昇平てくてく日記3

中学校編

昇平3行日記・9

※全然3行で収まっていない3行日記。

11月22日(月)
 週始めはいつも不安定になって、なかなか登校できない。今朝もそうだったけれど、程度はずっと軽く、私の車で送っただけで、いつもの時間に行くことができた。やっぱり抗鬱剤の量の関係かもしれない。昇平も、「今日はいやな気分にならない」と言いながら、嬉しそうに登校していった。
 ところが、昼に学校の副担任から急に電話。給食準備中にL子さんがパニックの声を上げ、昇平が「もうこんな学校には我慢できない!」と荷物をまとめて学校を出て行ってしまったのだという。教務主任が追いかけてくれているということだったので、私のほうでも車で探しに行き、家に帰る途中の昇平を見つけて拾った。その頃には昇平もだいぶ冷静になっていて、どうしたいのか聞いたところ、「高校生になるには中学校に行かなくちゃいけない」と言って、学校へ戻ることに決めたので、そのまま学校へ送っていった。その車の中で、「ぼくの中学校生活はL子さんにコントロールされてるみたいだな」と言っていた。まあ……そういうことかもね……。

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11月22日・続き
 昇平は残りの授業はちゃんと受けることができた。
 受診日だったので、迎えの車でそのまま病院へいったが、本人「ちゃんとがんばって学校にいることができた!」ということで嬉しさいっぱいで、先生に伝える近況も、とても前向きモード。毎日あれほどしんどそうなのに、先生のほうでも「だいぶ良くなってきてますね」。これでいいのかしら? 本当に大丈夫なのかしら?
 結局、薬は今まで通り。次の受診も4週間後になりそうだったので、いろいろ話して、2週間後にまた様子を見てもらうことにした。本当に、このまま元気になっていってくれれば、それに越したことはないのだけれどね。

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11月23日(火)
 勤労感謝の日。でも、旦那はいつものように仕事。昇平は寝坊したので、時間の関係で、朝食後のベタナミンと精神安定剤を抜いた。
 その影響もあるのだろうけれど、午前中一緒に勉強を始めたら、昇平がまたとても不安定に。あまりしつこく「人間はみんな他人を馬鹿にしたり、殺したがったりする奴ばかりだ」と言うので、こちらも頭にきて、「うん、その通り! キミが今まで出会ってきた人も、みんなそういう人たちばっかりだったよね!」と言い返したら、びっくりして、「いや、そうじゃないよ。学校のL子さんや長谷田先生はすごく優しいよ」「たった二人だけでしょう? 他の人はみんな意地悪だったでしょう!」「違うよ、介助のK先生も、9組のTくんもYくんも、9組の担任のH先生も副担任の岩沢先生も優しいよ。中学校の先生たちはみんな優しいし、交流級のみんなだっていい人たちだよ……!」
 そう、世界中にはいろいろな人がいるけれど、キミのまわりには、優しいいい人たちがとてもたくさんいる。すぐ喧嘩になって、ひどいことばを投げつける人がいる場所は限られているし、そこが世界のすべてじゃない。優しい人たちを大切にして、人を傷つけるような人たちからは離れていよう。キミがひどいと感じるようなことばを「いやだ」「怖い」と感じる人たちのほうが、ずっとずっと多くいるのだもの。
 そんな話をして、まだ完全に納得はできないだろうけれど、それでも、自分の身近にいい人たちがいることは再確認してもらえたかな、と思う。

 今日は義父の80歳の誕生日。買ってきた寿司とオードブルでお祝いをしたけれど、昇平から「これからも長生きしてくださいね」と言われて、おじいちゃんはとても嬉しそうだった。

