昇平てくてく日記2

小学校高学年編

鼓笛パレード

 一週間後に交通安全パレードがあるので、昇平たち5年生は今日からまた鼓笛の練習が始まる。5月の運動会で発表して以来だから4か月ぶりと言うことになる。
 朝、今日の予定を確認しながらその話をしたら、昇平がたちまち嫌な顔になった。
「え〜、できないよ! わからない!」
 運動会では完璧に演奏していたけれど、さすがに時間がたって、忘れてしまったということらしい。
「それはあたりまえだよ。他のみんなだって、やっぱり忘れているんだよ。だから、練習して思い出すの。大丈夫、一度しっかり覚えたことは、少し練習すればちゃんと思い出せるからね」
 そんなふうに話して聞かせると、「えー、ほんとかなぁ」と言いながらも、昇平はずっと不安そうだった。

 車が学校の昇降口前に着くと、車から降りながら、昇平がまたブツブツ言い始めた。やっぱり、ちゃんと鼓笛ができるかどうか不安らしい。
 それで、両肩をつかんで確認した。
「こういうときは、どうすればいいんだっけ?」
「(先生の話を)聞く」
「あとは?」
「やる」
 そうそう。四の五の言わずに、やることはやらなくちゃいけないの。
「ちゃーんと自分がやることはわかってるじゃない。それでいいんだよ」
 そう言って笑ってみせると、昇平が憮然としてつぶやいた。
「やっぱりそうするしかないのか」
 昇降口に歩いていく昇平の後ろ姿が、「あーあ、まったく、しょうがないよなぁ」と言っているようで、それがなんだか妙に大人びて見えて、面白かった。
 さて、昇平はちゃんと鼓笛の練習ができただろうか? 今日の連絡帳に書かれてくるかな?

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 という記事を日記に載せようと準備しておいたのが9月13日のこと。
 ところが、その日の連絡帳を見てみたら、鼓笛練習に関してはまったく書かれていなくて、代わりに報告されていたのが「死後は無の世界?」の一件。(笑)
 こちらのほうは、結局、本当に「死んだ後には天国があるに違いない」と思うことで、彼なりに納得して落ちつくことができた。気がつけば、あれほど頻繁に口にしていた「死にます」「殺してください」「殺すぞ」のセリフもほとんど聞かれなくなってしまった。まれにかんしゃくを起こしたときに一言口にすることはあっても、「おや?」とこちらが聞き返せば、すぐにはっとして、後はもう言わなくなっている。
 言語能力が低いこともあって、「死ぬ」「殺す」ということばで自分の不快感や怒りや無能感を発散させていた昇平だけれど、「死」の恐怖をまざまざと感じることで、やっと「それは軽々しく口にしてはいけないことばなんだ」と気がつくことができたらしい。やれやれ。

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 いや、やれやれと安心するのはいいけれど、肝心の鼓笛の練習のほうはどうなったんだろう?
 その後の連絡帳にも、特にそれに関する記述はなにもない。ということは、大きな出来事もなく練習をこなしている、と言うことかな? トラブルが起きれば、必ず連絡があるはずだし。
 昇平自身も、特にプレッシャーを感じている様子はない。たぶん、いざ練習してみたら、ちゃんとそれなりに覚えていて、自分でも自信が出たんだろうな、と考えていた。
 そして、9月21日の木曜日に鼓笛パレードの本番が来た。

 秋晴れの青空が広がる午後だった。日差しの中、楽器を持って集まった5年生の子どもたちは、市役所の分庁舎前の日陰で出番を待っていた。車で駆けつけてみると、他の子のお母さんたちも、手に手にビデオカメラやカメラを持って集まっていた。
 昇平は、と見ると、いたいた。鍵盤ハーモニカの列の後ろのほうで、補助の西尾先生と一緒にいる。とはいえ、先生が貼り付きになっているわけでもない。近くには、同じゆめがおかのL子ちゃんもいて、先生は二人の子どもたちに同時に目配りしている。L子ちゃんも昇平も落ちついて列の中にいる。と、昇平が私を見つけて大きく手を振ってきた。あはは。5年生にもなって、親に手を振る子どもはさすがにもういないのだけれど、昇平はまだまだかわいいなぁ。(笑)
 オープニングセレモニーのお話は、子どもたちに合わせて短め、簡単めにしてあったけれど、それでもやっぱり10分近くかかる。昇平の様子を少し離れた場所から見ていたけれど、ちゃんと自分の場所にいた。話は……聞こえてないね。(苦笑) まあ、集団の中で話を聞き取ること自体が難しいんだから、これはしかたがない。退屈して騒いだり、列を乱したりすることなく、その場所に参加していられたのだから、それだけで上出来。全体的に、とても落ちついているように見えた。

