昇平てくてく日記4

高校編

戦略と戦術〜品川裕香さんの講演を聞いて〜

(珍しく、単発の記事の更新です。いつもの日記は明日の月曜日に更新します)

 昨日、福島県と伊達市の教育委員会が主催する講演会に行ってきた。
 講師は教育ジャーナリストの品川裕香さん。私が所属する親の会でも以前お呼びしたことがある。
 今回のテーマは「一人ひとりの子どものニーズに応じた みんなが輝く教育を目ざして 〜将来、社会参加できない若者にしないために〜」

 非常に内容が盛りだくさんだったので、それをここに載せることはとても不可能だけれど、教育の目標は「子どもを社会化すること」であり、「子どもを将来逸脱させない」ために行うものだ、ということが大元のテーマ。
 品川さんが取材の中で出会った、反社会的行動をとるようになった子どもたちの事例なども詳しく聞かせていただいて、皆、思わず集中。それが、発達障害を持つ子だけでなく、障害を持たない子にも起きているのだという事実に、ショックを受けた教育関係者もあったようだった。

 でも、これは親の会の中では、以前から常に言われ続けてきたことだった。
 毎月の例会に集まり、お茶を飲みながら、雑談をしながら、出てくる話は必ず子どものこと。
 その中で、しょっちゅうこういう話が出る。
「だって、私たち親はいつまでも生きていられないからね。たいていは子どもより先に逝っちゃうんだから。その時のために、自分で生きていける大人に育てていかなくちゃいけないんだよね」

 子どもを社会化する、というと、なんだか難しくも聞こえるけれど、要するにそれは、「みんなの中で生きていける人間に育てていく」ということ。みんな(社会)の中で生きていくには、最低限の学力や技能、コミュニケーション能力、社会のルールといったものを身につけていく必要がある。
 そのために、障害への配慮はもちろん必要だけど、だからといって、いつまでも特別扱いして大事にしていては、みんなの中で生きていく力が育っていかない。
 昇平なんかもそうだけれど、自閉系の子どもは誤学習をすることがとても多いから、それを早いうちに修正してあげたり、誤学習を防ぐためのスキルを身につけさせる必要がある。

 「社会の中で生きていけるようになる」というのが一番大きな目的ならば、そのために、こういう力と、こういう力と、こういうルールを覚える必要がある、この誤学習は修正しなくちゃいけない、というのが、その下にある目標。そして、それを身につけるために、「この子にはこうやって力をつけさせる」という具体的な技術と工夫が来る。
 品川さんは、一番大きな目標を「戦略」、その下の目標とそのための技術・工夫を「戦術」と呼んで入らしたけれど、要するにこれは、教育の「長期目標」と「短期目標」のことだな、と思った。
 学校の先生などは、戦術を達成するためのスキルをたくさん持っている方が少なくない。戦略を適切に設定できるようになれば最強だ――というようなことも、品川さんはおっしゃっていた。


 私は教師ではないけれど、ずっとこの戦略と戦術は頭に置いて昇平を育ててきた気がする。

 私の戦略ももちろん、「昇平をみんなの中で生きていける人間に育てていくこと」。
 ところが、昇平はことばの発達が非常に遅れていた。
 ことばがうまく話せないと、人とコミュニケーションを取ることができない。コミュニケーションが取れなければ、みんなの中で共に生きていくことはできない。
 だから、長期の戦略の下に、「相手に自分の気持ちを伝えられるようになる」という中期の戦略を立てた。
 そして、本当に、数え切れないほどの戦術を実行してきた。