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11月24日(水)
 昇平は出際にぐずぐずしていたが、なんとか自転車で登校していった。
 やれやれ、よかった、と思っていたら、12時20分頃、副担任の岩沢先生からまた電話。「一昨日と同じような状況になって、昇平くんが『もうこんな学校には我慢できない』と言って、荷物をまとめて学校を出て行ってしまいました」という話。間もなく、本当に昇平が大荷物を抱えて帰ってきた。そこへ、車で後を追ってくれた岩沢先生も到着して、いきさつを聞かせてもらえた。トラブルの原因は、またL子さんの声。L子さんが4校時目に寝ていて、給食に起こされたときに、寝起きが悪いものだから金切り声を上げ、昇平もパニックになって、止めようとした介助の先生にまで頭突きなどしてしまった、という話だった。
 ちなみに、月曜日に続いて、今日も担任の長谷田先生はお休み。担任のいないところでのトラブルではあるけれど、さすがに私にももうフォローの限界という気分。もういい、学校を休ませよう、という考えが頭を駆けめぐる。L子さんはL子さんで特性から声を上げてしまうわけだから、それに対してどうすることもできなくて、昇平にパニックを起こさせるならば、昇平を学校へ行かせないようにするしかない。岩沢先生には、とりあえず昇平と話し合ってみます、とお答えして、昇平のところへ戻った。
 つらい、もう嫌だ、どうしてぼくばかりこんな想いをしなくちゃいけないんだ、と昇平が泣きながら言う。ぼくはどうしてこんなふうなの、とも言う。ぼくはこの世に生まれてこないほうが良かったんだ、とも言う。
 どうしたらいいの? と問われて、「お母さんにも、どうしたらいいのかわからないよ」と答える。何度も学校にお願いした。足も運んだ。話し合いもした。スクールカウンセラーとも相談した。具体的な提案もしてきた。家庭でできるフォローは、思いつく限りやってきた。何度も何度も何度も何度も……二年半余りの間、ずっと。それでもこの状況が変えられないというのならば、本当に、学校に行かない、という選択肢を選ぶしかない。

 昇平が泣き疲れて眠ってしまったので、その間に、私は病院へ行った義母の迎えと買い物に。戻ったところで昇平が目を覚ましたので、「お昼を食べていなくてお腹すいたでしょう」と昼食を出してやったら、それを食べながら、「なんだか落ち着いてきた」と言い出し、「さっきは本当に学校を辞めようと思ったけれど、そうすると高校に行けなくなるし、ぼくはどうしても高校に行きたいから、やっぱりがんばって学校へ行くことにする」と言った。
 もういいよ。そんなにがんばらなくていいよ。思わずそんなことばが口をつきそうになる。自分自身を叱咤激励して学校へ行って努力をしても、きっとまた同じ状況は起きる。L子さんの声に君はまたパニックを起こすし、その後で、ぼくはダメな奴だといっそう自分を責めてしまう。つらいのは君なのにね。苦しいのは君なのにね。
 感覚の歪み。人が平気で聞き流せる声が聞き流せない。人が普通に聞き取れる声が聞き取れない。努力不足じゃない。君の脳がそうできているだけのこと。目に見えない障害だから、いっそうの配慮をお願いします、と言い続けても、今の学校の現状では対応は無理です、と言われる。それならば、本当に、学校を辞めるしかないよね?
 でも、昇平は、やっぱり学校へ行く、と言う。高校生になりたいから。今の先に、もっと楽しい生活が待っているはずだから、と。こんなことでへこたれちゃいけないんだよね、と。
 もう学校を見限ろうよ、と言いたくなるのをこらえて、私も言った。「それじゃ、明日お母さんとお父さんで学校へもう一度お願いに行ってくるからね。どういうふうにしてもらうと、もっと楽に学校にいられるようになると思う……?」学校で実現できそうな方法を、具体的に昇平と話し合い、夕方また副担任に電話をして、明日、校長先生と主人も交えて相談をしたいと申し入れをした。旦那とも連絡がついて、明日は仕事を抜けて学校へ行ってくれることになった。
 昇平は、夜寝る前にもまた不安定になったので、手を取り、肩をたたいて落ち着かせながら話をして、12時近くにようやく眠ってくれた。
 ……長い長い一日だった。

