昇平てくてく日記3

中学校編

昇平3行日記・18

※全然3行で収まっていない3行日記。


1月24日(月)
 昇平の面接試験の日。朝起きたときから不安がっていたけれど、「心配になりすぎて面接でうまく答えられなくなったらどうしよう、ってお母さんは心配だな」と言うと、「ぼくが何を考えているか、面接が終わってから聞いてね」と言って、その後は心配事を口にしなくなった。

 小雪の降る寒い日。10時20分頃学校へ到着し、前の面接の子が会場の教室から出て行くところを見ながら、待合室に入った。間もなく呼ばれたけれど、昇平は「大丈夫だよ」と言うように、私にうなずいてから一人で会場へ向かっていった。
 面接は先生二人に昇平一人が向き合って、質問に答える形式。後からどんな質問があったか聞いてみたら、家族のこと、学校で得意な教科のこと、苦手な教科のこと、友人のこと、学校で一番印象に残っている出来事のこと……と、ごく一般的な内容の質問をされたらしい。夏休み前からスクールカウンセラーのA先生と面接練習をしてきたし、担任の長谷田先生とも何度も練習してきたので、ほとんど問題なく答えることができた(と昇平は言う)。

 ただ、面接の時間が、私が予想していたよりもずっと長かった。せいぜい15分か長くて20分程度だろうと思っていたら、たっぷり30分近くかかっていて、昇平の集中力が続いているかどうか、すごく心配になってしまった。面接室は待合室の隣なので、昇平の声が聞こえないかと耳を澄ますのだけれど、空調の音が大きくてよくわからない……。(苦笑)
 そのうちに次の面接の子がお母さんと一緒に待合室に入ってきて、昇平も面接室から戻ってきた。「試験の結果は10日くらいでわかるって」と教えてくれてから、明るい顔で「面接は大丈夫だった気がするよ」と言う。どうしてそう思うの? と尋ねると、「先生がすごく優しく聞いてくれたんだ」と答えた。これは説明会の時にも感じていたのだけれど、この学校の先生方は、昇平に対する声のかけ方がすごくうまい。わかりやすく質問してくれるし、昇平の答えもしっかり受け止めてくれるし、昇平に緊張させない楽しい雰囲気も醸し出してくれるから、昇平の方でも気後れすることなく話せたらしい。
 実際、待合室から帰ろうとしたら、試験官の先生の一人がわざわざ廊下に出てきて、「中学校の先生に『試験が無事終わりました』ってちゃんと報告するんだよ」と昇平に声をかけてくださった。この瞬間に、私自身が「なんとしてもこの高校に昇平に通わせたい!」と思ってしまった。昇平に今必要なことを見抜いて教えられる先生のいる高校だ、と。先生は笑顔で昇平を見ていた。昇平を好意的に見てくださっていたのか、それとも幼さにあきれていらしたのか……前者であってほしいと願うのだけれど。

 昇平も言っていたが、曜日の関係で、合否判定の連絡は10日後くらいになるらしい。どうか合格していますように。昇平があの学校に通えるようになりますように。あとはもう祈るしかない。

 マックでお昼を食べ、書店でご褒美に好きな本を1冊買い、2時半頃帰宅。担任の長谷田先生にも、電話で報告することができた。昇平の声が明るかったので、担任も喜んでくださっていた。
 その後も、面接で緊張した疲れや結果に対する心配で、時々不安発作は起こしているが、これは結果がわかるまではしょうがないのかもしれない。発作が起きていないときには、前より明るくなっている。

−−−−−−−−−−−−−−−

1月25日(火)
 受験が終わって、ほっとしたのも束の間、今度は結果が心配で不安定な昇平。以前より不安の回数が増えているし、今までのように、そこから脱出するような思考がなかなかできないでいる。朝は登校時間内に送ったのに、車から降りることができなくて、自分で学校の玄関に入るまでに30分かかった。通りかかった先生が心配して見守ってくださっていたほど。

