何十年か過ぎて、私たちがこの世の舞台を去っていくとき、子どもたちが自立して生きている姿がそこにあったら、「私たちの子育てはこれで良かったんだ」と、心から納得することができるだろうと思う。
 そんなふうに満足した想いを持って、この世を退場していきたいものだ、と――

 一生懸命レシピノートを書き込む昇平を見ながら、考えていた。
 

[06/09/28(木) 10:14] 日常 発達障害

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