昇平てくてく日記4

高校編

〔56〕情報整理のお手伝い

5月7日(月)
 昇平はフリースクール。
 私は親の会のニュースレターの印刷。印刷中、インクが切れてきて、あわててホームセンターへ走った。その後は家計簿つけ。

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5月8日(火)
 昇平は今日から本格的にスクーリング開始。3,4校時目に英語があったが、休み中に予習していたおかげもあって、「けっこうわかった」と笑顔で帰ってきた。
 久しぶりの登校だったので、駅や駅ビルにいろいろ変化があったようで、「ここがこう変わっていた!」と写真入りで何度もメールをくれた。

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5月9日(水)
 昇平はフリースクール。今年度はフリースクールと学校が半々程度になるように授業を組んである。
 私は2カ月ぶりで美容院へ。去年は髪をほったらかしにして、かなり傷んでしまったので、今年はまめに足を運びたいと思っている。

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5月10日(木)
 昇平は学校で校長講話と生物Iのスクーリング。非常に熱心に受講して、今までで最長の講話受講レポートを書き、生物でも細胞図をとても丁寧に描いたという。

 私は親の会の支部例会と、その後ファミレスを使って役員会。そこへ昇平が「学校の階段にこんなものが」と、県の青少年総合相談センター開設案内のポスターの写メを送ってきた。他のお母さんたちも詳細を知りたがったので、「ポスターのセンターの場所はどこだって?」とメールで尋ねたら、「階段の近くです」と返信が。思わず大笑いしてしまった。いやはや、お約束通り。でも、もう一度もっと正確に質問したら、今度はポスターの住所を写した写真入りで、センターが設置される場所を教えてくれた。

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5月11日(金)
 昇平の口唇炎の薬がなくなったので、家庭医療科へ行き、その後、精神科に定期診察に回った。
 診察室では、質問に的確に返事をするのがまだ少し難しい昇平だけれど、それでも一生懸命考えて答えようとするところに、大きな進歩が感じられる。以前は、自分が何のためにここにいるのか理解できなかったのだもんね。主治医のY先生も、診察のたびに「だいぶまとまってきましたね」と言ってくださる。

 ところが、順調だったのもこのあたりまで。まず、午後に取り組んだ国語のレポートが予想外に難しかったことにつまずき、その後、国語の教材の中に彼を心配な気持ちにさせるような評論文があったものだから、一気に不安再燃。落ち着くのに少し時間がかかった。

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5月12日(土)
 昇平は、一晩眠り、さらに午前中昼寝もして、ようやく元気回復。夕方から私は支部の花見で外出したが、「いってらっしゃい」と機嫌良く見送ってくれた。
 ところが、懇親会の最中に、昇平から「帰ってきたら話を聞いてほしいんだけど……」というメール。嫌な予感がして少し早めに抜けて帰宅したら、旦那に「昇平が今、パニックを起こしているんだ」と教えられた。やっぱり。

 昇平は泣きはらした顔をして興奮さめやらぬ様子だったが、話を聞くと経過を説明することはできた。うっかりチャンネルを回してしまったテレビで、彼が今一番心配している内容(日本の出生率減少問題)をやっていて、しかも視聴者の不安を非常にあおるような作り方をしていたらしい。昨日から不調だったところに、また不安材料を仕入れてしまい、自分では処理しきれなくなってパニックを起こしたのだとわかった。落ち着かせようとした旦那とも言い合いになって、しばらく大騒ぎだったらしい。

 パニックの薬のリスペリドンも飲んでいなかったのがわかったので、まず薬を飲ませ、「10分後に話を始めるからね」と10分間だけ安静にさせ、少し落ちつきはじめたところで、「テレビで思いがけず心配なことを観てしまって、びっくりしたんだね。一人で大変だったね」と髪をなでてねぎらったら、やっと本当に落ちつき始めて、私の話も耳に入るようになった。
 混乱している情報を整理し、足りない部分は補い、過剰に認識してしまったところは削り、間違って解釈したところを修正し……というやりとりを続けるうちに、ようやく少しずつ混乱も落ち着いていった。話し合いが一区切りついて、疲れ果てた昇平が眠りについたのは零時過ぎだった。

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5月13日(日)
 昇平は昨日の影響がまだ残っていて、一日中、疲れた顔をしていたし、しょっちゅう「疲れた」と言っていた。
 それでも、折に触れ、昨日の話の整理を少しずつ進めていって、夜にはやっと本当に落ち着いた感じになった。
 私が不在だったというタイミングの悪さもあったけれど、なんと言っても、新学期に際して張り切りすぎた反動が出たのだろうと思う。少しがんばりすぎたんだよね。

 今、彼は情報の受け取り方と整理のしかたについて、失敗を繰り返しながら学んでいる最中。とても苦労しているけれど、それでも確実に前進していると思う。
 そして、私は彼の情報整理に手を貸す役目。ニキ・リンコさんが以前ネットの掲示板で「自分は大人になってから障害がわかったから、自分で手探りでそれをやらなくちゃならなかった。子どもだった頃に、誰かに手伝ってもらって情報の整理や勘違いの修正ができていたら、もっとよかったのにと思う。」と書いていらしたから。成人当事者の先達としてのことばは、私の子育ての道しるべ。手間はかかっても、必要なことならば手伝いたい、と思う。

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☆昇平のブログ→ 「やつむの日常」
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[12/05/14(月) 13:52] てくてく日記

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