昇平てくてく日記3
中学校編
昇平3行日記・14
※全然3行で収まっていない3行日記。
12月27日(月)
今日は昇平が待ちに待っていたフリースクールへ行く日。昨夜はかなり不安定だったが、朝になったら「今日は気持ちいいなー」と言って起きてきた。嫌なこともほとんど思い出さなかったので、リスペリドンは服用せず、私の車で10時にフリースクールへ。行ってみたら、今日の利用者は大半が『とーます!』(我が家が所属している福島AD/HD親の会)の子どもたちだった。交流会やフリースクールで何度も顔を合わせている子どもたちなので、一緒にゲームをしたりして、とても楽しく過ごしたらしい。2時半に迎えに行ったら、全員がとても良い顔をしていた。昇平も満足した表情で、「また遊ぼうね」と友だちに言っていた
その後、私と昇平は病院に回ってインフルエンザの予防接種。なんとか年内に受けられた。
そして、予想通り夕方から昇平は疲れが出て不安定に。リスペリドン1mlを服用し、私としばらく話して、ようやく落ちついたが、その後も不安は続いていたようで、11時頃にやっと就寝した。
明日は通院日。不安定の波がかなりはっきり見えるようになったので、いちばん良い薬の使い方を相談しなくては。
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12月28日(火)
午前中、病院へ。待合室に小さな子や赤ちゃんを連れたお母さんがいたので、昇平は自分から「車で待ってる」とキーを持って戻っていった。
昇平の状態を聞いて、主治医はあまり良い顔はしない。「こだわりが取れればいいんですけれどね」と言いながら、2週間分の薬を処方してくれた。リスペリドンは、予防に飲むのではなく、不安やパニックがひどくなったときに頓服する方が良いらしい。昇平が、飲んでも眠くならないと納得したので、1mlで出してもらった。
昼食後、私のノートパソコンの画面がいきなり真っ暗になって、使えなくなってしまった。モニターの故障。昇平はとても心配してパニックになりかけたが、予備の古いパソコンがあることがわかると安心した。そこで気分が切り替わったのか、家庭教師との勉強も明るい表情で取り組んでいた。
夜は10時過ぎに就寝。
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12月29日(水)
朝の不安定は、学校が休みに入ってからは軽くなって、短時間でおさまるようになっている。ポケモンの人気に関する不安も、まだ口にはするが、たくさんの人から人気があると教えられて、少しずつ収束に向かっている。
ただ、今度は今やっているポケモンのゲームのストーリーに対する不安が始まった。そろそろクライマックス、最終決戦が近づいているので、「大丈夫だろうか」としょっちゅう聞いてくる。「大丈夫だよ」と私に言われると、それでちょっと安心するようだが、しばらくするとまた同じことを尋ねてくる。
つまり、昇平の不安定の原因は、実際にはゲームやネットそのものではない、ということ。それが直接のきっかけにはなっているけれど、本当の原因はもっと深いところにあるので、一つ解決しても、またすぐ別のことで不安定が始まるんだよね。
それは自分自身への不安。そして、何よりも受験と高校生になることへの不安。
本当に高校生になれるだろうか? なったらなったで、ちゃんと高校生活が送れるだろうか? ぼくはこんなにダメで、出来そこないで、失敗ばかりするし、勉強もできない馬鹿なヤツなのに。心配だ、心配だ、心配だ……。
昇平の深層心理をことばにすれば、きっとこういうことなんだろうと思う。
だから、勉強がわからなくなると、とたんに不安定がひどくなる。高校生になれないんじゃないか、と思うから。ちょっと「こうしたら?」と言われると過剰に落ち込む。「自分はやっぱりだめなヤツだ!」と思ってしまうから。ネットでの喧嘩腰のやりとりを異常におそれるのも、話し下手な自分が社会に出たとき、あんなふうに周り中から叩かれて、のけ者にされるんじゃないか――と考えているから。
だから、本人に自信を持たせたい、とつくづく思う。口先だけで「大丈夫だよ」と言ったって、本人は納得しない。「大丈夫だという証拠を見せてよ」と考えているから。「ここがこんなふうに良かったよ」「ここが君は素晴らしいよね」一つずつ、具体的に拾い上げてほめていかなくちゃいけない。
それは、家庭だけでできることではない。だって、本人は家庭の「外」へ出ていくことに、不安を感じているのだから。「外の世界に出ても大丈夫なんだ」と思わせてくれるのは、家庭の外にいる人々だから。