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11月25日(木)
 昨日の決心通り、昇平は登校していった。持って帰ってきたたくさんの荷物を、「ぼくが自分で責任とらなくちゃいけないから」と自転車に積んで。学校に行ってからは、「昨日は心配をかけてごめんなさい」と先生方に謝ったらしい。
 午後2時過ぎから、予定されていた三者面談へ。進路の相談だけれど、昇平は志望校がもう固まっているので、その受験科目である作文と面接の練習をしようね、という話を担任からされた。こちらからは、志望校に今年度の受験内容や形式を確認して、それに即した作文練習や面接練習をしてほしいことを要望した。

 一度家に戻り、校長先生が出張から戻るのを待って、夕方5時半からまた校長室で相談。向こうは校長先生と担任、こちらは仕事を抜けてきてくれた旦那と私。後から教頭先生も同席。
 最初に校長から、二日続けて昇平が学校から帰ってしまったことは学校側の落ち度だった、と謝られ、きっかけになる原因はやっぱりL子さんのほうにあるから、それに対して学校側でもなんとか彼女に合った指導と対応を考えなくては、と話し合っている、と聞かされた。……彼女への対応については、今月2日に私が来て話し合ってから、ほとんど進展していない、ということだわね。
 目標を持ち、学校全体での対応を目ざして取り組み始めているところだ、というお話しを聞かせてもらい、昇平とL子さんを、授業内容や指導の内容に合わせて別教室、それも声の聞こえない離れた部屋で指導することも考えている、と言われた、……それも、もう2年も前から、こちらがずっと要望してきたことだけれど。
 それでも、やる、と言っていただけたので、ぜひお願いします、と答えた。特に、L子さんに何か「指導」をしようとすると、彼女は必ず奇声を上げるので、昇平は絶対声の聞こえない部屋にあらかじめ移動させておく必要がある。そうしなければ、昇平がパニックを起こして、L子さんへの指導も成立しなくなるから。

 授業に関してはそれでよいけれど、L子さんがふいに大声を上げたときにどうするかについての対策がなかったので、こちらからは昨日昇平と話し合った要望を伝えた。昇平は、L子さんが大声を出したときに避難できる「避難所」があれば学校へ行ける、と言っています。本人は体育館の用具室がよい、と言っているのですが、そこを避難とクールダウンのための部屋には使用できませんか?……実はこれも、一年半前の学校との話し合いで具体的に出した要望。昇平がパニックになって大暴れしたときに、用具室に入って落ち着くことができたので、今後もそこを使わせてほしいとお願いしたのだけれど、結局そこは不可で、本教室の隣の多目的教室が避難所になったいきさつがある。でも、隣の部屋では、L子さんが大声を上げたり駄々をこねたりしたら、その声が筒抜けになってくるし、実際それで先週の月曜日にはパニックを起こして大騒ぎになっている。もっと遠い、声の聞こえない場所、それも昇平が自分の意志で避難できる場所が必要なのだ。
 今回も、用具室は、と先生方に渋い顔をされた。いたずらをされるので普段は施錠をしていて、開放していないのだそうだ。昇平が入り込んだときは、たまたま体育館を使う時間で鍵が開いていたらしい。どこか別に適当な部屋はないか、という話し合いになり、結局、保健室の向かいの相談室を常時開放してもらえることになった。昇平が声から逃げたいとき、クールダウンしたいとき、自由に行って入れる部屋。保健室が目の前だから、何かあったら養護の先生にも目配りしてもらえる。そうしましょう、という話になった。
 ……本当に、多くは望まない。ただ、昇平が安心できる場所、落ち着ける場所がどうしてもほしい。それがなければ、昇平は学校へ通い続けることができない。ずっとずっと、再三再四、再五再六、再七再八……お願いを続けてきたけれど、今回昇平が二日連続で学校を飛び出し、旦那も乗り出して、ようやく本当に効果のありそうな対策が出てきた。
 卒業まで、本当にあと4カ月。学校が「やる」と言ったことが、ちゃんと実施されていくことを、ただひたすら願っている。

