てくてく日記・86「余震」
いよいよ冬本番。(20012.12.10撮影)===============
12/3(月)〜12/9(日)月:スクーリング(体育)
火:スクーリング(HR)
水:フリースクール
木:スクーリング(国語)
金:スクーリング(英語)、地震
土:父と外食、Hさんと遊ぶ(母:学習会・忘年会、父:公休)
日:休養日
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金曜日の夕方5時18分頃に、東日本大震災の余震があって、青森県八戸市や岩手県盛岡市などで震度5弱、ここ伊達市も震度4の揺れになった。
この程度の余震ならば、これまでにも何度もあったが、今回のは時間が1分近くと長かったうえに、次第に強く激しくなっていく、3.11を彷彿とさせる揺れだったので、あの時の記憶がよみがえってきてしまった。そのせいか「震度4と言うけれど震度5くらいに感じられた」と言う人も多く、私たちもそんなふうに感じた。
昇平は避難する拍子に転んで、障子戸を膝で突き破ってしまった。怪我にならなくて本当によかったが、本人は小パニック。地震が収まってからも、「こんなところにはもう住んでいたくない!」「外国で暮らしたい!」と怒っていた。
「でも、外国でも大きな地震が起きてるよ?」と私が言うと、「じゃあ、海底で暮らす!」。「いや、その海底で地震が起きているんだけど」と言うと、「それじゃあ、宇宙で暮らす!」
それでは宇宙ステーションにでも就職するしかないよね〜、などと冗談を言いながら、安定剤のリスペリドン(リスパダール)を頓服させ、夕食を食べているうちに、ようやく昇平も落ちつきを取り戻した。
翌日の土曜日は親の会の学習会だったが、集まったメンバーの家でも、やはり子どもたちが3.11を思い出して、一時的に母親から離れられなくなったりしたらしい。大人たちでさえ思い出してとても怖くなったのだから、当然だろうと思う。
そんなふうに各自の心にトラウマになっている大震災の記憶だが、昇平は土曜日に親の会で仲良しのHちゃんと遊び、私たち親は
夜の忘年会でおおいに食べて喋ったら、ストレスが発散できたようで、元気を取り戻すことができた。「怖かったよねー」「うちでも子どもたちが大変だったよ」そんな話をするだけで、また元気になっていくのは不思議だな、とも思う。
(2012.12.10記)
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[12/12/10(月) 10:13] てくてく日記