昇平てくてく日記2
小学校高学年編
親としてやってきたこと
昇平は「自閉症のような特徴もあるADHD」と診断を受けている。
その診断基準は医者によっても、また考え方によっても違ってくるところがあるから、実際の昇平を見て、あるいは日記につづられる彼の行動を読んで、納得したり、納得しきれなかったり、という人は出てくるのだろうと思う。
彼を見て、PDD(広汎性発達障害)や自閉スペクトラムという診断名の方がふさわしい、と考える人も大勢いるんだろうと思う。
でも、親である私からしてみれば、実際のところ「診断名なんかはどうだっていい」というのが正直な気持ち。
いや、周囲に昇平という子どもを理解してもらうため、自分自身が昇平を支援していくため、診断名が参考になることはたくさんある。薬物療法をはじめとするさまざまな対応だって、診断を元にして行われるわけだし。
ただ、日々暮らしていると、たいていの場合、私は診断名を忘れている。たまに、いかにも、という行動をしてくれて「ああ、やっぱりADHDだねぇ」とか「うん、なんかいかにもPDD」なんて考えることはあるけれど、それ以外の時には、本当に障碍の名前なんかは忘れてしまっている。
私の前にいるのは「昇平」。我が家の二男坊で、小学6年生で、最近体はでかくなってきたけれど中身は相変わらず甘えん坊で幼くてかわいい「昇平」。それ以上でもそれ以下でもない、ただそれだけの存在。そして、私は「昇平の母親」として、手のかかる二男坊と毎日とっくみあいで子育てをしている。本当に、ただそれだけのこと。
ちなみに、私は高校3年生になる長男の母親でもあって、そっちとも日々とっくみあいで子育てをしている。見た目はホントにでっかくなって、私の身長をはるかに超して、ひょろひょろと伸びてしまった兄ちゃんだけど、中身を見ればまだまだ。(笑) こっちはこっちで手がかかるし、心配なことはあるし、でもあえて本人に任せて見守らなくちゃならないことも多いし……で、心配は絶えず、気苦労も絶えず。
障碍児がいる、と聞いた人は「大変ですね」と言ってくれるけれど、実際のところ私の中では、「兄ちゃんの母親」でいることも「昇平の母親」でいることも比重としては同じで、どっちが大変でも楽でもない。本当に、どっちも同じ。えぇ、まったく、いつまでも親の手を煩わせてくれる子どもたちだわ! 二人とも、とっとと大人になんなさい!
……とか言いつつ、実際に子どもたちが親の手を離れてしまったら、たまらなく淋しくなるんだろう、なんてこともわかっているのだけれど。
ま、私もごく普通の母親だということです。はい。(笑)
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さて、そんなふうに「当たり前に子育て」しているつもりの私なのだけれど、それでも、やっぱり昇平には、普通の子育てとは違った手助けや配慮が必要になってくる。
いろいろやってきたし、今もやっているけれど、それを大きなくくりにして眺めたとき、いくつかのポイントに絞られてくるのに、最近気がついた。
それは、こういうこと。
1.場面やものごとを理解するための手助け。
2.本人が安心していられる環境作り。
3.本人の成長の手助け。
昇平は、場面を理解する力がとても弱い。
昔からそうだとは思ってきたけれど、その面での障碍の度合いは、私たち家族が考えていた以上に深刻だったのだ、と最近つくづく感じている。
見えているのに見て理解することができない。会話や音は聞こえているのに、それの意味していることが理解できない。今、目の前で何が起きているのかわからない。前で全体に話している人が、何をするようにと指示しているのか聞き取れない。人が何故そういうふうに動き出したのか、何故そばにいるあの人が急に怒り出したり笑い出したりしたのか、わからない。わからない。わからない。
それでも、耳で聞くよりは目で見た方が理解はしやすいことが多いから、自然と昇平は視覚的な情報に頼るようになる。
視力が落ちていることがわかって眼鏡を作ったとき、忘れん坊だし落ち着きもない昇平だから、きっとすぐに眼鏡を壊したりなくしたりするだろう、と思った。眼鏡の扱い方を覚えるまでに、二、三個は作り直しになるだろうと覚悟もしていた。
ところが、予想に反して、昇平は眼鏡をとても大事にした。置き忘れてどこにあるかわからなくなって探したのは、たったの2回だけ。常につけているわけではないから、たまに家に忘れて登校してしまうこともあるけれど、そうするとすぐに電話がかかってくる。「○○のところに眼鏡を忘れてきたから届けて」。