フリースクールの先生、家庭教師、親の会のお母さんたち、ネットの向こうで日記を読んでいる人たち、困ったときに駆け込む自転車屋さん、眼鏡屋さん……たくさんの「家庭外」の人々が、昇平を理解して支えてくれている。よくがんばっているね、大丈夫だよ、とメッセージをくれる。
学校も、その輪に加わってくれれば、と本当に思う。
昇平が本当は何を恐れているのか。昇平が本当は何を求めているのか。
本人にだって、具体的には把握できていないから、ことばでそれを表現することはできない。無意識で出しているメッセージの意味を紐解き、対応につなげていくのは、我々大人の方の役目。
それが、子どもの方を向く、ということ。子どもの気持ちに寄り添う、ということ。
学校も早くそのことに気がついてほしい、と心から思う。
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12月30日(木)
夜10時半頃、関東の大学へ行っている長男が帰省。旦那が仕事帰りに福島駅まで迎えに回ってくれた。遅い時間だったけれど、旦那、兄ちゃん、昇平の男三人で刺身をつついていた。
ここまではずっと安定していたのだけれど食べ終わって、さあ寝よう、という段になって、昇平が不安定になった。実際の昇平の様子を見て、兄ちゃんが「昇平はずっとこんなだったの?」と驚いていた。これでも程度は軽くなってきているし、落ちつくまでの時間も短くなってきているんだよ、と答えたら、「大変なのはお母さんだね」と言ってもらった。
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12月31日(金)
大晦日。私は家の中の掃除に、買い物に、料理にと、一日中ばたばたしていた。
兄ちゃんは午前中寝倒して、午後から福島駅へ。昇平は一日中、年越しの宴会を楽しみにしていたが、楽しみにしすぎて疲れていた。嬉しいことにも心配なことにも、通常以上に敏感になっていて、それが過負荷になっているように見える。それでも、夜は年越しそばを食べ、私とWiiパーティをしたり、兄ちゃんや旦那と毎年恒例のスペアリブなどで宴会をして楽しんだ。
漢検協会が毎年発表している今年の漢字。2010年は「暑」だったそうだけれど、我が家では2010年の漢字は何だろう? という話になって、皆で考えてみた。各人の答えは以下の通り。
旦那・・・「忙」 (読んで字の通り)
私・・・「悩」 (家族のことでいろいろ悩まされたから)
長男・・・「落」 (落ち込むことが多かったから)
昇平・・・「暗」 (これも読んで字の通り)
義母・・・「痛」 (2度も骨折したり、歯を痛めたり、痛い年でした)
義父・・・聞きそびれてしまった。見た感じ「老」かな。急に年を取ってきている気がする。
来年はいい年にしたいね、きっとなるよね、という話をしていたら、昇平が新年の抱負を詩に書いて、それを明日の初日の出を見ながら読み上げるんだ、と言いだした。ずいぶん時間をかけて抱負を書いて、新しい年になった一番最初にそれを声に出すから、と零時を過ぎたところから初日の出まで、一言も口をきかなくなった。伝えたいことは全部身振り手振り筆談。面白いことを思いつくなぁ。零時半頃就寝。
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2011年1月1日(土)
自分で言っていた通り、朝6時には起きて初日の出を待っていた。曇りで日の出は見られなかったけれど、日の出の時間にベランダで詩を読み上げて、「あー、緊張した。あけましておめでとうございます」と笑顔を見せた。
ちなみに、昇平が書いた詩は、こんな内容。
私は貴方に誓います
昔は心が荒んでいましたが
今は正しい心の道を歩んでいます
それは
自分を捨てず 限りを尽くし
勇気を持ち 痛みに耐え
才能を磨き 苦しみに負けず
事を素早く 不快をかわし
礼儀正しく 己に勝つ
その心を極めるため
新しい日々を送ります
それがこの私 黒き心の白き輝き
まあ、ちょっと格好つけすぎという気はするけれど、覚悟のほどは伝わってくる。
その後、家族全員でおせちを囲み、のんびり過ごし、昼過ぎ、初詣をしてからその足で郡山市の私の実家へ。
実家では私の妹弟も家族を連れて集まっていたので、それはそれは賑やかだった。昇平も久しぶりで従兄弟に会えて楽しそうだった。
ただ、疲れも出て、夜にはまた不安定が顔を出し、リスペリドンを服用した。その後はまあまあ落ちついていた。
2011年は良い年になっていきますように――。
[11/01/04(火) 08:51] 3行日記