昇平てくてく日記3

中学校編

昇平は故国を持たない外国人

 小さい頃、ことばがよく話せない昇平を見て、「外国人みたいだ」と思ったことがあります。日本語がよく理解できないし、話せない。日本の文化習慣も理解できていない。そんな姿が、ちょうど外国人に似て見えたからです。
 ただ、本当の外国人は故国に戻れば自国語で流暢(りゅうちょう)に話せるようになるし、そこでなら不自由を感じることもなく生活することができます。昇平には、そういう故国はありません。彼の故国はこの日本。故国を持たない外国人のようだ、と感じました。

 中学生になって、昇平はずいぶんことばの能力が伸びました。自分の想いをことばにして伝えることができるようになったし、相手の話もだいぶ理解できるようになってきました。ことばさえ選べば、日常生活では苦労することはなくなっています。彼が小さかった頃には、スケジュールを教えるのに絵を描いて見せたものですが、今はそんな必要もまったくありません。
 ただ、外国人のような特徴は相変わらず見られます。相手が早口で大量のことばで話しかけてくると、聞き取れなくなるし理解できなくなります。自分の中に伝えたい想いや出来事はあるのに、それがことばにならなくて苛立ちます。気持ちが焦ってしまえば、それはなおさら顕著になって、自分でもどうしていいのかわからなくなります。パニックを起こしてしまうんですね。
 生活習慣なども、いろいろ経験して覚えてきたことがたくさんあるから、それに関しては問題なくできるけれど、初めてのことはどうやったらいいか見当がつかなくて、ものすごくとまどいます。他の人たちが賑やかにしゃべって何かを決めたようなのに、何をすることにしたのかわからない、ということもしょっちゅうです。ことばが聞き取りにくいだけでなく、他の人と共通の理解や経験がないので、話の流れや皆の気持ちがわからないからなんですね。
 よく自閉圏の人たちを「宇宙人のようだ」と言うことがありますが、それに近い感覚だろうと思います。ただ宇宙人と言うほどかけ離れた存在でもないようです。それが「広汎性発達障害(PDD)」という診断名をつけてもらった人たちの特徴なのかな、とも思います。


 私は独身時代、英語の講師をしていて、子どもたちを引率してアメリカに3週間のホームステイをしたことがあります。その後、自分ひとりで同じホストファミリーを訪問して、やはり2週間過ごしてきました。
 ことばが通じなくて苦労したのは、子どもたちだけでなく、私自身も同じでした。生活に最低必要な会話はできるけれど、それ以上のことを伝えようとすると、ことばが浮かんでこないのですね。伝えたい内容は自分の中にあるのに、それをどう言ったらいいのか、わからなくて、本当にじれったくて情けない想いをしました。
 生活習慣が違っていることにも苦労しました。同じ場面にいて、同じ会話を聞いていても、それがどういう意味なのか、何をするつもりなのかわからないのです。

 こんなことがありました。夏休みで親戚の人たちが集まってきたので、「外でアイスクリームを食べよう」ということになり、みんなぞろぞろ家の外に出て行きます。私も、てっきり町のアイスクリーム屋さんに行くのだと思って、上着を着てバッグを持って外に出ました。すると、ホストたちから「なんで上着を着るの?」と言われました。みんな普段着のまま、何も持っていません。
 家の前庭の芝生には、モーターがついた木桶のようなものがありました。これがアイスクリームメーカーだ、と教えられました。桶の中の金属の筒にクリームや砂糖といった材料を入れ、桶に氷と塩を入れてモーターで攪拌してアイスクリームを作る――つまり、手作りアイスクリームパーティをしよう、と言っていたわけなのですね。
 アイスクリームと言えば外で食べるものと思っていた私はびっくりして、自分が勘違いしたのだと話すことができませんでした。とても恥ずかしかったことを覚えています。

 町の郵便局から日本へ荷物を送ったこともあります。窓口でなんと言えばいいのか、何が必要で、何にサインをしなくちゃいけなくて、料金はいくらで――何もかも、よく分からないことだらけです。ホストが私に代わって係の人と話してくれて、それでようやく発送できました。なんだかとても情けなくて、自分がとても無力な、ダメな人間のように感じました。「日本に戻れば私だってちゃんと郵便局で荷物を出せるんだから」と考えて、なんとか自尊心を保ちました。

 空港で、駅で、ショッピングセンターで……本当に、わからないことばかりでした。添乗員がついているわけでもないから、見通しの立たない不安と戦いながら、あらかじめ決まったスケジュールのメモを握りしめ、飛行機を乗り継ぎ、予定通りホストたちが迎えに来てくれたことに感謝し、たまに小ずるい店員におつりをごまかされ……。
 毎日、本当に、へとへとになっていました。


 今の昇平の様子を見ていると、ちょうどあの時の私のようだな、と思います。
 わかることばでゆっくり話しかけてもらえれば理解できる。でも、早口だったり、大勢に向かって話されたりすると、何を言っているのかわからない。
 話したいことはある。伝えたいこともたくさんある。でも、ことばになって浮かんでこない。上手な言い方で伝えられない。くやしい!
 本当は自分でもできると思うのに、そのやり方がわからない。やり方を順番に教えてもらえれば、きっとできると思うのに。誰か、やり方を教えて。
 みんな、何を話してるのかな。早口だし、内容もよくわからないな。あれ、みんな急にうなずいて、どこかへ移動し始めた。なになに? 何をすることになったの? 「○○しよう」って誰か言ってた?
 この後、何がどうなっていくんだろう。予定表はない。手がかりになるものもない。その時になればわかるよ、って言われたって全然想像がつかないんだもの、ものすごく不安だよ。不安だと気持ちがイライラしてくる。なおさらいろんなことが気になってきて、ちょっとしたことでパニックが起きてしまうよ――。
 そんな昇平の声が聞こえるような気がします。


 必要なのは、昇平が「何に困っているか」「何を必要としているか」に対する想像と理解です。ちょうど、日本に旅行に来てとまどっている外国人を見つけて、「行きたい場所が見つからないのかな?」「電車の切符の買い方がわからないのかな?」と想像してあげるように。
 場所を教えるには、地図を広げて、今いる場所と行き先を教えてあげればいい。切符なら、券売機に連れていって、そばで教えてあげればいい。そこに、難しい専門知識は必要ないのかもしれません。「思いやり」と「手助け」の気持ちを持てれば、誰にだって昇平の支援はできるわけですから。
 そうして、ちょっとの手助けを受けることで、昇平は安定していくし、成長もしていきます。日本の中の外国人でも、経験を積めば、ことばやその他のハンディキャップも乗り越えて、同じ日本人になって一緒に生活できるようになるでしょう。社会に貢献できる日だってくるでしょう。
 その手助けは、親や家族だけではまかなえません。
 学校で、地域で、広く社会全体で。いろいろな場面で昇平と出会う人たちに少しずつ助けてもらうことで、彼に「故国」を作ってあげたいな、とも思います。 

 
※今回の記事のタイトルは当初「故国を持たない外国人」でしたが、内容が伝わりやすいように、「昇平は故国を……」に変更しました。(2009.4.14 12:55)

[09/04/14(火) 05:46] 地域社会

[表紙][2009年リスト][もどる][すすむ]