昇平てくてく日記4

高校編

昇平が納得するまで

 ネットのヘッドラインでパニックに陥った昇平が、私とのやりとりを通じて落ち着いていった過程についてリクエストがあったので、改めてここに書き記してみたいと思います。

 ただし、お断りがあります。
 この件では原発事故に関連する出来事を取り上げていますが、この記事は事故やその見解について意見することが目的ではなく、あくまでも、PDD(広汎性発達障害)という障害を持った子どもに「どうやって」事実を認識させていったか、についての記録です。
 原発事故やその責任、また私たちの事故に対する態度などについてのご意見や批判、批評等は堅くご遠慮させていただきます。

 ……と前置きしたところで、さて。

  ☆彡☆彡☆彡☆彡

 事の発端は1月7日の夕方のこと。
 一日穏やかに、しかにも機嫌良く過ごしていたはずの昇平が、ちょうど夕食の支度を終えた私のところへやってきました。見れば、顔つきがおかしい。表面的には落ち着いているように見えても、何かに強いショックを受けてパニックを起こし始めている表情です。
 「悪いけど、ちょっと来て、見てほしいんだ」と言われて一緒に2階に上がると、彼のパソコンの画面に、ニ○動のヘッドラインの動画タイトルが表示されていました。「東電は日本から出て行け」という刺激的な文字が目に飛び込んできます。あぁ、これにショックを受けたのか、とわかりました。

 PDDの特長のひとつに「認知の偏り」というものがありますが、私はこれを「認知の幅がとても狭い」のだと理解しています。ある情報が飛び込んでくると、頭の中がたちまちそれでいっぱいになってしまって、それ以外の情報が入っていかなくなってしまう感じ。
 だから、言われたことや書いてあることを「まったくそのまま」受けとってしまうし、「そうではないよ」と言われても、訂正情報がなかなか入らなくなります。
 これは、ネットやテレビ、雑誌などで特に著しい誤解を起こします。ネットもテレビも雑誌も、一瞬で人の興味関心を引こうとするために、短くて非常に印象の強いことばを使用するからです。「その食品が子どもを壊す」とか、「○○(国名)撲滅!」とか、「官僚社会に渦巻く闇」とか……おどろおどろしくて、人を不安にするフレーズが、ヘッドラインに勢揃い。動画のコメントも同様で、非常に短いことばで書き込むものだから、ことばは舌足らずで、しかもとても刺激的。
 PDDなどの発達障害を持つ人たちは、精神的にとても過敏な場合が多いので、こういう不安な見出しやコメントには即反応してしまいます。

 不安なヘッドライン(見出し)→ショック・頭がいっぱいになる→恐怖・パニック

 だから、昇平にもニ○動などは見に行かないように、と言っていたのですが、好きなゲームの攻略方法やエンディング動画など、彼にとって有用な情報もアップロードされているので、まったく訪問しないのは困難。彼自身、コメントなどは目にしてしまわないように、気をつけながら訪問していたのですが、今回のはコメントではなく、アップロードされた動画のタイトルだったので、思いがけず目にしてショックを受けてしまった、ということでした。


 昇平はパニック寸前でしたが、以前とは違って大暴れはしなくなったので、話をすることは可能でした。
 「君は、これを読んでどんなことが起きると想像したの?」 とまず聞いてみました。
 最初は、「怖くて言えない」と言っていましたが、繰り返して促すと、「みんなが東電を日本から追い出すんじゃないかと思う」と答えました。
 東電を追い出すとは、具体的にどういうことをすると思うのか、と聞くと、日本中の人たちが東電の発電所に押しかけて、会社も東電社員も全部外国へ追放するんじゃないかと思う、と答えます。その時に流血や殺人が起きるのではないか、とまで心配していたようでした。
 そこで言いました。
「実は、3月の大震災と原発事故の後、この福島で本当にそういうことが起きるんじゃないか、と世界中の人が心配したんだよ。だって、事故が起きて放射性物質が飛び散ったのは、この福島県の中なんだからね。それで本当にたくさんの人たちが迷惑を被ってるし、今も農業や漁業や観光業などの、ものすごくたくさんの人たちが困っている。だから、福島県の人こそが、そうやって東電に対して怒って、殴り込みとか暴力行為とかをするんじゃないか、と思われていたんだ……。だけどね、この周りを見てごらん。福島県の人は本当に東電の会社や工場に殴り込みに行った? 東電社員の人の家に行って、おまえらが悪い! って乱暴を働いたって話は聞いたことがある?」

 PDDの特長は、現実の様子がよく見えていなくて、自分が受けとった情報だけがすべてになってしまう、ということです。でも、幸か不幸か、私たちは福島県に住んでいます。「実際には」どうなのか、ということを、自分が住む場所として知ることができる立場にありました。

 「……ないね」と昇平は言いました。少し考えてから、「どうしてみんな、そういう暴力行為をしなかったの?」
 「それはね、そんなことをしたって、この状況は全然良くならない、ってみんなが知っていたからだよ。東電の人たちを追い出しちゃったら、どうなると思う? 原発事故は完全に収まるまでにまだまだ時間がかかるのに、その人たちがいなくなったら、事故を終わらせる人がいなくなっちゃうよね。東電の会社がなくなっちゃったら、事故の賠償金だって支払ってもらえなくなっちゃうもんね。東電が日本から出て行ったって、なんにもならないんだよ。そうじゃなくて、一生懸命事故を終わらせて、原発を安全にしてもらうことをやってもらわなくちゃいけない。それをやってほしい、ってみんな考えているからなんだよ」