使い終わった眼鏡は、必ずケースにしまう。そのケースは大切にランドセルにしまう。ちゃんと入っているかどうか、登校前に確認もする。(たまたまそれを忘れたときに、家に置き忘れてしまったりするのだけれど)
そんな彼を見ていると、眼鏡は彼のライフラインの一つなんだな、とつくづく思わされる。いろいろわからないことがある毎日で、特に学校ではとまどうことも多いのだけれど、眼鏡をかけると見えるものが増えて、わかることが増えてくるから、だから、眼鏡は大事にしなくちゃいけない。自分自身でそう実感して、自分の意志で眼鏡を大切にしているのがわかる。
学校では担任や介助の先生に、家ではもっぱら母親に頼って、いろいろ聞いてくる。
これは、見ても聞いても自分では理解できないときに、わからないことを教えてもらうため。
自分にわかる形で場面やものごとを説明してほしくて、それで、キーパーソンになる人間をそれぞれの場面で見つけて、その人に頼る。
この見極めも、昇平は非常にうまいし、早い。「この人!」と決めた人に張り付いて、時には絶対離れないようにしがみついたりして、そばにいる。そうして、わかりにくい場面に対応しようとする。
とても幼い頃から服用してきたから、昇平自身は意識していないけれど、リタリンをはじめとするお薬も、やっぱりこの理解の手助けをしてくれている。
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昔からそうだった。本当に、私が昇平という子どもと向き合い、「おや、この子は?」と漠然と感じ始めたそのときから、私は一貫して「昇平にわかる子育て」を続けてきた。
この子は普通よりいろいろなことを理解しにくい子なんだ、というのは1歳になる時点でもう把握していた気がする。
普通に話しかけても理解しない。普通に見せてもわからない。
だけど、いわゆる幼児語なら理解しやすそうだ。「いぬ」と教えても反応しないけれど、「わんわんだよ」と話しかけると、そのことばを受け止めた。それまで私は、いわゆる幼児語を使わない子育てというのをしていたのだけれど、それに気がついた時点で、あっさり方向転換した。綺麗な日本語、正しい日本語なんてものは、後からだって覚えられる。今は、昇平に理解できることばで話しかけることのほうが大事だ。
わんわん、にゃんにゃん、くっく、ねんね……幼児語は、使ってみると、響きが優しくてリズムのあることばだった。耳に心地よい。そんなところが、聴覚認知の弱い昇平にも働きかけて、注意を惹きつけたのかもしれない。
普通の絵本や写真にはまったく関心を示さないけれど、貼り絵のようなコントラストのはっきりした絵本には関心を持つのもわかった。そこに加えてリズムのあることばを繰り返すような絵本なら好むのだということもわかった。その基準で選んだ絵本を読んでやって、反応が良ければ、本当に本がぼろぼろになるまで何度でも読んで聞かせた。「がたんごとんがたんごとん」「かおかおどんなかお」(どちらも福音館)、「かれーらいす」(出版社不明、ペーパーバック)……昇平にわかるもの。昇平が楽しめるもの。それを探し続けた。
もう少し大きくなって、もう少しストーリーのある作品を読み聞かせたくなったときには、今度は逆に、絵のある本がだめになった。衝動性が強かったから、とにかく先が見たくてしかたがない。母が読み聞かせるのが待ちきれなくて、どんどんページの先をめくって、最後のページまで絵を見てしまったら、それでおしまい。離れて行ってしまう。
これでは物語が理解できない。それでは、と、夜寝る前に部屋の電気を消して、母の素語り。でも、そうすると母も本を読むわけにはいかないから、母の得意な即興物語を聞かせた。昇平が当時好きだったテレビや漫画のキャラクターたちを登場させて、昇平に理解できることばで、理解できる物語を作って……。
それがだんだん高度になっていって、やがては「勇者フルートの冒険」なんてれっきとした物語になっていってしまうわけだけれど。
今、昇平は大人向けに書いた「フルート」の6話目を聞いている。あと数日で読み終えるだろう。この作品に挿絵は一つもない。長い長い物語だし、難しいこともずいぶん言っているのに、くいついて理解するようになってきた。……もちろん、昇平に難しいことばや場面では、聞かれるたびに母が説明するけれど。
とまあ、例として、ことばと物語に要点を絞って書いたけれど、こういうことが一日の生活全体で続けられてきた。