 学校からは昼休みに電話がかかってきて、1,2校時目は寝てしまい、3校時目は英語をがんばろうとしたけれど難しくてできなくて、4校時目は自習だったのでなんとかできた。給食を食べて、午後の授業に向かうところだ、と言う。どうしてぼくは勉強ががんばれなくなったんだろう、とも言うので、「受験の結果が心配でしょうがなくて不安定になってるんだよ。合格できれば落ち着くからね。今は午後の授業をがんばってらっしゃい」と言うと、「はい」と素直に電話を切った。……落ち着くために母の声を聞きたいだけなんだよね。

 夕方4時頃に下校。ところが、迎えを頼む電話で昇平が泣いている。行ってみると、L子さんとまたトラブルになって、久しぶりに大騒ぎになったのだとわかった。ただ、トラブルの直接の原因はL子さんのほうにあったらしい。彼女も、明日からの試験や受験のことが心配で朝から不安定だったようで、掃除の時間に大声を出してしまって、昇平がパニックを起こして騒ぎになったのだとわかった。この時期は、昇平に限らず、どの子も本当に不安定だ。
 車の中で話し、L子さんの気持ちを昇平に改めて伝えたところ、昇平も反省して、帰宅してからL子さんに電話をかけて仲直りすることができた。

−−−−−−−−−−−−−−−

1月26日(水)
 学年末試験1日目。遅刻ができないので、朝からはっぱをかけて準備をさせた。登校の車の中でも、理科の天体に関する問題を口頭で出題。実際に試験に出てこなくても、そうやって勉強している自分を感じることで、気持ちは落ち着いていくから。ただ、確実に本人が答えられる問題にしなくてはいけないけれど。
 その成果が出たのか、昼過ぎにかかってきたお迎えの電話では、声が明るかった。前回よりは少し手応えがあったのかもしれない。ちょっとホッとした。

 ところが、それから間もなく、今度は担任の長谷田先生から電話。何事かと思ったら、「今、S高校から昇平くんの合格証書が来ました!」。思いがけなく早く、合格の連絡が来たのだ。長谷田先生も少し興奮してらっしゃるようだった。いやぁ……本当に、ほっとしました! 昇平の成績と面接の様子から、きっと大丈夫だろう、とは思っていたけれど、それでもやっぱり心配だった。ああ、よかった。
 お迎えの場所にやってきた昇平は、笑顔だった。車に乗り込んできた彼に「合格おめでとう!」と言うと、「ありがとう」と答えてから、「ついにやりました! ぼくはがんばったよね?」と言ってきた。うん、本当にがんばった。本当に本当に、がんばったよね。おめでとう!
 おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、関東にいる兄ちゃん、郡山の祖父母、ネットで応援してくれていた私の友人、知人、家庭教師の先生……本当にたくさんの人たちが、昇平の合格を祝ってくれた。

 合格証書は校長室で、昇平が校長先生から直々にいただいた。帰宅後は、校長先生から家庭にお祝いの電話もいただいてしまった。昇平に関しては本当にいろいろ気にかけていただいたけれど、こうして努力が実を結ぶことができて、本当に良かったと思う。卒業まであと一ヵ月半。卒業のその日まで、中学校の良い思い出を、ひとつでも多く作ってほしいと願っている。

−−−−−−−−−−−−−−−

1月27日(木)
 合格から一夜明けて、今日は学年末試験の2日目。朝、目覚めた昇平は、やっぱりいつものように嫌なことを思いだしてしまって、リスペリドンを飲んだ。これも、実は予想済み。一番の不安の種だった受験には合格したけれど、だからといって、あれほどの症状が簡単に治まるはずはない。ゆっくりゆっくり、時間をかけながら元気になっていくしかないのだよね。

 ただ、本人の話す内容が確実に前進方向に向き始めている。人の理解、心の理解、人の集団である社会というもの……昇平が向き合うのにとまどっているものは多いけれど、それでも、「○○なんだね」という理解のことばが増えてきた。とても良い兆候に感じられる。あとは、高校生活に向けて自立の力を増やしていくことと、「できる自分」をできるだけたくさん実感することだろう。そのために、そろそろまた、昇平の生活スケジュールを見直してあげなくては。スケジュールがあれば、昇平は自分で自分の生活をこなすことができる。それが、「できる自分」を実感することになるのだから。


