昇平てくてく日記2
小学校高学年編
6年生の自覚
水曜日に授業参観があった。今年、ゆめがおかには1年生が2名入ったので、その子たちの「入学を祝う会」だった。
司会は3年生になったIくん。1年前に転校してきた時には、なかなか落ちつかなかった彼も、今年はもう別人のように堂々と司会をやりとげていた。1年生の他に、2年生も一人転入してきたから、Iくんも立派な中堅だ。
その上は、6年生の昇平とL子ちゃん。1年生も、通級を経て転入してきた2年生も小柄な子たちばかりなので、6年生の彼らが本当に大きく大人に見えた。今までなら、気持ちの惹かれるままに前に出て行って、勝手に話したり質問したりしていた昇平も、今度は自分の椅子に座ったまま、腕組みをしてむっつりした顔。――精一杯大人ぶっているらしい。(笑)
新入生たちの小さな妹、弟もお母さんと一緒に教室に来ていて、時々声を上げたり、飽きて少しぐずったりしていた。昇平もそちらを見ていたけれど、それでも表情を変えることなく黙って座り続けていたので、びっくり。苦手な小さな子の声も、場に応じて無視できるようになってきたんだね。
――歓迎会が終わってから、昇平が私にだけつぶやいた。
「ぼく、耐えて我慢したよ」
やっぱり小さな子の声は気になっていたんだね。でも、それをちゃんと自分でコントロールできていたんだから、立派だったよ。
☆★☆★☆★☆
でも、参観を通して気になったことが一つ。
「照れ」があったのだとは思うけれど、全員の前に出て自己紹介などを話すときの昇平の口調が変。
ふざけているというか、格好をつけているというか。「○○であります」とアニメのキャラクターの口調を真似てみたかと思うと、大人っぽい口調にしたいのか、「○○だぜ」「○○しろよ」とわざと乱暴な言い方をしてみたり。
学校でも家庭でも普段はそんな話し方はしないので、その時に注意はしても、あまり本気で気にしていなかったのだけれど、さすがに今回はちょっと気になった。小学6年生。最上級生として1年生に手本を示さなくちゃいけないのに、こういう改まった場所でそういうふざけた口調を使ってしまうのは、まずいんじゃない?
病院の診察室でもそうだった。Y先生が昇平に質問すると、「○○だぜ」と乱暴な口調の返事。でも、その言い方が早口だったり、発音が不明瞭だったりして聞き取りにくいので、先生が聞き返すと、「なんでわかんないんだ、馬鹿野郎」と怒る。
本当に診察室でだけ。普段はそんな言い方はまずしない。話すのが苦手で、改まって話す場面になると緊張してしまうから、そんなことばづかいをするのはわかっているけれど。
わかっているけれど――やっぱりまずいんじゃない?
人はことばづかいでその相手を判断する。乱暴な言い方をすれば乱暴な人だと思われる。ふざけたことを言えば、いいかげんな人間だと思われる。本当は違うのに。それって本人が損することだ、と思った。
参観日の翌日は、学校が終わってから病院に行く日だった。
車の中で、昇平と話した。
「昇平くんももう6年生だから、病院でY先生と話すときには、6年生らしいことばづかいをしようよ」
最近の昇平は最上級生の自覚が強い。案の定、本気で聞き返してきた。
「6年生らしいことばづかいって、どういうの?」
「ゆっくり、はっきり、どならなくていいから大きな声で話すこと。それから、いつものとおりの話し方をすることだよ。○○だぜ、とか格好つけなくていいから、普通に、丁寧に話すこと。あとはね、先生が昇平くんの言ったことを聞き取れなくて聞き返されても、『なんでわかんないんだよ』なんて怒らないで、ちゃんともう一度話してあげること。それがね、6年生らしい話し方なんだよ」
「わかった」
と答えた昇平、本当に診察室では、聞き取りやすい声で、普通の話し方でY先生と話すことができた。学校で何を勉強したのか、今学校で困っていることは何か、心配なことはあるか……。
意外なほどいろいろ、昇平は自分から話をした。今日勉強した科目のこと。ゆめがおかに入ってきた1年生が先生の指示に従わないと、つい怒りたくなってしまうこと。
6−2の社会科の授業で、先生に指名してほしくて「はいはいはい」と声に出して挙手していたら、「声に出して騒ぐとまわりの迷惑になるから、6−2に勉強に来てはいけない、と言われるよ」とドウ子先生に言われて心配になってしまった話もしていた。
6−2に行けなくなったら、社会も理科も体育も自分でやらなくちゃならなくなる。教材も自分で買わなくちゃいけないんだろうか。ぼく、財布におこづかいを貯めているから、それで買うしかないんだろうか。帰りの会も6−2にまざっているのに、それにも行けなくなっちゃう…………そう話す昇平は、だんだん口調が興奮してきて、今にも泣き出しそうな顔になっていた。
おーい。ちょっと待て、昇平。そこまで心配を先に進めなくてもいいんだったら。(苦笑)
「それで、今はどうなんですか? 今も、授業中にはいはいって言ってるの?」
とY先生。
「言ってないです」
と昇平。
「それなら大丈夫だよ。来ちゃいけない、なんて言われないから」
……でも、昇平にしてみると、どうやら協力学級に勉強に来てはいけない、と言われることが、なにより心配なことだったらしい。夜寝るときにも、それを思い出して不安になって、涙をこぼしていた。親の私でさえ、昇平がそのことをそんなに心配していたなんて気がついていなかったのに。
「普通に話そうね」「わかりやすく丁寧に話そうね」と言っただけで、Y先生とのやりとりがスムーズになって、本当の心配事を口にすることができた。もう7年も通い続けているけれど、本当に、初めてのことだった。
それでも、昇平にとって、改まって相手とことばのやりとりをするのはやっぱり苦手。5分くらいで、「もういい?」「もう終わり?」と言い出した。何も言わずに、先生との話が終わったものと思って診察室を出ようとして、母に引き留められたことも。
まだまだやりとりは未熟だけれど、やっとまともに主治医と話せるようになってきた昇平。
「今度からは、先生ともいろいろ話そうね」
とY先生に言われて、「はい」とうなずいていた。
☆★☆★☆★☆
「6年生になったから」というのは、昇平にとって、非常に良い動機づけになる。
それでなんでもかんでも頑張らせるつもりはないけれど、ここぞ、という時に自分から意欲を持つための、良いきっかけになっている。
たぶん、「6年生」というのは、外から自分を見たときの視点なのだろう。外から見て恥ずかしくないことをする、最上級生として自分自身に恥ずかしくない行動をする。その手助けを、「6年生になったから」ということばが手助けしてくれている気がする。
まあ、担任が1年生を指導していると、一緒になって怒り出してしまったり、担任に(1年生を怒るな、と)かかっていったり、と、相変わらずのところも多々あるようだけれど。
とりあえず、「6年生」の自覚を自律の要にしながら、毎日をがんばっている昇平だったりする。
[07/04/20(金) 08:47] 学校 日常 発達障害