 「でもさ」と昇平は言いましたが、まだ充分には納得していない顔でした。「福島県の人はそう思っていても、日本の他の場所の人たちはそう思ってないかもしれないでしょう」と言います。
 「東電がなくなったら本当に困るのは、東京とその周りの関東地方の人たちなんだよ。だって、あそこに電気を送っているのが東電なんだから。電気が来なくなったら、関東地方では電車も工場も店も……何もかも動かなくなっちゃう。震災直後の時みたいに、全部停電しちゃうからね。そうなったら、関東の人たちはどう思う? 東京には大事な会社や機能もたくさん集まっているよ。それが停止したら日本中が動かなくなるんだけど、そうなったらみんなどう感じると思う?」
「そりゃ……困るわなぁ」
「そんな状況になるってわかっているのに、それでも東電を日本から追い出そうとしたりすると思う?」
「しないか」
「しないよ。東電が国営になることはあっても、東電という電力会社が国外追放になる、なんてことはありえないのよ」
 電力会社が国営になる、という話は、今の彼にはまだ少々難しかったようでした。「?」という表情になったので、そのことはそれで打ち切りに。
 とにかく、東電がなくなれば、関東だけでなく日本全部が困ってしまうのだから、そんなことはできないのだ、という話をしたところで、いいかげんお腹もすいたので、やりとりを終わらせて一緒に夕食を食べました。
 ここまでが約1時間のやりとりでした。

  ☆彡☆彡☆彡☆彡

 ところが。
 PDDの特性かADHDのほうの特性か、そこのところはよくわからないのですが、昇平には、一度納得したことも、少し時間を置くと忘れてしまう、という特長があります。短期記憶から長期記憶へ情報を受け渡す脳の中の機能にも、困難を抱えているからです。
 前の晩には納得して安心したはずなのに、翌朝また不安やパニックをぶり返している、ということが、しょっちゅう起こるので、まったく一筋縄ではいきません。

 案の定、次の日、昇平はまた暗い顔で起きてきました。
 東電の人たちが一生懸命事故を終わらせようとしていることも、関東の人たちが電気が来なくなって困ることも覚えてはいるけれど、それでもやっぱり、あの人たちが東電を襲撃しそうな気がする、と言うのです。大多数の日本人はちゃんとわかっているから、やらないだろう。でも、あの人たちはひょっとしたら、と考えてしまうんだ、と。

 そこで、今度はこんな話をしました。
「人間にはね――特に、大人と呼ばれる年齢の人たちには、話を最後まで言わないことが多い、っていう特長があるんだよ」
 それ、どういうこと!? と昇平と食いつきました。
「例えば、そうね……ここにコップがあるでしょう? これにジュースが半分入っていたとして、お母さんが君に向かって、コップを指さして『ほら、ジュースが残ってるよ』と言ったら、それは本当はどういう意味だと思う?」
「ジュースを全部飲みなさい、って意味」
「そう。ほら、お母さんもジュースが残っているよ、最後まで飲んじゃいなさい、って言いたいのに、最後までは言ってなかったよね? 世の中の人たちの話って言うのは、こんなふうに、話を全部言わずに、途中で終わらせていることがすごく多いんだよ。口に出しては言わないけど、聞いたほうでわかってね、って思っているんだよね。……昨日の『東電は日本から出て行け』も、それと同じなんだよ。あれを言っている人や、それに賛成している人は、本当に東電を外国に追放しようとしているわけじゃなくて、『東電は、しっかり責任とって事故の後始末をしろよ。それができないような会社なら日本にはいらない、ってみんなが言うぞ。だから、ちゃんとやれよ」ってことを言おうとしているんだよ。本当に国外追放したがっているわけじゃなくて、「日本にはいらない」って言われないようにちゃんとやれ、というのが、本当に言いたい意味なんだよ」

 人の話には裏の意味がある。
 刺激的だったり、おやっ? と思わせたりする見出しの記事も、内容をよく読めば、実は見出しとはまったく違う内容のことを言っていたりもする。
 普通は、成長の中で自然とそういうことに気づいていくものだから、昇平くらいの年頃の子どもたちも「空気読めよ」とか「場を読め」とか、裏の意味の存在を示唆しあうのですが、昇平が自然にそれを獲得するのは、なかなか難しいことです。それでも、こんなふうに話す中で理解できるようになってきたのですから、やっぱりそれなりに成長してきたのでしょう。
 「人の話にはその先の意味があるのかぁ」と昇平は納得して安心しましたが、やがて「新しいことを覚えるとくたびれるね」と言って、2階に上がってからは、ストーブの前で1時間以上も昼寝をしていました。
 幸い、今度は短期記憶から長期記憶へうまいこと情報が移動してくれたようです。その後からはもう「東電が日本から追放されるんでは……」と心配することはなくなりました。


 調子の良いとき悪いとき、理解の良いとき悪いとき、波もあるし、落ち込んだりパニックになったりすることもまだまだありますが、それでも、ゆっくりじっくり自分のいる世界を理解してきている昇平です。
 彼がもう少ししっかり世界を把握できるようになるまで、メンター(導者)としての私の役割も、もうしばらく続くのでしょう。


 長文になりましたが、最後までおつきあい、ありがとうございました。

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[12/01/11(水) 14:52] 日記

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