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11月26日(金)
 昇平は学校の避難所の話を聞いて安心したのか、昨夜は久しぶりでよく眠ったし、今朝の目覚めも良かった。ただ、それでも寝る前や起き抜けには嫌なことが頭に浮かんできて不安定になる。その都度、背中や肩をたたいて安心させてあげると、「学校に行ってる間に嫌なことが浮かんだら、お母さんはいないし、どうしたらいいんだろう?」と言い出し、少し考えてから、「そうなったら、心の中で『なんだよ』って言おう」と言っていた。嫌な記憶に言い返してフラッシュバックから立ち直ろう、ということかな? 落ち着いた後は、しっかり朝食を食べ、元気に登校していった。
 ただ、私のほうは、学校側に昇平のつらさが充分伝わっていなかったことや、昇平がパニックを起こして学校を飛び出しても、どうせ私に会えばまた学校へ来るのだから、と思われていたことが、昨日の話し合いの中でわかって、かなりショックだった。精神的に追い詰められていく昇平を、私は必死でフォローしてきたし、昇平も驚異的な努力でまた学校へ行く決心をしていたのにね。
 先生方のプレッシャーになっても、と思って、中学校にはこの日記のことを知らせずにきたのだけれど、昇平の状態や家庭での対応を知ってもらうためには見ていただいたほうが良いだろうと考え、校長先生へ手紙を書いて、てくてく日記としましま島の存在をお知らせした。……わざわざ読みに来てくださるかどうかは、わからないけれども。

 三者面談の期間なので、授業は午前中だけで、昇平は昼過ぎに帰宅。さっそく数学の授業をL子さんと離れた、静かな保健室で行ってもらい、避難所の説明もしてもらったらしい。連絡帳の一行日記欄に「先生、ありがとう!」と書かれていた。
 ただ、昨日相談のなかで避難所にしようと話し合った保健室前の相談室は、別の学年の生徒が使っていたので、教室と同じ階にある学年資料室が避難所になったようだった。場所は、教室から出て廊下の角を曲がった先。しっかりした扉はあるようだけれど、場所的には教室に近いから、声は聞こえてくるかもしれない。今の昇平はかなり精神的に不安定だから、声の大きさだけでなく、苦手なトーンの声(つまり怒っている調子の声)が聞こえてくること自体が刺激になっているはず。扉を閉め、耳をふさげば、なんとかシャットアウトできるだろうか……。不安はあるけれど、様子見。
 私自身はさすがに疲れてしまって、一日中ぼーっとしていて、午後は3時間も昼寝をしてしまった。

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11月27日(土)
 週末。昇平は私と外出したがったが、おばあちゃんが怪我しているから出かけられないよ、と話すと、すぐ納得してくれた。
 午前中、昇平は数学の二次方程式を自主勉強。反復練習しているので、だいぶ基本が身についてきた。私は家の中の掃除と、病院へ行った義母の送迎。その後、三者面談でもらった練習用紙を使って、私と昇平で面接の練習。「話の途中であくびをしなかったか」などの、面接態度に関するチェックシートを独自に作って、終わってから採点。ちょっとおまけもして、今日は75点だった。
 午後は英語。私と一対一だとずいぶんわかるのに、テストになるとどうしてできなくなるんだろう。先日の期末試験は、問題が非常に難しかったこともあって、惨敗だった。国語と社会の点数は前回を少し上回ったが、数学と英語と理科は大きく下回り、五教科の合計は前回より10点も少なかった。あれだけがんばったのに厳しいなぁ……。とはいえ、あれをやらなければ、どの教科も限りなく零点に近い結果になったのは確かなのだけれど。

