昇平てくてく日記3
中学校編
平和への祈り
毎年、この日、私はどこかしらで、このテーマの記事を書いている。
8月6日、広島原爆の日。
私もまだ生まれていなかった、63年前の出来事。私が子どもだった頃にはまだ、自分の経験として戦争を語ってくれる大人たちが大勢いたけれど、今はもう、年々その数が減り、その分、戦争の記憶も風化してきているのを実感する。
でも――。
今、もしまた戦争が起こったら。核兵器を使うような大戦争はもちろんのこと、そうでない戦争だったとしても、その時、私たちや、その子どもたちがどうなるか――。
安全で安心して暮らせる社会の中で、やっと生きているこの子たち。もし、戦争に出会ってしまったら、どうなるだろう。どうやって逃げる? どうやって生き延びる?
昇平に障害があるとわかったのは、今から十年前のこと。あの頃から比べても、発達障害はよく知られるようになってきた。もちろん、まだまだ理解も対応も不十分だけれど、「ADHD? それってなんですか?」「こんな普通に見える子が障害のわけないでしょう」「親の手抜きを正当化しているだけだ。まったく今時の親は……」 そんなふうに言われていた時代から比べたら、今の日本の状況は、信じられないほど進歩したと言えると思う。(もちろん、相変わらずそう言う人たちはいるけれど)
だけど、これは日本が平和だからこそ、進んできたもの。明日、自分が生きているかどうかさえわからない極限状態になってしまったら、人は自分のことだけで精一杯になってしまって、弱い者たちをどんどん切り捨てるようになっていく。この子たちへ助けの手を差し伸べる人たちがいなくなってしまう。
平和は誰かのためのものじゃない。
自分自身のためのもの。大切な我が子や家族のためのもの。
遠いどこかにあるものじゃない。
今この瞬間、ここにいる、私たちのためのものなんだと思う。
生きたくても生きられなかった人たちがいたことを――理不尽に命を奪われた人々がいたことを――これからも忘れずにいてほしいな、と思う。
私には何もできないけれど、せめてそのことだけは伝えたいから、毎年のようにこのテーマの記事を書く。
8月6日の8時15分には黙祷を捧げる。
去年からは昇平も一緒に黙祷するようになった。学校の国語の授業で、原爆や戦争に関することを学んできた影響が大きい。昇平なりに、核兵器は怖いと思っているし、戦争はしちゃいけない、と考えている。今年は、私といっしょにテレビで記念式典の様子を最初から最後まで見ていた。子どもたちによる平和への誓いには、真剣に耳を傾けていた。
そういうことが大事なんじゃないかな、と思う。
当たり前の平和や生活を大切にしていくこと。それを感じること、それを子どもたちに教え続けること。
そういうことから、この子たちが受け入れられ、幸せに暮らしていける世界ができていくんじゃないかな――。
そんなふうに、考える。
[08/08/06(水) 09:02] 家庭