昇平てくてく日記4

高校編

てくてく日記・82「命さえあれば幸せ」

Yoake
夜明け (2012年11月10日撮影)

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11/5(月)〜11/11(日)

月:スクーリング(数学)
火:フリースクール (父:公休・健康診断)
水:フリースクール
木:スクーリング(生物)(母:社会福祉協議会の会合参加)
金:レポート学習会
土:Tくんが遊びに来る
日:休養日

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 火曜日、昇平が急に何かに気がついたように、「人は命さえあれば幸せなんだよね。生きていること自体が幸せなんだ」と言い出した。
 うん、そうだよね、とあいづちを打っていたら、翌日になって、もっと詳しくこんなことを話してくれた。

「私は今まで、こうしなくちゃいけない、とよく言われる、型にはまったようなことができないと、人は幸せになれないんだと思い込んでいたみたいだ。恋人がいなくちゃいけないとか、就職しなくちゃいけないとか、人生に夢を持たなくちゃいけないとか。それができないと、人は絶望して死んでしまうような気もしていたんだ。でも、実際は生きてさえいれば、それだけで幸せなんだと思ったら、例えば恋人がいないことも、仕事がなかなか見つからないことも、お金がないことも、人生の夢が見つけられないことも……全部、関係ないんだ、ってわかったんだ。例えどんな状態であっても、生きていて、そのことに満足を感じることができたら、幸せなんだよ。それに、生きてさえいれば、将来、幸せを感じることができるようになるかもしれないんだから、やっぱり命があって生きていることってことは、すばらしいんだよ」

 実際には、自分の頭の中で適切なことばを探しながら話すので、もう少し、とつとつとしたしゃべり方なのだが、昇平は一生懸命考えをまとめながら、これだけのことを語ってくれた。

 また、また別の日には、「人は生きていれば幸せなのに、どうしてそれを忘れて文句ばかり言うのかな?」と尋ねてきた。
 うん、それはきっと、あんまりにもそれが当たり前になって、気がつきにくくなっているからだと思うよ。当たり前の幸せに慣れっこになっちゃっているんだよね、きっと。
 でも、何かあったときには、人はその幸せに改めて気がついたりもするんだよね。ついこの間も、そういうことがあったよね。そう、大震災のときに。電気がついて、水道をひねれば水が出て、食べ物があって、家族がいて……そういう当たり前のことが本当に幸せだったんだって、被災地だけじゃなく、日本中の人たちが感じたんだよね。
 そう話して聞かせると、「うん、そうだね」と昇平は素直に納得した。彼が「生きてさえいれば」と言う背景には、あの震災の経験がある。

 未曾有の悲劇だった大震災。それ自体はとても不幸な出来事だったけれど、昇平の心を大きく育てるきっかけにもなってくれた。普段は目に見えにくい大切なことを、昇平にわかる形で見せてくれたから。
 同じ震災は、優しい人々の実在も昇平に教えてくれた。だから、どんなに怖い発言をする人がいても、社会が恐ろしいところに思えても、昇平は社会に希望を見いだそうとしている。
 私たちを助けて見守ってくれた、たくさんの人たちの存在に、改めて感謝した瞬間だった。

(2012.11.12記)

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☆昇平のブログ→ 「826番目のココログ」(「やつむの日常」から変更)
 http://ley.cocolog-nifty.com/da_silver_zone_/

☆朝倉玲の総合HP→ 「アサクラ・タウン」
 http://asakuratown.sets.ne.jp/

[12/11/12(月) 11:47] てくてく日記

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