てくてく日記・161「祖母の見舞いに行く」
雨に濡れるアジサイ
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6/23(月)〜6/29(日)月:フリースクール
火:フリースクール
水:郡山の祖母の見舞いへ
木:休日
金:授業(英語・進路ガイダンス)
土:L子さんの家へ遊びに行く
日:T君L子さん遊びに来る
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梅雨らしい天候が続く。日曜日には時折猛烈な雨が降って、ここ伊達市や隣の福島市にも大雨洪水警報が出た。
ちょうど遊びに来る途中だったT君が直撃を食らって、全身ずぶ濡れで我が家にたどり着いた。急いで昇平の着替えを出してあげたけれど、本当に滝のような雨でものすごかった。L子さんはおうちの人の車で送られてきたので無事だった。
水曜日は、たまたま主人が公休で、昇平も学校とフリースクールが休みだったので、三人で郡山の私の母の見舞いに行った。これまで昇平は病院まで行っても、「ぼくは怖いから」と院内のロビーなどで待っていたのだけれど、この日は「おばあちゃんも昇平君に会えると喜ぶよ」と話したら、「それならがんばって会ってみる」と病室まで見舞いに行くことができた。
思いがけず昇平が見舞いに現れたので、母は驚いて、「昇平君は不安だろうから早く帰っていいよ」と気をつかう始末。でも、昇平は「大丈夫だよ」と言って、おばあちゃんとことばを交わし、最後には握手をして別れてきた。
昇平は「おばあちゃん、ぼくは人っていなくなったらそれで終わりってわけじゃないと思うんだ。ずっとこの世界のみんなの中にいるんだと思うんだよ」というようなことも話したので、隣にいた私たちはちょっとはらはらしたのだけれど、母は後で見舞いに来た父に「今日は昇平君に教えられたわ」と話していたらしい。
昇平は彼なりに社会や世界についていろいろ考えていて、それをことばにしているのだけれど、聞いていると、ときどきすごく宗教的だな、と感じることがある。あるいは哲学的というべきか。
純粋に一生懸命世界を理解しようとしたとき、人間は自然とそんなふうになっていくのかもしれない、なんてことも思う。
(2014.6.30記)
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[14/06/30(月) 14:03] てくてく日記