 ことばが出てこないときには、大人の手を引いて欲しいものへ動かす「クレーン」をおおいにやらせて、その時に「○○が欲しいんだね?」とことばに置き換えながら、欲しいものを取ってあげた。
 本人にことばが出始めても、最初はエコラリア(オウム返し)がひどくて、本当に言いたいことが何なのかが通じにくかった。「ジュースが欲しいの? 牛乳が欲しいの?」と聞いて「ぎゅうにゅう」と答えたら、必ず「牛乳が欲しいの? ジュースが欲しいの?」と欲しいものの順番を入れ替えて聞いてみる。それで今度は「ジュース」と答えたら、本人は私の質問の最後の部分をエコラリアしているだけ。本当の意志ではないかもしれないので、実物を持ってきて、本人に欲しいほうを選ばせ、「ああ、牛乳(ジュース)が欲しかったんだね」とやっぱり、ことばで言ってあげる。
 耳で聞き取る能力が弱い、注意散漫で人の話に集中するのも難しい、とわかってからは、夜寝る前に暗い部屋で物語をした。暗いと本を読んであげることはできないから、昔話などを暗記して素語りする。それもだんだんネタがつきてきたので、適当に物語を作って、それを語り聞かせる……。
 本人の得意不得意と発達の状態に合わせながら、戦術は次々変わっていった。中には、あまりうまくいかないことや、やってみたけれどまだ本人に早すぎたことも、いろいろあったけれど、「まあ、そんなこともあるさ」とスルーして、すぐに次の戦術に切り替えた。
 結果、昇平は今、自分の言いたいことをほとんど自分のことばで言えるようになっている。
 とっさの時にことばが出てこなくなってしまったり、微妙な内容を伝えきれなくて苦しんだり、相手の話がよく聞き取れなくて苦労したり、相変わらずの困難はあるけれど、それでも、困っているときには「困っています。どうしたらいいでしょうか?」と助けてくれそうな人に聞くことができるし、「今、こういうことを心配しているんだ」と自分の気持ちを伝えることもできるようになっている。「言語の獲得」という中期目標はだいたい達成したようなので、今度は「相手の言った内容などから相手の気持ちを汲み取る」というコミュニケーション・スキルの向上のほうに、戦略は移りつつある。

 「社会から逸脱しない人間に育てていくこと」も、とても重要なこと。
 昇平も、うっかりすると自分がいる社会を誤解して、周りの人々に恐怖を抱いたり、自衛のために攻撃的になったりするから、誤解を一つずつ解いていくことが必要不可欠になっている。
 これを誤解したままにしておくと、アメリカの学校で起きた事件のように、まったく無関係な同じ学校の生徒へ銃を乱射したりナイフで切りつけたり――その理由も、自分を馬鹿にして笑ったように見えたから、とかいう一方的な思い込みで――なんて事態に発展しかねないかも、などと思うから、こちらも必死で誤解を解く努力をする。
 最近、ようやく昇平は「人間はみんなダメだ!」と怒らなくなった。「世界にはいろんな人がいて、いろんな考え方があるんだよね。だから、いろんなことを言う人がいていいんだよね」と言うようになってきた。
 今、彼は、「世界は怖い場所ではない」ということを、自分自身で確認しようとしている。これはもう、親や家族が対応できる範疇ではない。
 彼は社会ルールを守って世界と関わろうとしているわけだから、世界のほうでも、どうかルールを守って彼に関わってほしい、と願っている。

 これだけの基礎の上にやっと載ってくるのが、「働くための技能を身につける」ことだから、そろそろそれも戦術に組み入れていこうと思っている。
 今はまだアルバイトは難しいから、とりあえず、来年はワープロ検定を目標に、ワープロ技術などを身につけてもらおうか、と考えているところ。いずれはアルバイトもできるといいのだけれど、さて、どうなるかな……。


 子ども一人が社会人になっていく、というのは、これだけ手間暇かかることだから、やっぱり、それぞれの段階でその子どもと家族を助けてくれる存在が必要だな、と思う。
 それが保育園や学校の先生であり、学童やフリースクールや家庭教師の先生であり、行きつけの店の店員さんや駅の駅員さんであり、盆や正月に会う親戚であり……。
 そして、こういう長期的な「戦略」や、戦略を達成するための「戦術」を、親や本人と一緒に考えてくれるアドバイザーはぜひ必要なのだろうと思っている。
 私は基本、自分だけで考えてやってきたけれど、でも、誰かに一緒に考えてもらえたら、昇平にもっといろんな力をつけてあげることができただろうし、私ももう少し楽だっただろうと思うから。


 品川さんの講演会をきっかけに、長期目標(戦略)と短期目標(戦術)のことをあれこれ考えてしまった。
 昇平は今、精一杯がんばって、社会で生きられる人間になろうとしているけれど、こういう子どもたちは社会に大勢いるわけだから、ぜひ力になってあげてほしいな、本当の社会人の人口を増やしていってほしいな――と、そんなことを心から願ってしまった。


[12/07/29(日) 14:22] 講演会

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