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 いざ出陣。リーダーの笛の音が響き、打楽器がリズムを鳴らし始める。子どもたちがいっせいに足踏みを始める。歩き出し、演奏を始める――。
 少し先のほうで待ちかまえていた私の前を、昇平が通り過ぎていった。ちゃんと演奏しながら歩いている。皆と同じように、皆と一緒に。少しも危なげない指づかいで弾いているのが、離れた場所からもちゃんと見えた。最初のうちだけ、二、三度後ろを振り向いていたけれど、それは、鼓笛隊の後ろからついてくるトラックが危険じゃないかどうか確認していたから。交通安全かかしコンクールに出品されたかかしたちも、トラックに乗って一緒にパレードしているのだ。
 ちなみに、昇平たちゆめがおかの子どもたちが作ったかかしもある。人気アニメ「ケロロ軍曹」のかかし。賞をいただいて、新聞の地方版にも写真が載った――というのは余談。
 とにかく、後ろから来るトラックも危なくないとわかってからは、昇平はもう後ろを振り向くこともなく、演奏しながら歩いていった。あっという間に姿が紛れてどこにいるのかわからなくなる。西尾先生の黒っぽい姿だけが、昇平のいる場所を示す目印になっている。
 ああ、ここまで成長したんだなぁ、とつくづく思った。何かあったときのために補助の先生はそばにいてくれるけれど、自分の足で、自分の手で、みんなと一緒に鼓笛パレードを成し遂げていく。
 先へ先へと進んでいくパレードの列を見送りながら、ふっと、保育園時代の鼓笛パレードを思いだした。担任の先生たちと、一生懸命、昇平にできること、昇平にできるやり方を模索しながら練習を重ねて、やっぱりこんなふうに大通りをパレードしていったっけ。みんなと一緒に堂々と演奏して歩くこの姿を、保育園の先生たちにも見せてあげたいな、と思った。遠いあの日のあんながんばりや、こんな経験や、ここまでのさまざまな出来事が、今日のこの日につながっているんだ、とすごく感じたから。

 結局、昇平たちは小学校までの道のりを、20分あまりかけて歩き通した。
 私は車で一足先に学校近くまで行って、そこでパレードが来るのを待ちかまえた。青空の下、暑いくらいの日差しになっているけれど、昇平も他の子たちも、少しもばてた様子もなく、演奏しながら目の前を通り過ぎていった。昇平は、私が沿道に立っていることにも気がつかなかった。
 5年生らしい立派なパレードを見送っていると、目の前をかかしのトラックが通り過ぎていった。一番最後は、ゆめがおかの子どもたちのケロロ軍曹。沿道に応援に出ていた6年生たちに、「ケロロだ!」「ケロロが来たぞ!」と大受けだった。ケロロのかかしは、小学校の昇降口に近い場所に飾られて、登下校の際、児童たちに交通安全を訴えることになっている。

 下校の際に西尾先生とあいさつすることができた。「お世話になりました」と言うと、「昇平君は暑い中でも全然騒ぐこともなかったし、演奏も完璧に覚えていたから、本当によくがんばっていましたよ」と教えてもらえた。
 そうだね。演奏を完璧にマスターしていたから、パレードにも自信を持って臨むことができたんだ。ドウ子先生たちに鼓笛通帳を作ってもらったりして、練習をがんばってきた成果だね。
 「鼓笛パレード、立派だったね」と車の中で声をかけたら、昇平は、えへへ、という感じで短く笑った。本当に短く笑って、それっきり。でも、心の中で鼓笛をやり遂げた満足感を感じているのが伝わってきた。
 これで、長かった鼓笛への道もゴールライン。がんばったね。本当に、がんばって歩き通したね。
 やり遂げた君に、心から拍手!


※ここまでの鼓笛練習の経過を知りたい際には、カテゴリーの「学校」をご覧ください。最初のほうに載っています。

060921_1348←ゆめがおかの子どもたちが作った、ケロロ軍曹のかかし。

[06/09/23(土) 16:33] 学校 発達障害

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