昇平てくてく日記3

中学校編

変わってください!

 学校長や担任と話し合いをしてから、いろいろ考えていた。
 入学当初から、ずっと昇平に合わせた対応をお願いし続けたのに、それが学校に通じなかったのは何故だったんだろう、と。

 結局は、「あの子は障害児だから、我々にはどうしようもない」と学校側が最初から考えていたからなんだろう、と思う。
 昇平はL子さんが騒ぐたびにパニックになって、特に2年生の1学期にはものすごい騒ぎを毎日のように起こしていた。先生方に怪我をさせてしまったこともある。いくら昇平に言い聞かせても改善しないから、先生方が下した結論は、「あの子は障害があるんだから、しょうがない」。
 パニックのきっかけがL子さんの声にあるのは、先生方もわかっていた。だけど、それもまた、彼女の障害特性から来るものだから、いくら言い聞かせてもやっぱり改まらない。だから、ここで出た結論も、「あの子も障害があるんだから、しょうがない」。
 昇平がパニックになって大混乱になると、もう先生方の話は耳に入らなくなる。ところが、私とならば、昇平は話をするし、その過程を経て落ち着いていく。だから、「パニックになって手に負えなくなくなったら、お母さんと話をさせよう」。昇平が、「こんな学校にはもういられない!」と帰ってきてしまっても、「家に帰ってお母さんの顔を見れば落ち着いて、翌日にはまた元気に登校してくるんだから大丈夫」。
 こんなふうに思われていたのでは、何も変わるはずはなかった。

 先生方は理解できなかったんだよね。昇平にとって、L子さんの声がどれほどつらいのかということが。だって、先生方にとっては、それは「まったくうるさいなぁ」と思う程度の声なのだから。昇平がその場から逃走したくなるほど、窓から飛び下りたくなるほど、本当に苦痛に思っているとは、想像ができなかったんだよね。
 そして、昇平がそれを何度訴えても、「L子さんが騒いでしまうのはしょうがないんだよ。我慢してあげてね」「このくらいの声で、こんなに騒いでは駄目なんだよ。まして人に怪我をさせるなんて絶対いけないんだよ」と、昇平の方に指導が来る。それでは、昇平も先生方を信頼しなくなる。「どうせ先生はぼくの気持ちなんてわかってくれないんだから」……これは昇平自身が自分の口で言ったことば。そんな信頼関係にある人から「落ち着きなさい」なんて言われたって、昇平が落ち着けるはずがない。「ぼくの気持ちをわかってくれるのは、お母さんだけだ」と、落ちつきを取り戻すために母を求める。

 私は必死でそんな昇平を支え続ける。あの手この手、本当にあらゆる手段と時間をかけてフォローするから、昇平はなんとかまた学校へ行く。気持ちを前向きに切り替えるから、自分自身を反省して、「もっとがんばります」と先生方にも言う。……無理なんだよ。どんなにがんばったって、生まれ持った障害特性は変わらない。L子さんの声は、どんなに君ががんばったって、耐えられるものじゃないんだ。それなのにがんばろうとするから――パニックを起こすのは自分が悪いせいだ、それを改めなくちゃいけないんだ、と考えるから――難しい勉強が理解できないのも、自分が馬鹿で駄目な人間だからだ、と考えるから――だから、精神状態もおかしくなってくる。精神衰弱のようになって、抗鬱剤を飲まなければ学校へ行けなくなってしまう。それも、パニックを起こすたびに、自己嫌悪と不安からまた症状を悪化させて。


 入学当初からずっと学校へお願いし続けたことだけれど、改めてここに書こう。
 パニックには、必ずそれが起きる理由と原因がある。それをまず見つけて、取り除くこと。取り除けないならば、それが起きにくくなるような「環境改善」をすること。
 昇平のように、生理的な理由からパニックが起きるのであれば、なおさら本人を改善しようとしても不可能。誰だって、訓練で生理的特徴は改められない。暑がりの人は、どんなに訓練しても暑がり。寒さに弱い人は訓練したって寒がり。まして、その感覚的特徴から非常につらい想いをしたことがある人ならば、その原因を異常なまでに恐れるのは当然のこと。言い聞かせたって治らない、変わらない。やるべきことは、「パニックの原因になるつらい出来事が起きない、安心できる環境作り」。それ以外の対応はない。
 社会に出れば、いろいろな環境に出会うのだから、今のうちからそれに慣れておかないと将来困るだろう……と先生方は言われる。それはその通り。でも、馴らすならば段階を踏んでお願いします、と私たちはお願いし続けた。まず安心できる避難所を。そこに避難しながら、「このくらいなら大丈夫かな?」「この程度なら我慢できるかな?」と、自分の意志で少しずつ耐性を付けていけるように指導してください、と。
 昇平が越えなくてはならないのは、とても高いハードル。一度に飛べるようになんてならない。少しずつバーの高さを上げて練習していかなくちゃ、飛び越せない。

 子どもが障害を持っていたって、学校にできることはある。完璧はありえなくても、それを目ざして改善していくことはできる。
 そう思ってきたから、私はどんなにつらい状況でも、「学校へ行こうね」と昇平に言い続けた。学校に気がついてもらいたい、変わっていってもらいたい、と親子で願いながら、今日まで来た。
 私たちには不十分であっても、学校が変わり始めれば、この後の子どもたちはもっと楽に充実した学校生活を過ごせる。例えば、これからゆめがおか学級から中学校に入ってくる、昇平の後輩のT君、Aちゃん、T君、H君、Yちゃん……あの子たちが小学校できちんと積み上げてきたものを、中学校でなし崩しにされることがないように。あの子たちが、もっと大きく成長していけるように。そのために。

 中学校だって、きっと変われる。変わっていける。私は今でもやっぱり、そう信じている。
 昇平が卒業するまで、あと4カ月。
 残りわずかな時間だけれど、私は中学校を見つめ続けようと思う。

[10/11/30(火) 10:41] 学校

[表紙][2010年リスト][もどる][すすむ]