てくてく日記・160「障害者職業センター見学」
三春ハーブ花ガーデンにて一服
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6/16(月)〜6/22(日)月:フリースクール→授業(美術)、母と担任で障害者職業センター見学
火:フリースクール
水:授業(国語)
木:授業(地歴・福祉)
金:授業(映画鑑賞)
土:T君と遊ぶ
日:休養日
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月曜日の午後、高校の担任と待ち合わせて、福島市の障害者職業センターを見学に行った。
元々は労働省(現在の厚生労働省)の外郭団体で、現在は独立行政法人。手帳の有無にかかわらず、障害(の特性)があって、就職のスキルを身につける必要がある人たちのために、プログラムに沿って講座や作業訓練を行い、自分に合った職場をハローワークで探す手助けをし、就職した後も仕事に慣れるまでジョブコーチとしてついてもらえるのだという。
センターの仕組みや利用者の状況の説明を聞き、実際の作業室や教材などを見せていただいたが、正直「日本の障害者の就業支援はここまで来ていたのか!」と驚いてしまった。
以前は知的障害を持つ利用者が多かったので、30人くらいが一度に同じプログラムに取り組んでいたらしいが、近年はうつ病などの精神障害から社会復帰しようとする人と、学校は卒業したものの発達障害があるために通常の就業が難しい人たちが、とても多くなっているので、プログラムの内容も利用者の特性や能力に合わせて、かなり個別対応になっているという。
同時に、利用者の自己理解も促して、職場で自分を理解してもらう能力などを身につけることもめざしているという。
昇平は以前からこう話していた。
「ぼくは学校を卒業したら就職したい。兄ちゃんのように朝早くから夜遅くまでの仕事は無理だけど、自分が働けるところで働いて、自分でお金を稼いでそれで自分の欲しいものを買いたい。偉くならなくてもいいし、大金持ちにならなくてもいい。そんなことは望まない。ただ、どこがぼくに合っているのかわからない。それに就職してからは仕事を丁寧に教えてほしいし、わからなくなったり困ったりしたら教えてくれる人がそばにいてほしい。そうやって仕事を覚えることができたら、ぼくは真面目に働くし、働くことで少しでも社会の役に立てたらいいと思っているんだ」
見学の前に担任と話したところ、昇平は高校に入学した1年生の頃からそう話していて、「この年でそこまで考えているなんて偉いね」という話を昇平としていたのだという。担任は高校の進路指導を担当しているので、「他の子たちにも聞こえるように、もっと大きな声で言って!」と内心思っていたとか。(笑)
決して欲張ってはいない。自分を過大評価してもいないし、過小評価もしていない。自分にどんな支援が必要なのかも、かなりよく見えている。働く意欲もある。
これだけしっかり就職のイメージを持っているのだから、なんとか昇平の望むような支援を受けられる場所があれば――と願ってきたけれど、「本当にそんなところがあるんだろうか?」と密かに心配もしていた。ポリテクセンター(昔の職業訓練所)の資料を見ても、昇平にはとてもついていけそうにないほど高度だし……。
その「望む通りの場所」が障害者職業センターという形で目の前に現れたものだから、私はびっくり。「あったんだ。本当にそういう場所があったんだ」と感激してしまった。
このセンターでは利用者の自己理解にも力を入れているから、昇平は今以上に自分自身を知っていくことができるだろう。自分が社会の中で働くためには何が必要なのか、どうしていけばいいのか、そこも絞り込んで学んでいくことができるだろう。
「昇平君がここに通い始めたら、きっとまた、ものすごく成長しますね」と担任も嬉しそうだった。
ここで学ぶのは3ヶ月間。その途中であっても、本人に合った職場が見つかったときには、そこから就労につなげていくという。
学校の授業を受けながらここを通うことも考えていたけれど、かなりみっちり受講することになるので、高校を卒業する3月からが良いだろう、と担任と話し合った。その前に夏休み中に本人を連れて見学に行くし、できれば実際の利用体験もしたいと思っている。
今度は駅から20分くらい歩くことになるから、福島市内の移動スキルもまた上がるだろう。きっと、慣れたらあちこち歩き回って、いろんなものを見たり楽しんだりするんじゃないだろうか。
最後に、障害者職業センターという名称について。
我が家の本棚にはADHDや自閉症の本がたくさん並んでいるので、昇平も自分がそれであるらしい、というのは感じてきたし、中学の終わり頃に発達障害をもっていることも話して聞かせたのだけれど、自分が「障害者」だということは、はっきりわかっていなかった。
障害者雇用の枠で就職を考えているので、3年生の頃からわざと「障害」という名称を出すようにしたら、昇平は「ぼくは障害者なの?」とびっくり。なので、わざと「そうだよ」と平然と答えたら、「障害者だなんていやだなぁ」と昇平。
ところが、ちょうどその頃、旦那も股関節を人工関節にする手術を受けて4等の身体障害者になったので、「なに言ってんだ。お父さんだって障害者なんだぞ」と言ったら、「あ、そうか」と言っていた。
今回も、障害者職業センターという名前を出したら、また「障害者かぁ」と渋ったので、「君が望んでいた支援や就職をするのには、障害者だということが必要なんだよ。障害あるっていうのは、自分の努力だけではできないことがあるから、手を貸してもらいたい、という意味だからね。障害者だからこそ、それだけの支援が受けられるんだから、利用できるものは何でもしっかり利用ようよ」とちょっと積極的に話したら、「しょうがないなぁ。じゃあ、障害者だってことを受け入れてやるか」と言った。これが昇平なりの納得の仕方。
この話を担任に話して聞かせたら、「昇平君の様子が目に浮かびますね」と笑っていらした。
昇平は、自分の障害と二人三脚で、たくさんの人たちの理解と支援を受けながら就職をめざし始めた。
彼に何ができるのかは、母親の私にも、もうわからない。
障害者職業センターで自分を発見して、自分の存在意義を自分で感じられるような進路に進んでいってくれれば……と心から願っている。
(2014.6.24記)
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[14/06/24(火) 11:42] てくてく日記