 その後、昇平は自転車で町中のコンビニ巡りをしておやつを買ってきたり、一足早いクリスマスプレゼントに買ってもらったDSのゲームをしたり。
 ところが、ゲームがうまくいかないのにいらいらして、夕方、久しぶりで本当にものすごいパニックを起こした。あまりのひどさに、とうとう私のほうも我慢できなくなり、ゲーム機を取り上げて放り投げ、どなりつけ、たたき、泣いてしまった。私のパニックに昇平の方が我に返り、一生懸命私を引き止めていた。私がベランダから飛び下りようとしたので。
 双方冷静になってから、ああ、私は本当に疲れているんだなぁ、とつくづく思った。昇平の方も、平日にストレスフルな生活が続くから、休みの日くらい楽しいことをしたいのに、それも祖母が怪我をしたためにどこにも行けなくて、いっそうストレスがたまっていたんだよね。でも、それで不安定になられると、私はとてもつらい。ひどいパニックを起こされると、正直、私のほうが死んでしまいたくなる。私はもう限界にきていたんだ、と自覚した。

 夜、帰宅した旦那に、「お願いだから休みを取ってください」と頼んだ。旦那はもう2ヶ月以上、一日も休みを取っていない。責任ある立場になって、忙しくて大変なのはよくわかっているし、そんな中でも、学校まで話し合いに行ってくれたりと、協力してくれているのもわかっている。でも、お願いだから、どこかで休みをとって。そして、昇平を遊びに連れていってあげて。私は今、家が空けられなくて、それができないんだから。そうしないと、私はもう限界。いつか今の穴埋めをしようと思っても、その「いつか」は来なくなるかもしれない。私がいなくなってから後悔したって、その時にはもう遅いんだよ……。
 結婚して22年。私が旦那にこういう話をしたのは初めてだった。旦那は非常に反省して、「ごめん」と謝ってくれた。「いい気になっていた」と。いい気になっていたわけじゃないのは知っている。いつも気持ちはちゃんと私たちに向けてくれているのもわかっている。だけど、今は、旦那の協力が必要。旦那の健康も心配。週に1回、それが無理ならば、せめて2週に1回は休みを取ってちょうだいね……。わかった、と旦那は言った。とても落ち込んでいたけれど、でも、言わずに私たちがどうにかなってしまうよりは、こうしてちゃんと言った方がいいはずだよね。

 昇平は、私がいなくなるかも、と思って、またかなり情緒不安定になってしまった。ぶりかえしになるかな……。ごめんね、昇平。ただでさえ不安なのに、いっそう不安にさせてしまって。
 明日には、もっと元気になるから。そうしたら、また、君を支えてあげられるからね。

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11月28日(日)
 案の定、朝起きたときから、昇平は不安定。昨日のことを思い出したり、ネットの書き込みを思い出したりして調子が悪い。先日、通院日に主治医から許可をもらっていたので、抗鬱剤を朝にも服用させた。
 その後、一緒にアニメを観たり、10時からは家庭教師と勉強したり。勉強の前に事情を話しておいたので、先生は上手に昇平の気持ちを落ち着かせ、勉強の合間にはポケモンの話で楽しく盛り上げてくださった。おかげで、勉強が終わる頃にはずいぶん元気になって、時々思い出しては落ち込むけれど、すぐに「昨日お母さんは疲れていたんだね」と言えるくらいに復活した。
 午後もかなり安定。昨日の騒動は自分が悪かったのだと強く思っているけれど、「またがんばればいいんだよね」と前向きに気持ちを切り替え、時折不安は浮かんできても、一生懸命自分をコントロールして、「こんなことでへこたれちゃいけないよね」と言っていた。夜は一緒にWiiパーティして楽しく過ごした。
 旦那は9時半頃帰宅。仕事はとても忙しいけれど、なんとかがんばって次の土曜日には休む、と言ってくれた。

[10/11/29(月) 08:46] 3行日記

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