昇平てくてく日記3

中学校編

気がつくことから起きる鬱

 昨日、用事があって親の会の役員仲間と電話で話をした。
 用件が済んでから少し雑談のようになったのだけれど、そこで、なんのはずみでか、親自身の話になった。子どもも個性的だけど、親である私たちもかなり個性的だよね。みんなそれぞれ、いろんな特徴があって、ばらばらだよね……。それをまとめていくのはけっこう大変だわ、という向こうの気持ちも伝わってきて、うんうん、そうでしょうねぇ、と苦労をねぎらったり。


 かく言う私も、親の会の中ではそうとう個性的な人間だ。こうしてネットの世界の中でも変わって見えているとは思うけれど、直接会って接していると、いっそう多くの人が「あれ、この人変わってる」と私のことを思うらしい。 これは昔からそう。「一見真面目な人。でも、実は変わっていておもしろい人」とは小学6年生の時に担任が学級文集に書いてくれた私の姿。それは今でも変わっていないみたいだな、と自分でも思う。

 どうして自分はそんなふうなんだろう、と悩んだ時期もあった。
 変わっていておもしろい、といつも思ってもらえればいいけれど、実際にはもっと悪い捉え方をされることも多いから。
 ネットの掲示板やメールで文字を通じてやりとりしていれば、それほど問題も起きないけれど、面と向かって場の空気を読みながら、相手の気持ちを考えながら、声でやりとりしようとすると、私は思いっきり外すようなことをしょっちゅうやらかして、相手の気持ちを損ねてしまう。その場では気がつけない。ただ、相手の表情が急にこわばったり、怒ったような口調になったりするので、その違和感に「?」ととまどう。
 そのまま気づかずにすめば、私としては幸せなんだろうなぁ、と思う。ところが、記憶力がよすぎるのか、後からそのやりとりをそのままそっくり思い出すことが多いから、その場面を客観的に眺めることになって、「あ、あの時あの人が怒ったように見えたのは、私があの時言ったあのことばのせいだったのか!」なんて気がつく羽目になる。
 これは正直、ものすごく落ち込む。後から気がついたって、手遅れの場合がほとんどだから。次に会ったときに謝れる人ならばいいけれど、そうではない相手であることも多いし。
 はぁ〜……ってなもんです。人は私を見て、自信満々だとか立派に見えるとか言ってくれるけど、とんでもない。毎日が自己嫌悪と罪悪感の嵐。どうしてこんな自分が立派だなんて思えましょう。


 発達障害を持つ子の場合、小さい頃は自分が周囲と違っていることに全然気がつかずに好き放題やっているのだけれど、成長して大人になってきたときや、薬物治療を始めるたときに、それまで自分がやってきたことが客観的にわかるようになって、セルフエスティームがドンと下がることがあるという。つまり、抑鬱状態に陥ってしまう。
 これは発達障害専門の精神科医が言っていたことだけれど、特に思春期以降に薬物治療を開始した患者の場合は、単純に症状の変化だけでなく、セルフエスティームの状態にも気を配ってあげないと、危険な状態になることさえあるという話だった。鬱への対抗がとても重要になるのだと。

 わかるなぁ……と思う。
 知らないでやってしまった失敗がわかってしまった時って、本当につらいもの。
 そんなつもりはなかったの! ごめんなさい! 謝っても謝っても、もう取り返しはつかないし、それじゃあ次はそういうことがないように気をつけよう、と思っても、やっぱりまた同じ失敗を繰り返しているし。
 これを突き詰めていくと、本当に死にたい気持ちにさえなってくる。

 ――って。おお、危ない。
 私までまたネガティブ思考の輪に落ち込みそうになっているぞ。ストップ、ストップ。(苦笑)


 まあ、今はそういう人の気持ちを感じてもらいたくて、わざと私のパターンを書いたけれど、気がついてしまった彼らは、きっとそういうことを感じているんだろうと思う。
 わかってしまうつらさ。わかっているのに、また同じことをしてしまう苦しさ。それを叱られる哀しさ。
 昇平も最近、失敗するたびに「俺はどうして全然変わらないんだ! こんな俺なんか死んだ方がいいんだ!」なんて言うようになってきている。中学生になって、少しずついろんなことがわかってきているんだろうと思う。
 それでも、次にはやらないようにしようと思えば、思わないよりは少し良くなるんだよ。少しずつ変わっていけばいいんだよ。変われなくても、その時には別の形で失敗を補えばいいんだよ。
 昇平にそんなふうに繰り返し話して聞かせながら――

 同じことばを、私は自分自身にも言っている。
 失敗したっていいんだよ。次は気をつけよう。気をつけても失敗したら謝ろう。謝れないときには、別の形で補おう。
 それに、人を傷つけたことがない人なんて、この世に一人もいないんだからね。それを「しょうがないなぁ」って許し合って一緒に生きているのが人間だから、私だって、こんな自分を「しょうがないなぁ」って許してあげていいんだよ。
 昇平が昇平であることを許せるなら、私が私であることだって許していいんだよ。

 昇平という子どもを育てながら、助けられているのは、実は私自身なのかもしれないなぁ……なんても思っている。 

[08/09/01(月) 08:27] その他

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