−−−−−−−−−−−−−−−

1月28日(金)
 学年末試験も終わったら、昇平はとても元気になってきた。まだ朝と学校と夜寝るときには薬が必要だけれど、嫌なことを思いだしても今までのように長く引きずらなくなったし、不安発作を起こしていないときには、自分から「あれは○○だということなんだよね」と、良い方向で理解・解釈できるようになっている。表情もぐっと明るく柔らかくなってきた。「今日もL子さんがパニックになったんだけど、今日はぼくは平気でいられたよ」とも言っていた。

 夜は8時を過ぎたあたりから「くたびれた」と言い出し、9時半前には布団に入って寝てしまった。全体的な傾向として、通常よりとても疲れやすくなっている。いろいろなプレッシャーや不安に耐えてきて、すっかり疲れてしまったのだろう。ここから先は、エネルギーをチャージして自信を回復していかなくちゃね。

−−−−−−−−−−−−−−−

1月29日(土)
 今日は親の会のお楽しみ会だった。私たちが住む市は社会福祉協議会も保健課もかなり熱心で、私たちの会にもとても力を貸してくださっている。今回は社協が紹介してくれたボランティアさんたちに助けられて、親子でカレーを作り、できあがるまでの時間に別室でゲームをしたり自由遊びをしたり。ボラさんがいると、親は安心してお楽しみ会に集中できるし、新しい関わりも生まれてくる。子どもたちもボラさんたちと一緒に一生懸命調理をしていた。
 会食の後は、各家庭から持ち寄った不要品でビンゴゲーム。ひとしきり盛り上がった後で、また自由遊びをしていると、突然「石や〜きいも〜」の声と共にトラックでやってきたのは、焼き芋レンジャー「伊達の直人」さん。戦隊ものの赤いスーツで身を包み、私たち全員にアツアツの焼き芋をプ配ってくださった。思いがけないサプライズプレゼントに子どもたちも親も大はしゃぎ。握手をしたり記念撮影をしたり。……実はこの方は、社協のボランティア・コーディネーターさんが引き合わせてくれた焼き芋ボランティアさん。障害児のイベントなどに、こうして焼き芋を届けてくださっているのだという。地域にはこんなにも私たちを力づけてくれる方たちがいるんだ、と実感できて本当に嬉しかった。

 こういう楽しい経験が、親と子の心の中で力になっていくといいなぁ、と本当に思う。回を重ねるごとに子ども同士の関わり方も上手になってきて、喧嘩もなく楽しそうに遊ぶようになったし、親たちも笑顔がとても増えてきた。昇平も最近仲よくなった小学5年生のHちゃんとポケモンの通信などして、楽しそうにしていた。
 これからも、みんなが笑顔でいられますように。もちろん昇平も私も。つくづくそう考える。
 
 夜になって不安定になって薬を飲んだけれど、「嫌なことが浮かんでくるのは、ぼくが今日少し疲れたからだね」と自己解釈することができていた。夜9時過ぎに就寝。

−−−−−−−−−−−−−−−

1月30日(日)
 朝8時起床。実に11時間もぐっすり眠っていた。
 起き抜けの機嫌も悪くなかったので様子を見ていたが、朝食を食べながら「また嫌なことが浮かび始めた」と言いだしたので、薬を飲ませた。
 午前中は家庭教師のH先生と数学。高校には合格したけれど、入学後の勉強がスムーズに行くように、この後も3月いっぱいまで指導をお願いしている。H先生はご自分のブログに昇平が合格したことを書いてくださっていた。普段こうして逐一報告していても、他所の方のブログに昇平のことが書かれていると嬉しい気分になるのは、やっぱり親バカ。(笑)

☆H先生の記事
  ↓
 http://ameblo.jp/katekyo-fukushima/entry-10780356806.html 

 H先生も昇平が穏やかな表情になった、とホッとしてくださっていた。実際、ずいぶん落ち着いてきて、嫌なことを思いだしても以前のように深刻にならなくなってきた。まだ発作のときに薬は飲んでいるけれど、飲めばすぐ落ちつきを取り戻せるので、本人も周囲もずいぶん楽になってきた。

 夜になって、やはりかなり疲れた感じになってきたので、「もう寝よう」と誘って9時半には就寝させた。おかげで私も早寝安眠。

[11/01/31(月) 10:47] 3行日記

[表紙][2011年リスト][もどる][すすむ]