一つ一つは、本当に地道で、私たちにしてみれば当たり前な繰り返し。でも、それをずっと続けてきた。
昇平にわかるもの。昇平が楽しめるもの。そして、母親である私自身も一緒に楽しめるものを、ずっと探し求めてきた。
その当時は、認知のための援助とか、特性に合わせた支援とか、そんな難しいことは全然考えていなかった。後になって振り返ってみれば、ああ、あの時のあれはこういう意味を持っていたんだな、とわかるだけ。
でも、そんな積み重ねがあったおかげか、昇平は今では国語の問題にも自力で読んで、そこそこ解答できるようになった。物語のテーマを読み取る、なんて問題になったりすると、時々思いきり外したりするけれど、それでも、彼の本来の言語力からすればよく健闘している方だと思っている。
作文も、年齢からすれば幼いけれど、それでもちゃんと書けるようになった。思いつくまますらすらと書いていくから、しかにも早かったりする。「何を書けばいいのかわからない!」と作文の宿題のたびにパニックを起こしていた兄ちゃんとは正反対で、そんなところも興味深い。
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私が昇平に与えたかったのは、「昇平に理解できる世界」だったんだろうと思う。
小学校に入学する際にも、その観点で選んだ。地元の普通学級に入学させることを第一候補にしていたのだけれど、就学時検診の際の昇平の様子と学校の先生の対応を見ていて、「これでは昇平には理解できない、理解できない中に置いては昇平にあまりに負担が大きい!」と判断して、これまたあっさり方向転換。特別支援学級のある隣の小学校を見学に行ったら、そこでは、子どもの特性に合わせた本当にすばらしいクラス運営が行われていた。迷わず即決。「来春からお世話になります」 それが、ゆめがおか学級。
授業がわかること、学校でどう行動すればいいかわかること。それが本人の安心につながる。
安心できる環境があれば、そこを基地にして、その先へ冒険していくことができる。
大人数での授業や、運動会や発表会といった行事は、本人に負担になることも多いかもしれない。でも、「ここならば大丈夫」「自分はここの一員だ」と信じていられるベースキャンプがあれば、そこからがんばってもう少し上のことに取り組める場面も出てくる。
昇平にとって、「わかること」は「安心」につながっている。
だから、私たちは6年間、ゆめがおか学級を選び続けたし、中学校に進んでも、やっぱり同じような「安心して一員でいられる場所」を探し続けたいと思っている。
……現実はそう甘くはなさそうだけれど。(苦笑)
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わかること、安心できる場所、と続いたところで、やっと本人に努力してもらうことが出てくる。
自分自身をコントロールすること。
周囲に自分とは違う人たちがいることを理解して、その人たちとうまく共に生きるやり方を身につけていくこと。
いわゆる、SSTの領域になることだけれど。
勉強をがんばる、運動をがんばる、○年生としてがんばる、なんて努力目標も出てくる。
これは本当に、わかる、安心できる、という基盤がしっかりして、はじめてがんばっていけることなんだと思う。
この面に関しては、昇平は本当にまだまだこれから。彼がどのくらい成長し、どう変化していくのか。どんな大人になっていくのか。それは誰にもわからない。予想を立てることさえできない。
だから、やっぱり私たちは、当たり前のように、今まで通り毎日を過ごすんだろうと思う。
当たり前に手助けして、当たり前に励まして、当たり前に叱る。障碍児だからとか、障碍児の親だから、なんてことも意識せずに、普通の親子として、とっくみあいの子育てを続けていくんだろうと思う。
そうして、いつか彼が大人になったとき、私はまた、そこまでの子育てを振り返って、「ああ、自分はこんなことをしてきたんだ」と思うんだろう、きっと。
まだまだ道途中の私たち。子育てはいつになったら終わりが来るのやら。(永遠に来ないような気もするけれど)
でも、親はたいてい子どもより先にこの世の舞台を去っていく。せめて、それまでには、なんとか自分でそれなりに生きていけるように成長して欲しい、と考え続けている。
昇平にも、兄ちゃんにも。
それが、親としての、私の願い。
[07/09/14(金) 09:34] 療育・知識 発達障害